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16. 美里と由梨奈

「由梨奈さん、大変です。」


 5曲のオリジナル曲のうち、4曲目のレコーディングが終わった。

 いつもならすぐにスタジオから撤収していたが、美里はサブルームの椅子に座って神妙な面持ちでまっすぐ前を見つめている。


「急に改まってどうしたのですか。」


 由梨奈も向かいに座って、美里と目を合わせる。美里の後ろではスタッフたちが撤収作業で慌ただしそうにしており、少し気が散ってしまう。

 そして由梨奈の真後ろでは、アルコールで出来上がった状態でボーカルディレクションを担当したナツキチが、疲れ切った様子でいびきをかいている。


「チケットが思ったより売れていません。」


「えぇ...... 」


 そう、予想外にもチケットの売れ行きがあまり良くないのだ。

 一次先行である程度の売れ行きをコントロールするつもりだったが、予定していた数字を大きく下回り、想定外にも定員割れしてしまっている状況だ。


「最悪の想定だと、武道館キャパの半分くらいしか埋まらないかも...... 」


「あんなにファンついてるのになんで...... 」


 2人して斜め下を見つめてしまう。


 現時点でのMYDeaLのYouTube登録者数は50万人を超えている。

 自信を持ってソールドするだろうと高を括っていた分、ショックは大きい。


「どのアーティストさんも似たような状況みたいで、最近はネットで映像が観れるから現地に行く人は減ってきてるみたい。」


 時は大ドパガキ時代。

 わざわざライブ現場に足を運ばずとも、SNSで自分が好きな映像や音楽だけを選択できる。もちろん、ライブ映像も山のようにアップされている。


 アーティストのファンは非常に熱狂的で、非常に冷酷だ。

 当たり前のことではあるが、彼らはよほどの魅力がなければライブ現場に足を運んではくれない。


「だからあたしたちも一つ、ファンがライブに行きたくなるような何かが必要だと思うんだけど...... 」


「何かいいアイデアでもあるんですね。顔に書いてありますよ。」


 美里は神妙な面持ちで顔を上げたつもりだったが、由梨奈には全てお見通しらしい。


「あ、バレた??......ねぇ由梨奈!顔出ししない!?」


「......は?」


「今まであたしたちは歌唱力にこだわって伸びてきたじゃん?だから今いるファンは全員あたしたちの歌を魅力に感じてくれてる。だからここで顔出ししたらそれがブースターになってもっとあたしたちの音楽に興味を持ってくれる人が増えるんじゃないかなって!これからもっともっと売れて羽ばたいていかないとだから、仕掛けるならライブ控えてる今が勝負かなって思って!」


 まるで飼い主にかまって欲しい犬のように、美里はよく喋る。


「美里......でも、私はおか」


「ダイジョーブだって!由梨奈めちゃくちゃ可愛いからな〜んの心配もいらない!歌に関してはあたしの100億倍うまいし、歌い手Yurinaの登録者も何十万人もいる!それからそれから」


 それはもう、本当に犬のように。由梨奈の反応も顧みずに。


 由梨奈と、目も合わさずに。


「......美里。」


「んー?」


「まさかあなたがそこまで冷たい人間だとは思ってもいませんでした。」


「えっ」


 ようやく2人の目が合った。

 美里の目線に映る由梨奈の琥珀は、怯えているような、悲しんでいるような、哀れんでいるような、無数の感情が入り混じったかのように潤んでいた。


「私は今のあなたとは音楽をしたくありません。」


 美里にとっては想像すらしなかった反応だ。

 突然の想定外の出来事に、上がった口角は元の形に戻ることすら忘れている。


「えっ、ちょっとまっ... 」


「そう、一つだけ言い忘れていました。あなた、私に何を隠しているんですか?」


「えっ」


「一度頭を冷やされた方がよろしいかと。では。」


 由梨奈はもうバッグを持って出口に向かっており、美里と目を合わせるどころか振り返りもせず、捨て台詞のように言葉を残して出ていってしまった。


「やっ...ちゃった...... 」


 ◇


 スタジオの目の前にあるベンチにゆっくりと倒れ込むように座る。


「私はどうしたらいいんですか......たすけて、おかあさん...... 」


「......って、何言ってんだか私は。だめだな。今更母親に縋ろうとするなんて。」


 空が曇って見えるのは、天気のせいなのだろうか。それとも瞳が曇っているからなのだろうか。

 とにかく、やってしまった。話し合いを持ちかけもせずに、その場の自分の感情に身を任せて飛び出してきてしまった。


「......まぁ、確かにレーベルに所属してアーティスト活動する以上、歌でお金を稼ぐのは必須だよなぁ。......でも顔だけは絶対に出したくない...... 」


 由梨奈のチャンネルはYouTubeの基準的にも著作権的にも収益化は可能だったが、人様の創作物でお金を稼ぐことや、そもそも音楽とお金稼ぎを同じフィールドに持ち込むという発想はなかった。


