6. 仮面を被った感情
「今日は〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!ボイトレでーーーーーーーーすっ!」
別日、またしても何も知らされずに事務所へ集合とだけ伝えられていた由梨奈。
案内されたのは配信でも度々使われていた、由梨奈もよく知る事務所のスタジオだ。
(声優活動と歌い手活動は別で考えるとか言ってたのに事務所のスタジオは使うんかい... )と思った由梨奈だったが、事務所のお偉いさんから「空き時間あったらスタジオは自由に使っていいよ〜」と言われたとのこと。使えるもんは使ことけ精神だ。
美里の隣に立っているのがボイトレ講師だろうか。年齢は30歳くらいの女性で、前髪が目にかかっており、口元だけではどんな表情をしているのかが伺えない。
「こちらがボイトレ講師のナツキチさん!事務所の先輩に紹介してもらったんだー!あ、ちなみにレッスン代はあたしが由梨奈に払うイラスト&ミックス代からの天引きねー。負担はあたしと半々!」
何も知らされずに自分の給料が減ってしまった。いやそもそもまだ稼いでもないのだが。これが控除額というやつか。社会人への一歩って感じだなぁ。
「あ、ナツキチと申します......本日はよろしくお願いします...... 」
「お願いしまーす!」
「よろしくお願いします。」
本音を言うと(このテンションの人が本当に歌が上手いのか?講師として教えられるのか?)と不安がよぎるほど暗い負のオーラを纏っており、幸先のあまりよくないスタートになりそうだ。
「...と、とりあえず一度お二人の歌をお聞かせ願いますか?」
「はい!」
どの曲のカバーを投稿するのかも決めていなかった2人が用意していたのは、先日2人で歌った美里のキャラソンだ。
実はあの後も何度か2人で集まって練習していたので、とりあえず曲は止めずに通すことは可能だ。歌割りも既に考えてある。
この場ではネット上の歌い手Yurinaという鎧ではなく、生身の鷹司由梨奈として歌う。
正直全身が恐怖で包まれているが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。
これが歌を仕事にするための大きな一歩になるんだ。
◇
「うーん。」
歌を聴き終わったナツキチは、胡座をかきながら何やら難しそうな顔をしていた。
「ちょっと待ってね。」
そう言ってカバンから取り出した水筒を開け、ゴクゴクと飲み始める。
ゴクゴク。ゴクゴク。
息継ぎも無しでめちゃくちゃ飲むなこの人。
「ふーーーーーーーーーっ。よし!」
そう言ってナツキチは気合いを入れるように髪を後ろで結び、その重たい前髪をピンで留めた。
その琥珀のような瞳にはやる気や熱意などの感情は読み取れず、とにかくミステリアスな雰囲気を醸し出している。
「君ら、どヘタクソやな!」
「......へ?」
……今、下手くそって言った?しかもど下手くそって??え、まだ美里だけ言われるならわかるけど、「君ら」ってことは私も入ってるよね。え、私のどこが下手くそ?いやその前に京都弁の威力つよ!京都人って遠回しに嫌味を言う種族じゃないの??てかそれボイトレ講師が一番言っちゃいけない言葉でしょ!!!!
「だっはっはっは!手厳し〜!由梨奈、あたしの気持ちがよく分かったでしょ......って思ったより効いてるなこれは。」
美里の目線の先には両手で頭を抱えながら自問自答し続ける由梨奈の姿が。
ネットに動画を上げればみんなが褒めてくれ、自己肯定感とプライドが高くなってしまった由梨奈にとって、自分の表現について指摘されるのはかなり辛い。
「まず近衛。」
「はい!」
「お前は技術力うんぬんの前に何も伝わってこん。お前が音楽を通して伝えたいことは何や?自分の世界に入り込みすぎや。」
「うーん。伝えたいことかぁ。あんまないかも?」
一切の悪気もなさそうに呟いた美里の一言が、ナツキチをヒートアップさせる。
「これやから手癖で商業音楽ばっかやってたやつは......この音楽業界には上手いやつなんてごまんとおる。お前は今まで声優近衛美里の副産物として歌も楽しまれてきた。でも今後お前が戦うのは歌だけの世界や。バケモンたちを押しのけて強くなるためには何かしらの想い、そして技術力がないとコアファンはつかんぞ。」
最近の音楽が廃れるスピードが早いのはこれが原因なのかもしれない。
ドーパミンに飢えた現代人をさらに刺激するには速いBPMで展開を目まぐるしく変える必要がある。だが、そのドパガキたちの中からコアファンはつかない。
一見彼らに受けの良い楽曲の方が、一時的に大きな利益を得ることができるかもしれない。だが、長い目で見るとコアファンをつけなければ短命で終わってしまう。
「ほんで次、鷹司。」
「......はい」
何言われるんだろう。やっぱり美里みたいにボコボコにされるのかな......
