66.白と赤の活躍
壁に叩きつけられた男の人は、完全に気を失ってしまったみたいだ。息を殺して見つめてみたけど、全然動かない。
ホッと胸を撫で下ろしながら、どうしよう、と悩む。この危ない人、このまま放って置いたら良くないよね? いつ目を覚ますかわからないし、逃げられちゃったら何者なのか調べられなくなっちゃうかもだし。
閣下か鳥の巣頭さんが来るのを待つにしても、このままじゃ怖い。
「キュッ!」
「セレスタ? わぁ、ダメダメ! 危ないよ!」
悩んでるうちに、いつの間にか倒れている不審者にセレスタが近づいていて、なんと首に噛みつこうとしていた。明らかに息の根を止めようとしている。
私が慌てて抱き上げると、セレスタは何で?と言わんばかりに首を傾げていた。
……セレスタって、可愛い顔して、そんな鳥の巣頭さんみたいな物騒な性格だったの? それとも肉食動物の本能? どちらにしても私の中のセレスタ像がちょっと壊れてしまったよ……。勇敢なのはいいことだし助かったけれど。
「何か縛るものとか……ないかな?」
気を失っている不審者よりある意味危険なセレスタを抱っこしたまま、きょろりと周りを見てみる。
さっき私が武器にしたサイドテーブル、それに椅子。セレスタの風で飛ばされてしまったらしい閣下のものと思われる本。
……うん、どう考えても拘束具にはならなそう。
「…………。まだ、起きないよね?」
「キュ?」
呟きにセレスタがくりっと首を傾げた気配がした。私はじぃっと不審者の人を見つめていたので、ちゃんと見えてはいなかったけれど。
目を離さずにそろそろと倒れている人へ近づく。そっとセレスタを脇に下して、不審者の顔を覗き込んだ。意識が戻る様子は無さそう。……死んではいないよね? あ、息してる、よかった。
「セレスタ、ちょっとここで見張っててね。動きそうな様子とかあったら教えてね」
目を離した隙に喉元に移動しようとしていたセレスタを引っ張って不審者から遠ざけつつ、お願いする。
そして私はその人が着ていた焦げ茶のローブに手を伸ばした。まずはこれ、借りよう。
拘束するのはもちろん大事だけど、裸のままでいるのも一大事だ。女の子としてどうかと思う。今誰かが戻ってきたら、と思うと気が気じゃない。
仰向けに倒れているからローブが背中の下敷きになっていて、脱がすのに苦労したけれど、なんとか身体の下から引っ張り出すことに成功した。強く引っ張ったら、不審者はごろりと俯せの状態になって衝撃で目覚めないか冷や冷やした。余程強く頭を打ったのか、全然目覚める気配がないのは幸いのような、ちょっとだけ心配なような……。
ローブを羽織って素肌が隠れると、ちょっと人心地がついた。服を着るのは久しぶり過ぎて、ちょっと違和感があるし、不審者のローブだということに抵抗感があるけれど我慢だ。
「何か縛るもの……。あ、ベルト――引き抜いておけばよかったぁ」
俯せになってしまっているからバックルを外せないし、もう一度仰向けに転がす勇気もない。今度こそ目を覚ましてしまうかも。どうしよう。
「キュ!」
目を離すのは怖いけど、隣の部屋に探しに行こうか、と迷っていたら、セレスタの声が聞こえて振り返った。
セレスタがカーテンの裾を齧ってぐいぐい引っ張っている。……うん、カーテンは流石に外せないよ? バルコニーに出る窓だから、高さがかなりあるもの。
「……あ! そっか、タッセルなら!」
カーテンをまとめているタッセルなら簡単に外せるし、複雑な編み方をされているから強度もありそう。
「セレスタ、頭いい!」
「キュウ!」
ふわふわの頭を撫でたら、心なしか胸を張っているような得意げな返事が返ってきた。魔獣ってこんなに頭いいものなのかな? っとちょっと疑問に思いつつ、急いでカーテンからタッセルを外す。
不審者のところに戻ってまず両腕を背中に回した。不可抗力だけど、俯せになっているからやり易くてよかった。閣下よりも細そうな腕を力の限り縛り上げて、もう一本のタッセルで両足首も縛る。縛り方なんてわからないけれど、とにかく堅結びでどうにかなるかな。
不審者の手足ががっちりと拘束できたのを確認したら、急に安心感が押し寄せて来て脚から力が抜けてしまった。
