3. こう言ってはなんですが、
結成の翌日、由梨奈と美里は鷹司家に集合していた。
「おぉ〜ここが由梨奈ん家かぁ〜!」
(うち、そこそこ裕福な方だけど、さすがに近衛美里の家と比べられるのは嫌だなぁ。)
◇
結成したはいいものの、このユニットには一切の実績が無いので、そもそもレーベルから十分な予算がおりない。
今まで美里が歌の仕事で使ってきたようなレコーディングスタジオは、一日借りるだけでエンジニア込みで10万円を超えてくる。
とてもじゃないがそこまでの金額はそう簡単には出せない。
それ故に簡易的な録音設備があるという由梨奈の家で一度レコーディングをしてみようという話になったのだ。
「──二日前までの私には、まさかあの近衛美里を実家に招くことになるとは思わなかったですよ...... 」
人生の歯車が本格的に動き出した音がする。
いや、本来存在し得ないはずの歯車が急に現れてフルスロットルで動き始めた音がする、と表現する方が適切だろうか。
「えへへぇ〜。親御さんはお仕事中なのー?」
由梨奈の表情がほんの一瞬、引き攣った。
しかし、その「間」に美里が気がつくことはなかった。
「はい、仕事で帰ってこない日も多いんです。お茶準備するので、先に私の部屋入っててください。」
先に由梨奈の部屋に入った美里は、その部屋の状況に思わず感嘆のため息が漏れ出る。
目立つものは机とベッド、そして簡易的な組み立て式の防音室という、およそJKとは思えないほどの初期装備ぶりに、数瞬、言葉を失った。
「わーぉ、さっぷうけ〜〜〜い。」
「悪かったですね殺風景で!」
思ったより美里から漏れ出た声が大きく、キッチンの方から怒号が飛んでくる。
「おっと聞こえてたか。ごめんごめん。」
防音室は3畳程度で組み立て式のようだ。
テーブルの上はPC、小型のペアスピーカー、キーボード、そしてマイクとPCをつなぐオーディオインターフェースが設置されている。
ライブ配信者のセッティングとかなり似通っている。
「とりあえず、早速録音してみませんか?美里の生歌聴いてみたいですし!」
由梨奈にとってみると、美里は憧れの存在だ。
推しの裏側を見ることができるチャンスは、通常どれだけ望んでも手に入らない。
今お茶を飲んでゆっくりする時間さえ惜しいと感じるほど、胸の高鳴りが抑えられない。
「おぉ〜じゃあいっちょやりましょかぁ〜!」
腕を大きく伸ばし、ストレッチをする。
由梨奈はPCで作曲ソフトを立ち上げ、マイクとインターフェースを接続する。
ストレッチが済んだ美里は椅子に胡座をかいた状態で座っており、左右に揺れながら上機嫌そうに鼻歌を歌っている。
「曲はっと......これにしましょう。実は美里の最後のキャラソンカバーしようと思ってカラオケ音源作ってたんですよ。」
「まじ!?まだ動画上げてないよね!?あたし観てない!」
「本当は今日録ろうと思ってたんですけどね。せっかくの機会なので本人に歌ってもらおうかと。」
「オッケーまかせろ!本家の実力見せちゃる!」
美里は自信満々の様子でヘッドフォンを装着する。
軽くサウンドチェックをし、いざ録音開始だ。
「──どうよっ!」
冒頭のフレーズだけ録音をし、美里は自信満々な顔で由梨奈の方に振り返る。
だがしかし、由梨奈は目の焦点をPCの画面に固定したまま目を丸くしている。
その目には先程までの輝きは無いように見える。
「スーーーーーーーーーーッ」
子音が空気と共に由梨奈の歯の隙間から音を立てて漏れ出る。
ぽん・ぽん・ぽんと木魚が鳴りそうな間が生まれる。
「美里......こう言ってはなんですが、歌ヘッタクソですね!」
オブラートに包んだ言葉を脳内辞書の片っ端から探したが見つからなかった由梨奈は、開き直った作り笑顔で、美里に一番ストレートな形で残酷な事実を突きつけた。
「今めちゃくちゃ言葉選んでたけど、選んで出てきたのがそれ!?」
明るく振る舞う美里だが、元ファン兼自分が好きな歌い手に直接歌が下手だと言われるのは少しショックなようだ。
「これでもだいぶ抑えました。でも、今まで美里に抱いてた疑問が解消しました。」
「ん?疑問?」
「美里、エンジニアさんの補正だったりMix技術に頼りきってますよね?」
(Mix: 音源編集のこと。リバーブで空間の響きを作ったり、音のバランスを整えたりする作業のこと。)
「うん!いっつもエンジニアさんがものすごい頑張ってすごい良い感じにしてくれるんだ!魔法みたいだよ!」
一切の悪気も無さそうに話す美里に、由梨奈は姿勢を正して真剣な目つきで美里を見つめる。
まるで我が子を諭すように叱る親のようだ。
「美里、いいですか。編集だったりMixと言われる作業は、何も魔法じゃないんです。例えば美里自身は自分の歌が平坦に聴こえたことはありませんか?」
「ん?ないかも!」
「これだから今どきの人は...... 」
「どちらかというと由梨奈の方が今どきの人だよ〜。」
もっと自分の歌に責任を持ちなさいよという意味を含んだ言葉だったが、美里にその本意は届かなかったようだ。
「美里はピッチ補正に全幅の信頼を置いているようですが、補正にもそれなりに代償があります。一番影響を受けるのがニュアンスです。」
「にゅあんす?」
「そう。例えば細かい揺れみたいなビブラートを入れたり、音と音の間をベンドしたり、まぁ、機械音声では表現できない細かい人間らしさみたいなものです。補正を強くかけるほど、その個性は失われてしまって、機械音声みたいな平たい完成品になってしまうんです。」
「ほぉ〜!え、じゃあ由梨奈はさ、サブスクとかで音源聴いて、ここ補正されてるな〜とか分かったりするの?」
「ピンポイントで分かる場合もありますけど、大半は分からないです。でも、全体的に不自然なフラットさが目立つ音源は結構耳にしてたんですよね。今その謎が解けましたけど。」
「へぇ〜、由梨奈耳良いんだねぇ〜。あたし全然分かんないからいっつもエンジニアさんに任せっきりだったよ〜。」
美里に褒められて少し鼻の下が伸びそうだが、何かが引っ掛かる。
「......ちょっと待ってください、YouTubeの一発撮り動画ってもしかして......!!」
今この場で体感した美里の歌の下手さと、YouTubeにアップされている一発撮り動画の実力が釣り合わない。
そして今思えばあの動画は一発撮りと謳っておきながら、全員のピッチが違和感のない程度に補正されていた。
(複数人で同じ部屋で同時に歌った場合、それぞれのマイクが全員分の音を拾うから、ピッチ補正はできないはず......ということはやっぱり......!)
「あちゃー、バレちゃった?あれあたしたちのグループは個別で録音して、本番は口パク撮影だったんだよね〜。あれ多分あたしたち以外の複数人で歌ってる動画もほとんど別撮りじゃないかなぁ?」
「音楽業界の闇を感じる...... 」
「まだまだいっぱい闇あるけど、聞く!?枕営業の話とか!」
仲間内で話すにしても信頼関係や裏切りの可能性がある。美里は愚痴を吐ける相手もいなかったことからウキウキで目が輝いている。
「いや、これから音楽業界で生きていくことになるのに初めからその辺の話を聞くのはちょっとキツい...... 」