「お前はなんや......小手先のテクニックだけは一丁前やな。こう表現したら客が喜ぶってのがよう分かっとる。それは音楽業界では必要な技術や。ただ本質的には今美里に伝えたことと一緒や。仮面を被ったままの感情には誰も寄り付かん。」
「仮面を被ったままの感情......ですか。」
確かにその指摘は身に覚えがある。
「おっしゃる通り...だと思います。どうしても家でレコーディングをする時に感情を乗せすぎると音楽が歪になってしまう気がして、小手先の表現力に逃げてしまっていました。」
レコーディングで感情を乗せて歌っているその瞬間は自分に酔っている。だからこそ、それを冷静に、客観的に聴き直した時にはその温度差を強く感じてしまう。
「ほう、てことは自分は結構Rec経験があるんやな。ええことや。その答えは簡単。技術力不足や。」
「技術力不足...ですか...... 」
技術力には自信のあった由梨奈だったが、そこを指摘されるのは今までの自分を否定されているような気がしてしまう。これもずっと1人だけの世界に篭っていた弊害なのだろうか。
「そう。ただその技術力ってのは宅録でできる限界を超えた先に求められるものや。」
「......と言いますと?」
「鷹司はもう宅録の極致には達してる。ただ、職業として大成するにはあと2つ、新しいステップを取り入れる必要がある。まぁそれはまた今度やな。今日は君らの表現の殻をぶち壊すのが目的や。」
宅録の極致には達してる。自分の口角と頬骨が自分の意思と反して持ち上がっていくのを感じる。だがそれをナツキチさんと美里に見られるのは恥ずかしい。
「んんっ?んんっ??わ!由梨奈めっちゃニチャついてるー!肩震わせてデュフデュフ言ってる!かわきもー!」
「美里、命は一つしかないんですよ?そんな無駄遣いしていいのですか?」
「その笑顔のまま目のハイライトだけ消すのは流石に怖すぎるからやめて。」
「ん、ほな続きやるでー」
◇
どんどんナツキチの指導に熱がこもる。熱がこもり、耳まで赤くなっている。
よほど暑いのか汗も止まらず何度も水分補給している。
……あれ、なんかナツキチさん、呂律が回らなくなってきてないか?もしかして...いや、さすがにそんなことはないか......?
「ナツキチさん、その水筒の中身って何ですか?」
「......麦茶やで?見る?ほら茶色いやろ?」
なぜか顔を背ける。そしてそのまま水筒を差し出してくる。
「うわくっさ!これウイスキーじゃないですか!しかもストレート!?この量を!?水も飲んだ方がいいですよー?」
成人している美里にとっては嗅ぎ慣れた香りではあるが、まだ17歳の由梨奈にとっては初めてのウイスキーの香りだ。その刺激臭で思わず後退りしてしまう。
(指導中に酒飲むってどういうこと......?でもこれが音楽業界では普通のことなのかな......?私ももっと慣れてかないと......!)
「せやなぁ...... 」
そう言ってどこからかロックアイスと炭酸水を持ち出し、そのウイスキーの入った水筒にガラガラドボドボと注ぎ始める。
「いやそういうことじゃなくて!?ただハイボールができただけでは!?」
「んー、まぁ腹に入れば一緒や。薄まってるから倍飲める。」
その後酩酊状態になったナツキチは指導困難な状態になり、由梨奈と美里の2人でナツキチをタクシーに突っ込み、レッスンはお開きとなった。




