第1章-第10社 愛宕山稽古(前編)
迎えた年明け。年末年始の繫忙期を乗り切った秋葉は、軽動術試験に向けた稽古のために熾蓮と一緒に愛宕山へと来ていた。
軽動術とは、世間一般でいうところのパルクールに該当するもので、縦横無尽に街中を駆け回りながら祟魔を祓わなければならない代報者にとっては必須科目ともいえる。
「ここが俺ら普段使ってる稽古場や」
「おぉ~、結構広いね」
山の斜面から下を見下ろせば、宙にぶら下がった無数の丸太や木と木の間に麻縄が繋がれていたり、藁人形が置いてあったりと如何にも忍びの修行場のような空間が広がっていた。
些か足場が不安定だが、軽動術をやる上では適した環境と言えるだろう。と、宙に白い光が発生し、エルが現れた。
「やっほー、元気にしてたかい?」
「そら元気やけど、なんで呼びもしてへんお前までおんねん」
エルが笑みを浮かべながら訊くと、熾蓮は怪訝そうな表情でエルを睨みつけた。
「別に良いじゃな~い。忍者の修行場がどんな感じなのか見てみたかったし」
「ったく。くれぐれも邪魔だけはするんやないで」
「分かってるって~」
熾蓮の忠告を受けたエルは緩い口調で返す。本当に分かってるのだろうかと訝しげにエルを見つめた秋葉は上空を通過する愛宕山ケーブルカーへと目を向ける。
どうやら稽古場一帯には認識阻害の結界が張られているようでケーブルカーの乗客はこちらを見向きもしていなかった。と、次の瞬間、後ろから風を切るような音が聞こえ、秋葉はすぐさま振り向く。
「っ……⁉」
目の前まで苦無が迫る中、秋葉は咄嗟に横へ飛んで避ける。同じくエルと熾蓮も同様の攻撃を受けたようで躱していた。
「な、何? もしかして祟魔……?」
「いや、ちゃう。あれは――」
先ほどいた地点に刺さった苦無を見て秋葉が動揺するも、熾蓮が苦無の飛んできた方向を睨みつけて否定した。その直後、木の上から一人の黒装束を纏った女が飛び降りてくる。
「ほう、なかなか筋がいいなお前」
腰までの茶髪に赤メッシュの入った髪を下で三つ編みにした女は、着地したと同時にニヤリと笑みを浮かべながら秋葉を見た。翡翠色の瞳をした彼女と目が合い、思わず背筋が凍る。
「おい、感心しとる場合か! 何、護衛対象に向かって苦無投げとんねん!」
「後、ボクに投げる必要なかったよね⁉」
女に向かってツッコミを入れる熾蓮とエルに、理解が追い付かず秋葉は首を傾げる。
「いやぁ、すまない。熾蓮の腕が鈍ってないかの確認と護衛対象の秋葉と創造神であるエルの実力がどのぐらいか見ておきたくてな」
女は困ったように笑いながら、秋葉とエルを見た。秋葉が護衛対象と言うことと、エルが創造神であることを知っている人はごく少数だ。
加えて、さっきのやり取りを見た感じ、熾蓮と知り合いらしい。これは何かあるな。そう思った秋葉は熾蓮へ顔を向ける。
「……熾蓮、この人は?」
「あー、俺の師匠で同じく忍びやっとる」
終業式があった放課後に大神学園卒の師匠がいると熾蓮が言っていたが、この人のことだったようだ。
「伊賀愛宕衆若頭の御守華南だ。あぁ、例の予言や秋葉が祟魔に命を狙われていることついては既に聞いているから説明しなくて大丈夫だぞ」
「な、なるほど。改めまして北桜秋葉です。で、こっちが」
「エルだよ~、よろしくね華南」
自己紹介を終えると、エルは秋葉の元にやって来た。今まで熾蓮を筆頭とした愛宕衆が秋葉の護衛をしていたのだから、華南が秋葉やエルのことを知っているのも頷ける。
「で、何しに来たんや? 今日は集合かかってへんやろ?」
「おい、年上に向かってなんだその口の利き方は」
腰に手を当てながらジト目で話す熾蓮に、華南は気に食わないと言いたげに眉を顰めた。
「前に敬語は堅苦しいから、タメで話せ言うたんはどこのどいつやねん」
「すまんすまん冗談だ。何、護衛対象の秋葉が総本山たる愛宕山に来ると聞いてな。顔を拝むついでに稽古を手伝いに三重の方からすっ飛んできたという訳だ」
三重県からわざわざこっちまでやって来たのかと驚いていると、気づいた熾蓮から捕捉が入る。
彼の話によると、華南は三重県伊賀市にある愛宕神社に所属しているようなのだが、普段は右京区内にある太秦映画村でアクション指導のバイトをしているらしい。
「ほんで、わざわざこっちに来た本音は?」
「久々にお前をしごきに来た」
「頼むからはよ帰って?」
華南の答えに熾蓮は嫌そうに顔を歪めるが、彼女は気に留めることなく話を続ける。
「秋葉にだけやらせるわけにもいかんだろう。お前も付き合え」
「ハイハイ。分かりましたー」
圧の篭った笑みを向けられ、折れるしかないと判断したのか熾蓮は面倒そうに返事をした。華南の扱いに慣れているなと思いながら、秋葉は二人のやりとりを眺める。
「さっそく稽古を始めていくが、ただ地道に軽動術を習得するだけでは面白くなーい!」
「うっっわっ、面白センサーが起動しよった」
「面白センサーって?」
秋葉が思わず溢せば、熾蓮は念話を飛ばして説明してきた。
話によると、華南は面白いことが好きで日々面白さを求めており、自分の面白いと思ったものへ突っ走っていく悪癖があるのだそう。
熾蓮自身、それに何度も付き合わされてきたらしく、傍迷惑な奴だと念話越しに愚痴を溢した。
「入学後の軽動術試験では鬼ごっこ同様、五十体の祟魔から十分間逃げ切らなければならん。そこで三人には今から十分間、私に捕まらないよう逃げ切ってもらう」
「え、ボクも?」
「あぁ。ここに来た以上は神だろうが何だろうがやってもらうぞ」
三人と言われて戸惑うエルに対して、華南は首を縦に振りながら告げた。と、巻き込まれたくないのか、エルはその場から消えようとする。が、あっという間に距離を詰めた華南に尻尾を掴まれた。
「おっと、逃げるのはなしだ」
「ねぇ、この子怖い……!」
いち人間たる華南に怯えるエルへ、同情の目を向ける秋葉と熾蓮。エルが観念したところで華南が手を離し、十分間の地獄の鬼ごっこが始まるのだった。




