君の名は
ただアキヨリの元へ。
それを妨げていた動機と、人知れずこの国を守って来た女王としての自負は、自らの超常の力と共に無数の歯車に吹き飛ばされていた。
だがその足取りはたどたどしく、オオクニヌシを思うようには運んではくれなかった。
全身に力を漲らせ、力強く歩む泣じゃくる子供など、古今東西ありはしない。
「わたしは!わたしは人の心を取り戻してしまったぁぁ!
お前達とお前とぉぉ出会い同じ時を過ごし。
お前達の難敵を微塵も恐れず、仲間を信じ立ち向かう勇躍する武勇に心踊らせ。
武士としての武威に恐れ慄き。
奔放さと頑なさに朕の話を聞く耳など持たぬのではないかと憂慮し。
その憂慮など消し飛ばす様に、朕の生涯をまるで我が事の如く受け止め心を重ねてくれた事に胸打たれ。
サカイの街での心を込めた持て成しに感謝し。
皆とは童の如くはしゃぎ歓喜し。
憧れていたお前の音曲に身も心も溶け合った。
楽しかった、怖かった、美味しかった、本当に嬉しかった。
朕は…わたしは!
空を読み星座に物語を思い巡らし、父と母の愛情と森に抱かれ、友と夢を語り合い、まだ見ぬ未来に希望に満ち溢れていた、あの頃のわたしそのものになってしまったぁぁ!
地中深く灼熱渦巻く真っ暗闇になど、人の世を憎み、絶望に塗り潰されなければ行けるものか!
戻りたくない戻りたくないよぉぉぉ!」
オオクニヌシの膝にはもう僅かな力も無かった
「大王ぉぉぉぉ!」
十間(約18m)のオオクニヌシとの距離は一瞬に失われた。
肉体を動かす力はとうに失われたアキヨリには、いやあったとしても。多々良の力を使う他にその様な神憑りは成し遂げられないだろう。
だが一体どう多々良の力を使ったのかアキヨリ自身にも分からなかった。
しかしそれは些細な事。
何が何でもいたいけな子供のそれのような崩れ落ちる膝を地に落としてはならない。
武士として男として、シジマ アキヨリとして成し遂げなければならなかった。
「アキヨリ…」
オオクニヌシは肩に圧と熱を感じ揺れる水面越しにアキヨリの顔を見上げた。
アキヨリはその視線に自らの視線を合わせようとしたが遂に叶わなかった。
オオクニヌシの視線が定まらないのが一因であったが、理由はもう一つあった。
アキヨリの視線も同様に定まらない。
間近に見たオオクニヌシの姿に愕然としたのだ。
アキヨリの心は言う。
「なんたる事だ、幾多の宿命に見舞われた大王だが三十路前の娘ではないか!
大王の仰る通り、今のこの御姿が大王がホウライ山に身を投げた時の姿であるなら。
王と祭り上げられ人の世を儚み火口に身を投げる迄に至ったのは、たった十数年であったというのか!
いたわしい、いたわしい!」
心の声は身体を突き破り具現化した。
「大王!御免!」
「ああ…」
オオクニヌシは頬にアキヨリの懐にある数々のガラクタの感触を感じた。
「リッカ!すまぬ!!」
「ぬぬぬぬぬぬ!」
「大王?」
「今何とぬかしたぁぁぁ!!」
「うわあああ!」
またもやアキヨリは宙を舞った。
宙を舞って地に仰向けに叩きつけられ、間を置かず腹に重量を感じ、間を置かず頬に衝撃を感じた。
一度や二度では無かった。
「お前はいつもいつもいつもいつもリッカリッカリッカリッカリッカ!」
「ぶぇぶぇぶぇぶぇぶぇ!」
「そんなにリッカリッカ言うのならば、お前はリッカか?!」
「ぶぇ!何を仰せかぶぇ!意味がわかりませぬぶぇ!」
「リッカリッカリッカリッカとそんなに好きなら結婚しろ!」
「ぶぇ!既にぶぇ!夫婦とぶぇ!なっておりまするぶぇ!」
「朕は!わたしは!お前に呼んでもらえる名前も無い!思い出せない!
大王などとわたしを呼ぶな!
わたしの名前は大王でもオオクニヌシでも無いぃぃぃ!!
ああああああっ!」
馬乗りのオオクニヌシは握った拳を解き顔にあて、そのままアキヨリの胸に突っ伏し嗚咽した。
「大王」
「呼ぶなと申した側から!」
「ぶぇ!だ…其方の御名前、俺には見当があり申す!」
「な…何と申した」
「其方の御名前に見当があると申し上げた!
いや!見当では無い確信があり申す!!」




