4. 罵り合い
「まずは発声練習からしましょうか。美里は声の良さも演技で培った表現力もあるので、練習したらすぐに上達すると思いますよ!」
「おっ、やるか!それじゃあ先生、よろしくお願いします!」
推しに先生と呼ばれて少しデュフっとニヤつく由梨奈。向上心がある相手には自分の持てる知識を惜しみなく注いであげたいと思う。
「まずは下のドから2オクターヴ上がって下がってみましょうか。」
「おっけぃ!」
由梨奈は卓上にあるキーボードを鳴らしながら、目を瞑って美里の歌声に耳を傾ける。
(美里の下手さは何が原因なんだろう。ピッチが不正確なこと以上に何か大きな問題がありそう。そもそも声質も良くて表現力もあるってことは、耳が良いってことだ。そんな美里がピッチだけ悪いなんてことはありえない。何か見落としは...... )
ふと片目を開けて美里の方を見ると、彼女は目を瞑って歌っている。そして、少しずつキーボードのガイドの音からズレてきている。
(これだ!)
「んー?」
キーボードを弾く手を止めると、美里が不思議そうに首を傾げながら由梨奈へと視線を移す。
「美里、自分の世界に入り込んでますね。」
「あ、またやっちゃってた?昔からずっと言われてるけど全く直んないんだよねぇ〜。」
おそらく「直らない」ではなく「直そうとしない」が正解なのだろうが、由梨奈はそこにはあえて突っ込まない。
「美里は持って生まれた耳の良さがあるので、おそらく、周りの音に敏感なんだと思います。」
「耳が良い」にも多くの種類と傾向がある。
音楽的な耳の良さには、サウンド(倍音)を聴き取れる耳、ニュアンスを聴き取れる耳、ピッチや音価を聴き取れる音感の良さなどが挙げられる。
後天的にこれらの能力を鍛えることも十分可能だが、年単位で時間がかかる。
美里が特に秀でているのは2つ目だ。彼女の表現力の多弁さはここからきている。
他の2つの音感も優れているが、「音感が優れている」のと「それを再現できるかどうか」はまた別の問題だ。
相応のトレーニングが必要になるが、美里は持ち前のめんどくさがりの性格から、それを避けてきた。
「へぇー!あたしそんなことになってたんだ!全然気が付かなかった!」
嬉々として自分の仮定に反応してくれる美里を見ていると、由梨奈はもっと世話を焼きたくなる。ダメな男に引っかかるタイプだ。
「じゃあ、次は私の目を見て一緒にキャラソン歌いましょうか。」
「うん!!」
初めはユニゾンで。
お互いの目を見ながら歌うと、より相手の意思が伝わりやすい。
(今の美里には相手に合わせる能力はまだ備わっていない。ならこっちが寄り添うまで... )
途中で由梨奈がハモりに移動すると、美里は一瞬驚いた表情見せるが、すぐに持ち直す。
由梨奈と歌を創り上げている美里の表情には、画面に見せていた仮面ではなく、素の楽しさが浮かんでいた。
(すごいすごい!由梨奈すごいよ!)
音楽で感動した時...それは単に涙を誘うような感動ではなく、文字通り心が動かされた時に無意識に口角が上がってしまう。そして全身の血液が急速に沸騰し、遅れて鳥肌が立つ。
音楽とは先人たちが残してきた知識と経験の塊である。だが最終的に人が追い求めるのは、この無垢の感動なのかもしれない。
「なにこれすごい!由梨奈すごいよ!え、あたしってこんな歌うまかったんだ... 」
「いや、別に上手くはないですよ。むしろ下手くそです。」
「なんで!?今めっちゃいい感じだったじゃん!」
芽が出始めた植物をニコニコしながら根っこから引っこ抜いてしまう由梨奈のサイコパスぶりに、美里は目玉が飛び出そうになる。
「それは私が美里に合わせて、美里が好き勝手するのをサポートするように歌ったからです。まず美里は自分が下手くそなことを自覚することから始めましょうね。」
ナイフで風穴が空いた腹に海水を流し込んだかのような痛みだ。
数年間表舞台で活躍したことで形成された美里のプライドを刺激......しなかった。
「あ〜ぁあ〜。そんなこと言うんだぁー。じゃああたしも由梨奈の秘密暴露しちゃお〜。」
「いいですよ。言えるもんなら言ってみてくださいよ。」
(私と美里は会って間もない。そして私はツイートをすることもほとんどない。攻撃する隙なんて一切ない。完璧だ。)
「おやおや自信満々ですねぇ”蒼穹を拒む深海の堕天使”さん?」
「......!な......なぜそれを...美里が......知っているんですか...... 」
蘇る数年前の忌まわしい黒歴史。
これまで絶対に血が通らないように栓をしていた血管に超高圧力で血が流れる。全身のリソースが脳に持っていかれ、脚から力が抜けていく。
「いやぁ、あたしがモブでデビューした時からやたらとリプしてくれてた女の子がいてね。当時のあたしもファンがついてくれたことが嬉しくて嬉しくてその子のツイート全部チェックしてたんだぁ〜!」
見上げた先にある美里の顔は勝ちを確信しているようだ。
腕を組んで仁王立ちの状態で某海賊女帝のように由梨奈のことを見下ろしている。
「で......でもあの頃とはアカウントも変えてるのに...... 」
「前のアカウントのアイコン、今と似た感じの青髪ロングウルフの女の子だったでしょ?なんか雰囲気とかツイートのポエマーっぽい文言とか似てるな〜って思ってたんだけどね〜。まさか本当に由梨奈だったとはね〜!」
「......その言い方、もしかしてカマかけたってことですか......?」
「うん!いやぁ実にいい反応だったなぁ〜!別名”リヴァイアサン”。最近は混沌とは戦っていないのかな?うん??」
脳に集中させたリソースももうエネルギー不足だ。力が抜けてしまい、文字通り地面を舐めることしかできない。
「う、うぅ、もうお嫁に行けない...... 」
「大丈夫だって!ほら、結婚の約束してた深淵に囚われし天使ルシファーくんがいるじゃん!あ、でもあれって由梨奈の自作自演だったんだっけ??」
死体蹴りにもほどがある。
「殺すなら殺せぇぇええええええええええ!!!!!!」
大の字になって叫ぶ由梨奈の断末魔は、全て防音室の吸音材に吸収されていった。




