12. もう限界マジ無理早く由梨奈に会いたい
「動画、できましたよ」
その通知が飛んできた瞬間、美里はファッションなどを考える間もないスピードで着替え、財布とスマホだけ持って爆速でタクシーに乗り込んだ。
「馬込までお願いします!」
タクシーの運転手さんにこんなに愛想良く行き先を伝えたのは人生で初めてかもしれない。
それほどまでに今の気持ちは昂っている。
──当初の予定では、音価のレッスン前に録り終わっていた楽曲をアップロードする予定だったが、レッスン後に2人で相談し、レッスン内容を取り入れて再度録音し直していたのだ。
その完成度の高さについては、ドライの時点でもナツキチに太鼓判を押してもらっている。
(*ドライ:レコーディングで録音したそのままの音源のこと。リバーブやコンプレッサー等のエフェクトが一切かかっていない状態。)
Recで上手く録れた音源は、Mixをすれば恐ろしいほどに化ける。美里も由梨奈もそれは今までの仕事や投稿で実感しており、今回の音源の完成は心から待ち侘びていた。
また、由梨奈の作業時間確保に伴って、2人は約1ヶ月間顔を合わせていなかった。もちろんラインで進捗状況を共有してはいたが、そこまでプライベートの話をすることもなかった。(なぜなら由梨奈は自分から話さない上に、美里が連絡しても対応がそっけないため。)
だからこそ、美里は日に日に由梨奈に会いたい気持ちが昂ってきており、毎日もう限界マジ無理早く由梨奈に会いたい状態だったのである。
──タクシーで20分ほどで由梨奈の住むマンションに到着した。
部屋番号を押す指が震えてなかなか狙いが定まらない。
ピンポンが鳴ると、「え、美里!?え、まぁ、ど、どうぞ...... 」という慣れ親しんだ由梨奈の声が聞こえる。
エレベーターで由梨奈の住む5階まで上がろうとするが、こんな時に限ってエレベーターは5階で待機している。
「なんでだよ!」と悪態をつきながら階段をダッシュするが、そんな時でも口角が痛いほどつり上がってしまうと同時に、自分がいかに由梨奈に依存していたのか気付かされる。
ガチャっと由梨奈の家の鍵が開いた音が聞こえた瞬間、美里は待ちきれずに由梨奈より先に扉を引っ張った。
「由梨奈ぁぁああああああああああ!会いたかったぁぁああああああ!!!!」
「うぐっ、ま、まって、くるしい、しぬ...... 」
全力でタックルをする勢いで突っ込んできた美里を避けられず、抱きついてきた美里の全体重がのしかかる。愛が重い。
「由梨奈ちゃんとご飯食べてる?お風呂入れてる?寝れてる?何かしんどいこととかなかった?あ、ご飯ちゃんと食べてる??」
久々に実家に帰った時の母親のような心配のされ方で、なんだかむず痒い。
「至って私は元気ですよ。いつもこんな生活だったので。いやー、でも流石に今回は過去一力入れたので疲れましたね...... 」
由梨奈も先ほどまで詰めての作業だったことから、なかなか力が入らずに美里を押し返せない。
「そっかそっか、頑張ったねぇ。あ、あたし、由梨奈にばっかり仕事任せちゃって、あたしなんにもできなくて、うぅ、ごめんねぇ......うわああああああぁぁぁぁ」
乗り掛かられたまま、大粒の涙が次々と顔に降りかかってくる。
自分の涙で前が見えなくなることはあっても、人の涙で前が見えなくなるのは初めての経験だ。
「ど、どうしたんですか美里、さっきから情緒おかしすぎないですか??どこに泣く要素がありました!?私よりあなたの方が心配ですよ!?」
のしかかっていた美里の上体を無理やり起こし、しっかりと肩を掴んで目を合わせる。
しかしなんでグッシャグシャに泣いていても可愛いんだこの人は。
「だ、だってあたし歌っただけでなんにも由梨奈の手伝いできてないのに家ではめちゃくちゃ暇で虚無だし、由梨奈全然連絡返してくれなくて寂しいし...... 」
「いや私のせいかい。」
