縁側の陽射し
「俺は悪い夢を見ていたのか」
目に映るものがアキヨリにそう思わせた
咲き乱れる桃の花
桃の花越しに瞬く陽光
それをいつもの縁側の縁台に座り眺めていた
なぜか皆遠慮して縁台に座ることはなく
縁台はアキヨリとリッカの特等席だった
アキヨリの左にはリッカ
リッカの右にはアキヨリ
いつもの二人がそこにあった
数珠を握り締めるアキヨリの手を包むリッカの手には確かに温もりがあり
アキヨリの胸からはリッカの髪の匂いが漂っていた
怖かった
リッカの名を声にすることが怖かった
そうすることで そこにある全てが消えてしまう確信がアキヨリにはあった
だがアキヨリが口をつぐんでいようが終わりは訪れた
「アキヨリ様、お別れにまいりました」
リッカの後ろ髪がそう告げた
「わたしは間も無く眠りにつきます…」
遮らなければならない
今迄が現実で今が夢のようなものである事くらい始めから百も承知だ
「もしかしたら」
「万が一」
アキヨリはそんな朧なものに己の芯をもたれかけた事を恥じた
「精神をネジとせよ!」
そう己に言い聞かせ螺旋を刻み込んだ己の芯を
日常を取り戻したと思い込み何もかもから目を背ける甘く染まった精神の外殻に捻じりこんだ
何十回何百回と捻じり回す労力は僅かずつ、ほんの僅かずつではあるが前進し精神の外殻を突き破った
そして全ての終わりへと繋がっていくであろうリッカの言葉を遮った
「リッカ!お前の囚われた場所はどこだ!」
どんな形にせよ目の前にリッカがいる
千載一遇の好機である
どんな小さな手掛かりでもかき集めればリッカとの架け橋となってくれる
アキヨリは形振り構わず歪んで焦点の合わない視線をリッカのそれと合わせようと
俯くリッカの横顔が見えるまで潜り込ませた
「わかりません、目には映らないところです…
わたしも外からは見たことはないのです…」
リッカは顔を背けアキヨリの視線から逃げた
「ホウライ山のどこかなのだろう?!」
「そうです…でも決して見ることは出来ないのです
火の神を封じる仕掛けを守る為に
外の世界からは辿り着けないように人の目には映らないような結界が施されているのです
アキヨリ様のように目に頼らずとも辺りを把握出来たとしても
ここに辿り着く道は細く迷路のように入り組んでいて
一歩踏み外せばそこは深い谷になっているのです」
「俺には辿り着けぬと言うか」
「いいえ…アキヨリ様ならきっと…
でもここにはホウライ山の溶けた岩の滾る力とわたしの祖先達の力が集約されていて
お母様の力は何倍、何十倍にも…」
「俺には勝てぬと言うか!」
「違います!きっと勝って下さいます!
でもそれにはアキヨリ様は一生を捧げ苦しい修行を何年も何十年も…
お父様のように…
お父様のように命を燃やし尽くして
惨たらしく!あんなに小さくなって!」
「やはり義父上は義母上を救おうとしていたのだな!
ならば尚更だ!俺は義父上から託されたのだ!」
「わたしの為にアキヨリ様がお父様のようになってしまったら
わたしはもう生きていけない!
もう洗いざらい打ち明けます
あなたがこの山を訪れた時に吹雪を吹かせ
あなたの大切な御家臣の命を奪ったのはのはわたしです!
あなたの記憶を奪ってあなたを縛り付けたのもわたしです!
わたしはアキヨリ様に愛される資格なんてないのです!
もうわたしの事は忘れて下さい!
あなたは強く清らかな心を持つ真実の方です
必ずあなたを幸せにする人が現れます
その人との間に生まれた血脈にいつか現れる多々良の守人と…
その人に宿るあなたの面影と共に生きていくのがわたしの!
わたしの!
