もう一度
ホウライ山を追われてから二度目の宵の明星が輝きアキヨリを急かした
「アクヤ、起きろそろそろ行くぞ」
泥の付いたままの自然薯をかじりねばねばした口でアクヤは起こされた
眠りにつく前にたらふく食べた馬ミツバが重かったが
再び自らの怒涛の脚力の勇躍する時の訪れを感じ体を横たえたまま跳躍するように立ち上がった
「アクヤ!お前も最高だが俺も極上だ
今なら三里先のロウソクにも火を灯せるぞ!」
手綱を握り地を蹴り自分の背丈程の背に飛び乗る動作は全て躍るようであった
「でぇやー!」
「ヒャァーングル!」
アクヤは甲高くいななき左右に一度二度躍るように跳ね万物を後方に追いやっていった
景色が飛んで行く
薄暗さも手伝い真正面のものだけが辛うじて認識出来るような速度である
ビュルルルルル
兜の前立てが風切り音をたてる
何かが違う
以前とは何かが違う
己の礎となった命、自ら殺めた命、破壊した幸福に縛り付けられた侍の子とは何かが違う
ヒデカツのようにアキヨリの為に命を投げ出す者はこの先も現れ続けるだろう
だが以前とは何かが違う
どんな角度からの光も眩い輝きに変える金剛石の如く
全ての出来事は前進する力へと変わって行った
「その者待て!止まれ!」
馬達の住む丘を抜けると呼び止められる声を背に受けた
「ふふっ、早速見つかったか
だが追いつけまい
はっ!」
十数年の大地震で出来た十尺はある段差を飛び降りると四、五人の気配は遥か後方へと消えて行った
「もう少し追って来てくれんと見つけてくれた意味が無いのだがな
まあよいか
アクヤ、街道に出るぞ更にお前の速度を活かせるぞ
しかしジョスイめ良く練られた経路だ
いや、ニザエモン殿の案だろか?
いずれにせよだ
ホウライ山より東に位置するサカイに向かうのに西のクレの港へと向わせるとは
我等一行が西へと逃げたと思わせる為だろう
俺は人の目に触れれば触れる程効果があるという事だな
五日後という時間も絶妙だ
余裕があり尚且つ長い間身を隠し船を待たずに済む」
しばらく進むと街道沿いに宿場町だろうか
小さな街並みが現れた
宵の口の宿場町はまだ賑わい街道には人が行き交い灯篭には灯りがともされていた
「おあつらえ向きだな
それっ!」
宿場町を貫く街道に腰の辺りまでの炎が地面から一つ二つと立ち上って行った
それに気付いた町人達は慌てふためいた
「なんだ!誰か油でもこぼしたのか?!」
一つ二つなら人の仕業と思うだろう
しかし十、二十となると話は別だ
「物の怪だ!物の怪が出たぞ!」
「狐火だー!」
「きゃー!旦那お助けくださいまし!」
「家に入れ!戸を閉めろ!」
人の行き交う街道にアクヤが走り抜ける道が開けた
「物の怪など何するものぞと外に出て来る者はいないようだな
追手はこの町にはいないようだ
いても腰抜けといったところか」
街道をアクヤが駆けて行くと更に町人達の右往左往は最高潮となった
既に建物の中に避難した者は薄く戸を開けて怖いもの見たさで
お祭り騒ぎを見物している
「誰も飛び出して来るなよ
ああ、見ている者もいるな
そうそう、俺の姿よく目に焼き付けてくれ
アキヨリは西に向かったのだ」
「きゃー!」
一人の娘が突き飛ばされアクヤの前に飛び出した
「全く、女子供は先に逃がすものであろうが
とぁあー!」
アクヤの蹄は娘の遥か頭上を通過して行った
「やれやれ、こういうのは控えた方が良さそうだな
しかし俺の名を呼ぶ者はいなかったな
俺をお尋ね者とするお触れは周っていないようだな
いささか手際が悪いように思えるが…
まさか街道を堂々と逃げて行くとは思っていないか?
それとも何かあったか?
今は考えたところでどうにもなるまい
それに戦わずに人目につく好都合だ」
その夜アクヤの俊足は宿場町を二つ通過した
二つ目の宿場町は深夜に通過した為静まり返った街道に蹄音を響かせ眠りの浅い者を目覚めさせ
何者かの通過を刻み込んだ
東の空が白んで来る頃にはまた山林に入り込み
アキヨリもアクヤも得意の道端食いを披露しひたすら食い眠った
そんな事を繰り返し待ち合わせの夜は訪れた
瓦礫の散乱する忘れ去られた漁村跡の
辛うじて形を成す一軒から顔を出した巨馬と無精髭は
水面から顔を出した岩礁の最端に立ち水平線に一つの突起を見つけた
アキヨリが炎を細く天に向かい放つと突起は船影となり船影は翼を広げ急速に近付いてきた
「ばっ!馬鹿者!」
アキヨリは翼を導く為もう一度炎を放つと翼は正確にアキヨリという的を撃ち抜いた
的は力一杯リヨウを抱きしめ飛行の慣性を受け吹っ飛んだ
「夜はろくに目が効かぬというのに馬鹿者!
無事だったのだなリヨウ!
皆はどうしている?
リヨウ!
もう一度お前の名を呼ばせてくれ
リヨウ!」
大きくなった船影からは小船が二艘近付いて来るのを見つけたアキヨリは呟く
「船には鏡があるだろうか?
その前にカミソリか」