ぺたんと床に座り込んだら、セレスタがよじよじと膝に乗ってきたからギュウッと抱き締める。わぁ、もふもふ。セレスタのふわ毛って、こんなに気持ちよかったんだね。
「セレスタ、本当にありがとう。セレスタのお陰で怪しい人、捕まえられたよ」
「キュ!」
「私たちすごいね、目が覚めたばっかりなのに、大活躍じゃない?」
「キュァ!」
「鳥の巣頭さんに自慢しよう」
「キュゥ」
「――っぐす」
緊張が解けたら、涙が出て来た。私の言葉に律儀に返事なのか合いの手なのか鳴き返してくれるセレスタが温かくて嬉しい。
本当に、私たち頑張った。
全然、想像していた目覚め方じゃなかった。
私なりに閣下とファラティアの姿で会ったらどんな顔をしたらいいかな、とか、セイレア様に抱き着いて泣いちゃうかな、とか、ときどき怖いけど優しくもしてくれた鳥の巣頭さんにはどうやって感謝を伝えたらいいかな、とか、いろいろ考えていたのに、全然違った。
ファラティアの姿に戻れた感動は吹き飛んじゃったし、怖さでまだ指先が震えてる。
「キュウゥ……」
「!」
ぐすぐすと泣いていたら、セレスタに頬を舐められてびっくりする。そうだ、セレスタとは感動の再会(?)だ。
「セレスタ、今まで身体を貸してくれてて、ありがとう」
「キュ」
「イェオラの身体でどうやって生きればいいのか、とか嫌だな、とか思ったときもあって、ごめんね」
「キュゥ」
「――一緒に生きててくれて、ありがとう」
「キュウ!」
「ふふっ、本当に私の言葉がわかってるみたい」
セレスタの元気な声に励まされて身体に力が戻ってきた気がする。途端に、ソワソワと落ち着かなくなってきた。
「……閣下たち、いつ頃来てくれるかな?」
セレスタはくりっと首を捻っている。そうだよね、わからないよね。
窓から見える太陽の位置を考えると、お昼前後くらい?
もし昼餐の時間だったら、まだまだ後になりそうな気がする。それまで、この不審者を見張っている? ――無理。
見張っていなきゃいけないのはわかるけれど、いつ目を覚ますのかと冷や冷やしながら過ごすのは、いくらセレスタが頼もしくても遠慮したい。
昼餐の時間だとして、閣下は令嬢たちのお相手をしている可能性が高いよね。確か鳥の巣頭さんが放置し過ぎだと怒っていたし、アリアンナ殿下が来館していることを悟られないためにも注意を引くようにしているはず。
セイレア様も他の令嬢たちと一緒に昼餐に参加しているだろう。
鳥の巣頭さんはどうかな。給仕をする使用人は他にいそうだけれど、閣下が令嬢たちに時間を割く分、代わりにお仕事をしていそうな気がする。
「……アリアンナ殿下なら、お部屋にいらっしゃるよね」
「キュァ?」
アリアンナ殿下は令嬢たちにバレないようにお部屋を出ないだろうから、お昼ご飯もお部屋に運ばれているだろう。それに、たぶんお部屋もここからそれほど離れていないはずだ!
そう思ったら、一刻も早くこの部屋から出たくなった。
不審者が目を覚ましたら魔法で逃げる可能性はあるけれど、それは私がいても防げることじゃない。それにさっきはセレスタのお陰で不意を突けたけれど、今度また同じことができるとも思えないし。
「セレスタ、行こう!」
「キュ!」
足に力が戻っているのを確認して、セレスタをローブの内側に隠してから私は部屋を出た。
廊下に出ると、私とセレスタがいたのは本館の東側にある棟だとわかった。
もし変わっていなければ、アリアンナ殿下のお部屋は廊下の一番奥にあるはず。
ローブのフード部分をしっかり被って、できるだけ壁沿いを音を立てないようにして歩く。
「あは、セレスタ動かないでっ」
「キュ……」
ローブの中でセレスタが動くと、素肌にふわ毛サワサワしてくすぐったい。
セレスタに気を取られていた所為か、私は後ろに迫っていた気配に全く気付かなかった。
「――何者だ!!」
「きゃぁ――ッ!」
壁についていた左腕を思いっきり引かれて、くるりと身体が返されたと思った次の瞬間には、壁に左手が縫い付けられていた。……というか、本当にローブの袖が短剣で壁に縫い付けられている。
引っ張られた勢いで前を止めていた留め具が外れてローブがはだけてしまった。セレスタがぽろりと顔を出す。
「セレスタ!?」
「と、鳥の巣頭さん――」