第1章-幕間 狗ノ間(緋霊side)
岩のような黒い地盤に、陽の光が一切当たらない暗闇の空で構成された祟魔たちが住まう世界——祟界。
そんな祟界の西方には、白陵伏魔殿という黒い瓦屋根に白い漆喰壁で構成された神殿を思わせる建物があった。
ノックと共に伏魔殿の一室の扉が開く。
「失礼します。狗無様」
そう言って入ってきたのは、毛先の跳ねた赤髪に赤眼の大柄な男——緋霊。
臙脂色の着物と袴を纏った彼は、木目調の壁床を基調とした部屋を進んで机の前まで立ち止まる。
緋霊の視線の先では、この部屋の主・狗無が椅子に座っていた。
襟足の長い白髪に白眼、白の着物に袴と全身白一色の狗無は、やってきた緋霊に対して口を開く。
「戻ったか緋霊。経過はどうだ?」
「狗無様の指示通り、低級祟魔による北桜秋葉の殺害を二度試みましたが、いずれも代報者の邪魔が入り失敗。現在、標的は愛宕山にて潜伏中です。一週間見張っとりますが、あの様子やと数カ月は出てこうへん思われます」
狗無の問いかけに、緋霊は標的である北桜秋葉の殺害に伴うこれまでの任務報告を簡潔に告げた。
「流石にあそこに入るのはお前でも厳しいであろう。標的が出てくるまでは待機でかまわん」
「ですが……」
完全に任務が手詰まりとなってしまい、緋霊は不服そうな声を漏らす。新年が始まってから早三週間。標的のいる愛宕山には厳重な結界が貼られているため、容易に入ることは疎か、入れたとしても戻って来れるか保証がない。狗無が待機と命じるのも無理はない。
「光陰から殺害の任を仰せつかってまだ二月も経っておらん。期限は来年の三月末まで。殺せば間違いなく等級昇格だが、そう焦ることは無い。待っている間に新たな啓示が下るやもしれぬしな」
「……承知しました」
白陵伏魔殿の主である光陰から正式に任務を受けたのは、去年の十二月。
『数年の後、この国は災厄に見舞われる。その災厄を防ぐ鍵となるのは北桜家の少女』だという災厄の予言から三年が経とうとしていた時だった。
任務の内容は、次の災厄までに一番の障害となる北桜秋葉を殺すこと。期限は標的が二年に上がるその時まで。任務をこなせた暁には、等級昇格が行われるという。
等級昇格は実力主義社会である祟界を生き抜く祟魔にとっては至極重要なもの。地位の低い低級祟魔は元より、緋霊たちもそれを狙って北桜秋葉殺害の任を受けていた。
「それと、一度目の殺害任務に参加していた低級祟魔から気になる報告を受けまして」
「というと?」
「標的の傍に何や得体のしれん不気味な気配があったいうんです」
「不気味な気配か……」
緋霊から追加の報告を受け、狗無は考え込むようにして視線を落とす。
「分かった。光陰には我から報告しておこう」
視線を元に戻した狗無が口にすると、緋霊は了承したと頭を下げて言った。
「ところで、兄様と姉様は?」
「蒼霊と翠霊なら、今は別の任務に就いておる。夜には戻ると思うが、どうした?」
「実は、この一週間なんも動きがのうて暇じゃったんで、前々から狗無様と兄様と姉様に頼まれとった土産を買うてきたんですが……」
緋霊は懐から小包を取り出して机に置く。小包の包装紙には『市松・いちご大福』と印字されていた。小包を見てそれまで硬かった狗無の表情が一瞬、柔らかくなる。
「であれば、あやつらには我の方から渡しておく。下がって良いぞ」
「ありがとうございます。では吾はこれで」
緋霊は一礼した後、部屋を後にするのだった。
これにて第一章完結です!
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