2. 理想と偶像
「一旦落ち着くために座りませんか?」
マネージャーの横槍が入り、興奮で息が上がっていた美里と、パニックになって会話もまともにできなくなってしまったYurinaは、倒れたパイプ椅子を直して向かい合わせで着席した。
美里は興奮冷めやらぬといった様子で、いささかドッグフードを目の前にして飼い主に「待て」をさせられている犬のように目が輝いている。
(まだ近衛美里が目の前で喋っているという事実を受け入れられない......だ、だって推しだよ!?)
とりあえず全員一旦テーブルの上に用意されていたお茶を飲んで心を落ち着ける。
Yurinaが歌い手を始めた理由は色々とあるが、その一つに近衛美里への憧れは絶対に欠かせない。
美里が初めてアニメでモブキャラを担当した時からその声に魅了され、つい先日の卒業ライブにも足を運んだ。
卒業から1週間が経過して、ようやく推しが姿を消した悲しみと向き合い始めたところだった。にも関わらず、今目の前にはその推しが、どんなイベントよりも近い距離で、Yurinaだけを見ている。
「はい、近衛さん、自己紹介。」
飼い主に「よし」と言われて目の前のご飯に飛びつくような勢いで息を吸い込む。
「えっとね!あたし... 」
「あ、もう全部知ってるんで大丈夫です。」
Yurinaにとっては一番の推しの存在だ。自己紹介なぞされなくとも美里のことはよ〜く知っている。
(何よりずっとこのテンションで喋り続けられると私の体力が保たない。)
「えぇ〜、つれないなぁ。」
美里が目を細めながら口先を尖らせる。
「私の自己紹介しますね。Yurinaという活動名で趣味で歌い手をやっています。」
「うん〜、知ってるぅ〜。」
テーブルに両肘をついて顎に両手を当てた美里がニヤニヤと答える。
(なんでだろう、イベントでも画面越しでもこの人見てた時は憧れの存在で眼福〜!って感じだったのに、こうして目の前で会話すると変にムカつくな。)
「だってあたしがキミのことスカウトしたんだもん。」
「はぁ?」
Yurinaはまさかと自分の耳を疑った。
「うん、だから、あたしは歌い手Yurinaの大ファンなんだよ。あたしのキャラソンとかアイドルの曲とかもいっぱいカバーしてくれてるでしょ?それで興味持ってキミのチャンネルの動画とかSNSとか全部追ってるんだよ。Yurinaのことをあたしが知り尽くした上でスカウトしたんだ〜。」
本名:鷹司由梨奈、17歳。
とある理由から、幼少期の頃から腫れ物扱いを受けており、不登校になる。
そこで出会ったのが歌ってみた動画。
中学の頃からお小遣いを貯めて歌みたカバーのMV制作を行い、活動5年の現在はYouTube登録者80万人の人気クリエイター「Yurina」として活動しており、その圧倒的な歌唱技術が評価されている。
私生活は一切ネット上に載せておらず、SNSには歌に関する投稿しかしない。そのミステリアスさも人気を博す要因の一つだ。
(近衛美里が!推しが!私のファン!?はぁ!?)
インターネット投稿者の全員(当社調べ)が、「もし推しが自分のファンだったらいいなぁ」と考えたことがあるが、まさか由梨奈は自分が当事者になるとは思ってもいなかった。
「そりゃびっくりするよねぇ〜。でさ、本題に入る前に身の上話をしておきたいんだけど。」
美里の顔が真剣になる。不思議と部屋の空気が硬くなるような気がした。
(あれっ、近衛美里のこんな顔見たことないかも。)
今まで由梨奈が見てきた美里は、声優イベントやアイドルライブで笑顔を振り撒いている姿ばかりだった。
「あたしの廃業理由って知ってる?」
(ドストレートだなぁ...大体その手の引退理由って隠したがる人が多いイメージだけど。)
「うーん、結婚...とかですか?」
「まぁみんなそう考えるよね〜。でもそうじゃなくて、本当は、演者としての仕事を評価してもらえなかったから嫌気が差したんだ。」
(演者としての仕事が評価されなかった......?私から見たら順風満帆に見えてたけど、トップの人間には独特の悩みがあるんだな。)
「ねね、由梨奈はさ、なんであたしのこと好きになってくれたの?」
シチュエーションによっては百合が始まりそうな展開に、少しばかり由梨奈の心が揺らぐ。
自分が推しに愛を伝えるというのは誰でも緊張する。ただ、今回に限ってはそういう話ではなさそうだ。
妄想から戻ってきた由梨奈は目を瞑って浅めの深呼吸をして、美里の目をしっかりと見ながら話し始めた。
「私は正直 、"みんなの憧れの近衛美里” が好きだったんだと思います。声優としてもアイドルとしてもあれだけ忙しそうだったのに、イベントでも純粋に楽しそうにしている姿が、私には全て輝いて見えたんです。」
「うんうん、ありがとうね。他のファンの子たちも似たような認識だったと思うんだ。あたしもそのおかげでここまで来れたから本当に感謝してる。でも、あたし途中で気づいちゃったんだ。皆が求めていたのは”演者”の近衛美里じゃなくて、”偶像”の近衛美里なんだって。」
由梨奈にとって心当たりがありすぎる内容に、言葉が少し詰まる。
「......ということは、自分の演技や歌ではなく、ルックスや偶像化した近衛美里を評価されるのが嫌だったってこと......?」
まさに由梨奈自身の応援の仕方が咎められているような気分になる。
「そういうこと!あ、別に由梨奈を含めたファンの応援が嫌だったとかじゃないよ?これはあたしと事務所の売り方の問題、ひいては業界全体の課題の一つでもあるんだ。ほら、最近の女性声優なんて水着写真集出す子もいるくらいじゃん?だからさ、あたしは全てをやり直そうと思ったんだ!」
美里は焦って嘘をついている様子もなく、本心から言っているようで、由梨奈は胸を撫で下ろす。
「で、本題なんだけど、由梨奈とあたしとで一緒にネットで天下取らない!?」
「てっ、天下!?」
由梨奈自身もある程度何を言われるかは予想していたが、まさかここまで突飛なことを言われるとは想像もしていなかった。
「そう!純粋な歌唱力とアーティスト性だけで勝負するの!媚び売った目先だけのバズなんかは狙わずに、実力と戦略で勝負する!どう?やってくれるかな?」
こちらがNOと言える選択肢はどこにもなさそうだった。
由梨奈も最近の世間の音楽の売り方に関して、疑問に思う部分は多かった。
そんな業界へのアンチテーゼとして自分が大きく影響を与えられるかもしれないという大きな期待感に、久しぶりに胸が高鳴ってきたのをビリビリと感じる。
「いいですね、やりましょう。」
今まで下がっていた由梨奈の口角は、無意識のうちに上がっていた。
「そうこなくっちゃ!」
(あぁ、私はこれからこの人と一緒に音楽をするんだ。でもライブとかどうするんだろう。顔出しだけは... )




