真髄
退屈だった
出立してもう五日が経つが風が止んでしまい
船は波間に漂うだけで
アキヨリはずっと船中で寝転がっていた
道中術の巻物を書こうと思っていたが筆を忘れたようだ
何もする事が無いと考えるのは残して来たトウカの事と
幸せに過ごした山での暮らしだった
もちろんサカイの事も気に掛かったが
ついこの間まで心の奥底で望み続けていたものに囲まれていたのだ
一人きりになった正直な心が求めるものは
もう手の届くところには無くなってしまった安らぎだった
「トウカ….元気にしてるかな」
真夏の日差しが水面に乱反射して煌き
入り組んで切り立った海岸は絶景と呼べるものであったが
元々アキヨリは景色というものを
美しいと感じたりはするが
心を打たれるという事は無かった
彼が心を打たれるのは命と心の介在する事柄だけである
「ヒマだー馬鹿野郎ー!」
トタッ!
突然船縁が音を立てた
「なんだ?!」
慌てて槍を構えて体を起こすと船縁に矢が一本刺さっている
「やっぱりアキヨリだー!
戦で死んだと聞いてたんだ
生きてやがったのかよ
俺達と海賊をやりに来たのかー?」
十人程を乗せた小早船が近付いてくる
弓を持ち舳先に片足をのせた見覚えのある男にアキヨリは答えた
「スミトモ!
元気だったか?!
いきなりお前に出会すとは幸運だ
ドーマンの御老体に会いに来たのだが風が止んでこの通りだ」
「なんだ俺に会いに来たんじゃ無いのかよ
ヨダのじじいのところに行きてえのかよ
こっちには漕ぎ手がいるから引っ張ってやるよ
綱を投げるぞ
受け取ってどっかに縛りつけろよ」
「いいやお前にも会いたかった
戦の時といいスミトモには世話になりっぱなしだな
そういえば御老体の名はヨダといったのか
修行をつけてくれた間も一言も名乗らなかったな」
スミトモ達に助けられ
その日の昼過ぎに懐かしい漁村の砂浜にアキヨリは降り立った
「助かったよスミトモ
さっきの話なんだが どうだろうか
サカイに来る気はないか?」
「俺はサカイの船を襲った事もあるよ
サカイに着いたとたんに縛られて吊るされてキューって事になるんじゃ無いだろうな」
「そしたら俺が助けてやるよ
それで貸し借り無しだな」
「おいおい海賊に恩を返すには金かお宝と相場が決まってるよ
士官だ主従関係だのはごめんだが
がっぽり儲けられるってのは魅力的よ
相手がナリカワってのも心が踊るよ
またお前と暴れられんのが楽しみだ」
「ありがとう二十日間程滞在する予定だから
帰りにさっきの海岸で火炎を飛ばすから見逃さないでくれ
共にサカイへ行こう」
「分かったよ
ヨダのじじいは俺達海賊にも説教するから苦手なんだよ
じゃあまたな」
皆漁に出ているのか漁村に人気は無くひっそりしている
しかし勝手知ったるアキヨリは防風林の先にあるこの漁村で一番立派な家へと小走りで向かった
「あら若殿様 お久しぶり」
防風林の松の木の陰から声を掛けられアキヨリは立ち止まった
「おお!アミ殿 美しくなられた
お爺様にお会いしたく参上した
ご在宅だろうか?」
アキヨリより二、三歳年下だろうか
アミはヨダの孫娘だった
「きれいになっただなんて調子のいい…
あのねお爺ちゃんはね つい先月死んじゃったの…」
「なんと……
ご病気を患ったのだろうか」
「ううん
にっこり笑ってた」
「そうか…それだけが救いだ…
しかし しかし…
今の俺のドーマンでは遠くまで見渡せぬ
罠を見抜けぬ
リッカに辿り着けぬ…」
アキヨリは絶句して砂に両膝をついてしまった
「リッカ…ああリッカ」
あまりの様子にアミはアキヨリに駆け寄り肩に手をのせ言葉を続ける
「あのねお爺ちゃんが言ってたの
若殿様がいつか必ずまた来るって
その時渡すようにって頼まれた物があるの
きっと若殿様の役に立つ物だから元気出して
お家に行こう ねっ」
アミが泣きベソをかく子供の手を引くように
アキヨリを漁村の長であったヨダ宅まで連れて行くと
立派とは言い難いが良く清楚された客間に通し
「ちょっと待っててね」
家の奥へと消えて行った
「あーあったあった!」
バタバタバタバタ
元気のいい足音が近付いてくる
「若殿様あったよ!
これ この玉手箱」
「これを俺に?」
「そう でもね必ず一人の時に開けなさいって」
「わっ!分かった!」
アキヨリは一縷の望みを胸に
槍を置いたまま
人っ子一人居なかった砂浜へと走って行った
「はー!はー!
この中にドーマンの真髄を記した何かが入っているに違いない
ありがたい これでリッカの所まで辿り着ける」
ボワン
箱を開けると中から白い煙が立ち籠め
予想の及ばぬ事態にアキヨリは正面を向いたまま眼球だけ真上を向いた
「なんだー?!なんだー?!」
眼球が正面に戻ると煙は突然の風に紛れ
瞼から姿を現した眼球は箱の中にある一枚の紙を映した
「きっとこの紙にドーマンの真髄が…」
恐る恐る手に取ると紙にはこう記してあった
びっくりした?
「じじいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
怒り狂うアキヨリは風に運ばれ飛んで来たオニヤンマになど気付きはしない
「あんちゃん海を見なよ
あんちゃんはもうドーマンを身に付けているんだよ
ドーマンに本当に必要なものはな
心の底から帰って来て欲しい大切な人なんだよ
またここに来たってことは
あんちゃんにもできたんだな
大切な人が
海を見なよあんちゃん…」
「う、海を?」
シマの海に住む色とりどりの魚たち
波に踊る海藻
海に潜らなければ見えない色彩の演舞が
人間の目は水中では ぼやけてしまう為
海に潜っていてはあり得ない鮮明さでアキヨリの目に飛び込んで来た
「おおおおおおおお!
見える!見えるぞ!
リッカ見えるか?!
この美しい海が!」
アキヨリは初めて自然というものに心を打たれた