 顔を出すことに関しても初めの時点で美里には伝えているので、それをなかったことにされるのはかなりメンタルにくる。美里に大切にされていないようで。


「寒い...上着忘れてきちゃった...... 」


 辺りは景色も人もクリスマス一色に彩られている。


「あ、雪......そっか、もう5年も経つのか。 」


 ◇


「近衛、ちょっとええか。」


「......なんですか。というか聞いてたんですか。」


 見られたくないところを見られてしまった。普段親しくしているナツキチにさえ敵意を向けて睨んでしまう自分が恥ずかしい。まるで親に叱られる寸前の子供のようだ。


「これは一切伝えるつもりはなかったんやが、お前にも時間は残ってへんからな。流石に黙ってはいられんくて。お前、まだ鷹司にあのこと伝えてへんやろ。」


 ナツキチからもマネージャーからも度々気にされていた「あのこと」について、美里はいまだに由梨奈に伝えられていなかった。


「......はい。」


「まったく......なぁ、東雲エリって声優知ってるか?」


「......?もちろんです。昔現場でもたくさんお世話になりました。でもなんで今...... 」


 突然数年前にお世話になった声優の名前を出されるが、美里にナツキチの意図は伝わらない。


「そう、彼女は私のことをとても慕っていてくれた。声優としても歌手としても大成功した。......でも、ある日なんの前触れもなく帰らぬ人となった。」


「ストーカー殺人...でしたよね...... 」


「そう、そしてこれは業界でもごく一部の人間しか知らなかったんやが、彼女にはたった1人の娘がいた。初めて会った時にすぐ分かったよ。母親を思わせるあの髪型、赤子に話しかけるような空気を含んだ声、そしてあの瞳の色。」


 話を聞いているうちに、美里の中で2人の姿が重なり始める。


「それってつまり...... 」


「そう、まぁなんや。近衛も鷹司も、お互い一番大事なことを隠してるからこうなったんや。」


 ◇


 あたし、そんな大事なことに気が付かずに......


「由梨奈!!」


 スタジオから出ようとドアを勢いよく開けると、ドアのそばで由梨奈が寒さに怯えて縮こまっていた。だが、美里の顔を見るなりすぐに何事もなかったかのようにスッと立ち上がる。


「美里...?あぁ、すみません。こんなだらしない姿見せちゃって......ってうわっ」


「ごめん由梨奈!あたし、あたしっ、由梨奈のお母さんにすごいお世話になってたのに、全然由梨奈のこと気が付かなくて......名前のことも、顔出しのことも、由梨奈のこと傷つけちゃったよね...本当にごめん...... 」


「......誰かから聞いたんですね。いえ、それは美里に隠していた私が悪いです。.....彼女が私の実の母親で、5年前にファンに殺されました。だから私は顔を出して売れることに強い忌避感があるんです。」


 数分前まではあれだけ怒りに支配されていたのに、今となっては落ち着いて過去を咀嚼して、向き合って、美里に共有している。

 5年もかけて向き合ってきたはずなのに、美里に話そうとすると声が震えてしまう。気を抜いたら涙を流してしまいそうなほどに。


「ごめんね......辛い話させちゃって......あたしが気が付いていれば...... 」


「いいんです。否があるのは隠そうとしていた私の方です。美里も、事情を話してくれませんか?」


「そうだね......って、なんかこうやって自分の秘密を話すのって緊張するね。」


 あぁ、やっと美里の秘密が知れる。


「ふふっ、それもそうですね。でも、それがパートナーらしくていいじゃないですか。」


 知らない方が幸せだったかもしれない。でも、向き合わなくては。


「確かにそれもそうだね。よしっ。」


 ぺちん、と美里が自身の頬を叩いた小気味のいい音が響く。


「あたし、来年には死んじゃうんだ。」


「......は」


 急に周りが真っ暗になったような、真っ白になったような。

 何も音が聞こえなくなった。


 実際に言葉が音になっていたかは分からない。

 だが、耳の中で自分の声が嫌に反響する。


「肺リンパ脈管筋腫症っていう病気でね。由梨奈も気付いてる通り、もうかなり身体は限界でさ〜。…でもあたしは本当に由梨奈の歌が大好きなんだ!耳の中をじんわり温めてくれるような声で、技術うんぬんじゃなくて、今まで経験してきたであろう想いの詰まった声。それをネットだけに留めておくのは勿体無いって思ってさ。まぁ自分勝手なんだけどね。」


 何も、頭に入ってこない。

 確かに嫌な想像をしてしまうことも何度もあった。でもあの近衛美里が、私が憧れ続けた近衛美里が、周りにポジティブを振り撒いていた近衛美里が......病気で死んでしまう?


「美里…… 」


 声帯が、震えない。空気しか出ない。


「だから、今度のライブがあたしたちMYDeaL最初で最後の本番。そして由梨奈が羽ばたいていくための土台になれたらいいなって思うんだ。でも、由梨奈が顔を出す必要はない。これは何の前触れもなく声優を辞めてしまったあたしなりの近衛美里の弔い。そして、由梨奈への贈り物。」


「美里は……どうして笑っているのですか。」


 打ち明けてからの美里は、ずっと笑顔だ。

 だがその仮面は、由梨奈でなくてもわかるほどに崩れかかっていた。


「ん〜。まぁこれがあたしのキャラだからかなぁ?多分近衛美里は死ぬその時まで笑っているんだよ!」


「美里……あぁっ、もうっ! 」


 まだ美里の死は受け入れられない。受け入れる準備すらできていない。

 でも、今の美里を見るに、そんな悠長なことを言ってられないくらいに不安定だった。

 抱きしめないと形が崩れてしまいそうなくらいに。


「…あれっ、なんで…なんで……あはっ、おかしいなぁ…なんでだろ…… 」


 騙し騙しで塞いでいたテープが粘着力を失い、ドロドロと溜まっていた苦しみがとめどなく流れ出てくる。


「美里っ…… 」


「ごめんね由梨奈。あたし、思ってたより死ぬのが怖かったみたいだ…… 」


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