「うぅ、ごめんじゃん...... 」
少し拗ねて口先を尖らせながら俯く姿に、年上のはずなのになぜか母性本能を刺激される。
「まぁせっかく来てくれたので、完成した動画観ましょうか。」
「うん!」
◇
「我ながら結構、というかめちゃくちゃいい感じですね......って美里!?」
目からは滝のような涙、鼻からも滝のような鼻水が静かに、だが激しく流れ出ている。
「うぇぇ、由梨奈ぁ、あんた神なの......?」
「い、いつもとあんまり変わらないと思うのですが...... 」
途端に美里の顔がヌッと迫ってくる。鼻先が当たりそう、というか当たっている。
「全然違うじゃん!由梨奈は全然由梨奈のすごさを分かってない!だってこの瞳の書き込みの量いつもより多くて、瞳の中に海が広がってるみたいだし、髪の陰影の付け方がリアルすぎて本当に靡いてるみたいだし、あ、あとは背景とのマッチがすごい!一枚絵なのに立体的で迫力あって今にも飛び出してきそう!あとはねあとはね!......って、なんで由梨奈まで泣いてるのぉ?」
「あれ、あぁ、すみません。今までネット上では褒めてくれる人は沢山いても、リアルでこんなに褒められることはなかったので。......でも、ありがとうございます。直接褒めてもらえるのはこんなにも嬉しいのですね...... 」
知らぬ間に頬を涙が伝っていた。美里の前で涙を見せるのはこれで2回目だ。
しかしなぜだろう。美里と話していると美里の世界に引き込まれるというか、美里と同じ感情を共有している気分になれる。
「うん!由梨奈ほんとにすごいよ!あぁ、本当にあたしが百合奈の動画の世界観に入れてる......うれし......うわぁぁぁぁぁぁぁぁん」
◇
「さて、チェックも終わったことですしアップロードしましょうか。」
「だね!あたしアカウント作るね!」
「お願いします。ただ私、今までなんとなくで投稿してきたのであんまりチャンネルの伸ばし方とか分からなくて...... 」
Yurinaチャンネルはそもそも登録者を増やすというよりも、自分のストレスや闇を歌に詰め込んで自分を表現することが目的だったので、美里ほど登録者や再生数にこだわっていたわけではなかった。
「そこはあたしにどーんと任せな!ご存知の通り幾度となくSNSをバズらせてきたプロですから!」
由梨奈に対して美里は仕事の一部としてSNS運用をしていた。だからこそ、身の回りの声優たちからの情報が身に染み付いている。
「頼りにしてますよ。具体的には何をするのですか?」
「SNSは一本目の投稿がちょ〜重要で、サイト側も1本目の投稿は積極的にプロモートしてくれるの。で、その動画の高評価率・平均再生時間なんかに応じて次の動画をどれだけインプレッション増やすかってのが判断されるのね。だからそこに全力を注ぎます!」
「ふんふん」
「具体的には、まず課金してインプレッション数をブーストさせます!で、ショート動画を投稿して平均再生時間のパーセンテージを上げます。あとはタグを使ったり投稿時間を決めたりみたいな当たり前のことも抜かりなく。あ、あたしたちのツイッター使って投稿ふぁぼしたらフォロワーのおすすめTLにも流れるね!いやぁツイッターのふぁぼ欄見えなくなってて助かった〜!」
令和のこの時代になってもXと呼ばずにTwitterと呼び、さらにはいいねと言わずにふぁぼと言う古代の遺物にツッコミを入れたい。
「投稿頻度とかも重要なんですか?」
「うん!頻度が少ないとサイト側にこいつはやる気がないって判断されちゃうから、コンスタントに投稿するのが大事!って言ってもあたしらは毎日投稿できるわけじゃないから、切り抜きで安定した再生数を確保しつつ、新作を急いで作るって感じかなー。......はい!アカウントできた!ちょーど時間的にもいい感じだから、チャチャっと予約投稿しちゃうねー!」
さすがバズらせのプロなだけあり、手慣れている様子だ。