わたしのたった一つの希望なんです!」
アキヨリはリッカと視線を合わせようと屈めた背をスッと伸ばした
沈黙が訪れた
しかし厳密には沈黙では無かった
渾身の力で押し込めたリッカの感情が僅かに声になり漏れ出していた
やがてその声も消えたが真の沈黙は訪れはしなかった
リッカは意を持つ言葉を発する為に更に強く力で感情を表す声を押し込めたのだ
「裏切り者、化け物、消えてなくなれ、なんでも構いません
声を…
最後にあなたの声を聞かせて下さい」
「………」
「お願いです…」
「……」
「お願いですアキヨリ様ああぁぁ…」
「十年だ!」
「えっ!」
アキヨリは己の手を包んでいたリッカの手を振りほどき
その事で狼狽し彷徨うリッカの手を握り締めるなどとは生易しく握り締めた
再びユズリハの雨粒がアキヨリの手に降り落ちた
「十年待て!必ず助けに行くから十年待て!」
「アキヨリ様!」
リッカは思いがけぬ言葉に思わず顔を上げた
二人の視線は初めて交差した
「あの吹雪がなければ俺達は追手に殲滅されていた
あの日俺は間欠泉の熱気の他にもう一つ炎の気配を感じていた
今なら分かる
あれはリッカお前が登り窯に籠めた炎なのだろう?
俺を呼んでくれていたのだろう?
だが俺は間欠泉へと得体の知れぬ力に導かれかてしまった
あれはホウライ山に封じ込められた火の神ではないか?
もう一つだ!
お前が俺の記憶を奪ったというなら俺もそうだ
初陣で多くの命を奪った俺は
自分で自分を鬼悪魔と思い込んだ俺は
こんな俺を清らかなもの誠実なものと思い込み
一心に待っていてくれているだろうお前に再び会うのが心底恐ろしくなり無意識に白い玉の力でお前を忘れてしまった
それに大怪我をしたまま記憶を保っていたなら俺は直様戦地に駆け付け
何の役にも立たず犬死していたに違いない」
「ううぅぅぅぅぅぅぅ!」
もうリッカの感情は堪えきれるようなものではなかった
ずっと堅く閉じていた閂を外されたのだ
報われた
最愛の存在の為の苦しみを最愛の存在が報いてくれたのだ
「わたしは!わたしはもう思い残すことはありません!
忘れません今のお言葉決して忘れません!」
「何をとぼけた事を言っている!
俺は十年と言ったのだ!
俺はシジマ アキヨリぞ!
お前を救い義母上を救い火の神を手なずけるのに十年あれば充分だ!」
アキヨリの沈黙はリッカを助け出す手段を思考していた為の沈黙だった
数々の手掛かりは朧げながら形を成し十年という年月を弾き出したのだった
「まずは見えぬ所と言うならこれだ
俺の目はこの二つにとどまらん!」
アキヨリはリッカの右手だけを優しく握り直し自分の眉間へと導いた
そしてその人差し指を自分の人差し指でまた優しく伸ばし
自分の眉間に押し当てた
もう抗う力などリッカにはなかった
「ドーマン唱えてみよ」
「えっ?」
「ドーマンの術という
人の目は光を捉えるがドーマンの術は万物に宿る八百万の神の命を捉える
本来は離れたところを見る術だが
そこにあるものは必ず見る事ができる術でもある
俺の心を読んでくれたな、今も見えるか?」
リッカは目を瞑りアキヨリの心へと飛び込んだ
「はっはい!見えます!格子戸の中に沢山の目が見えます」
「そう、そのまま唱えてみよ
ドーマンと」
「ドーマン」
「目を開いて」
「はい」
アキヨリは眉間を指していたリッカの手を再び優しく包んだ
「俺の眉間をよく見て」
「はい」
「そのまま目を閉じて」
「はい」
「もう一度唱えて」
「はい、ドーマン」
「何が見える?」
「わたしの顔がみえます!」
リッカの閉じた瞼から未来への希望が雫となり流れ落ちた
「この術はいつまで続くのですか?!」
「お前が新しく印をつけるまで未来永劫だ」
「あぁぁあぁぁ!見られる!見る事が出来る!
トウカの笑顔を初めて立つところを
初めて歩く姿を!
これから眠りにつくわたしの見る夢はアキヨリ様の目にするもの全てなのですね
鏡を見て下さい
朝起きて身支度する時だけでも構いません
一日一回必ず鏡を見て下さい!」
「ああ、気が付いたら見るようにする
だが音までは伝えてやれん すまない」
「音が聞こえないなんて伝えたい事を言葉にできない事に比べたら何でもありません!」
「ああ、そうだな
ここにはいないがきっと皆無事だ」
「はい、わたし信じてます
また家族みんなで暮らせる日が来る事を
もう一度トウカをこの腕に抱く日が来る事を
待っています日の本一の勇者が来て下さる日が来る事を」
「ああ、必ずだ!」
「アキヨリ様おやすみの…」
「リッカおやすみ」
「アキヨリ…」
リッカの髪の匂いは刈り取った草の蒼い匂いへと変わった
宵の明星は地平を潜ってその姿はもう見えなくなっていた