投稿に慣れている由梨奈でさえ、毎回アップロードボタンを押す時には(これだけ頑張って作ったのに伸びなかったらどうしよう...)と考えてしまい、かなり悩んでから投稿するのに、美里には一切のためらいがない。
そして実際、力を入れた動画に限って再生数は伸びず、何気なく投稿した動画がバズったりする。
「はい!予約投稿したよー!1時間後に投稿されるから、ご飯でも食べよっか!」
美里によると、すぐに公開してしまうとサムネや動画の処理が間に合わずに動画がうまく再生されないそうだから、時間を空けて予約投稿にしているとのことだ。
「いいですね。どこ食べに行きましょうか?」
「ふっふーん。今日はあたしが振る舞います!!!!」
「あ、いや大丈夫です。食べに行きましょう」
「なんでよ!!!!」
「いやぁ〜......(あれだけメシマズキャラでオタクに認知されてた美里がまともな料理なんて作れるはずがないしなぁ...... )」
声優は特番で料理をする機会が稀に存在する。美里は料理特番で洗ったレタスを雑巾のように絞った前科があり、由梨奈を始めとするオタクたちからの信頼はゼロだ。
「由梨奈、もしかして今ものすごく失礼なこと思ってるでしょ。」
げっ、バレた。
「んんっ!?そ、そんなことないですよ!あぁ〜、じゃあ美里にお願いしちゃおっかな〜!楽しみだなぁ!ははは〜!」
(まぁ確かにここで頭ごなしに否定してしまっても、今後の美里の成長を考えると教育に良くないか。ここは大目に目を瞑って私が耐えればいいだけ。......って、なんでまた私の母性の部分が出てきてるんだよ!)
「冷蔵庫見させてもらうねー。おー!いろいろあるじゃーん!!」
(私は大丈夫なのだろうか。今日の動画の行く末を見届けることはできるのだろうか。)
◇
不思議と台所の方からは美味しい料理の香りが漂ってくる。
手伝おうとしても「由梨奈は休んでて!」と言って頑なに拒まれたので心配していたのだが、これなら余計な心配をしなくて済みそうだ。
「由梨奈ー!できたよー!」
テーブルへ向かうと、そこにはタコとタイのカルパッチョや豚のスティンコなど、木曜日の夜にぐる◯イでしか見たことのないようなご馳走が広がっていた。
その中でもとりわけ由梨奈の心を奪ったのは、大好物のハンバーグだ。しかも、平たいタイプではなく、ラグビーボールのような形をした、いかにも東京の高級店で出てきそうなハンバーグだ。
「え...す、すごい......美里あなた料理苦手じゃなかったんですか......?」
成長速度に驚くよりも、現役時代の料理音痴ぶりは声優界で生き残るための作戦だったのでは、という疑問さえ浮かんでくる。
「あー、声優やってた頃は酷かったねー!でも引退してから暇すぎて料理くらいしかすることなかったから、今こんなんになっちゃった!」
「すごいですね......人間って成長するんだ......!」
どうやら由梨奈の疑念は杞憂だったようだ。
「む、それはもしやバカにしてる?」
「いえいえ、そんなことはないですよ。美里はよく頑張りましたね。」
「えっへぇ〜!頭撫でてくれてもいいんだよ〜?」
「はいはい、よくできましたね。」
自分より二回りほど身長の低い美里の頭を撫でている姿は、さながら親子のようだ。いや、普通は年上の頭を撫でることなんて無かろう。
「ふふぅ〜ん。さ!冷めないうちに食べよ!」
「はい!」
少し子供っぽいところもあって大変ではあるが、こうして推しと友達として私生活を過ごせている上に、その推しの手料理を食べることができる。これはあまりにも役得すぎる。
「うんっまぁ〜!」
◇
美里の手料理を食べ終えた2人は、ソファで身を寄せ合いながら某世界一受けたい授業を受講していた。
「お、もう9時だ。そろそろ動画上がるよ!」
「もうそんな時間ですか。私、いっつも力入れた動画に限って伸びないので心配なんですよね〜。」
「あーあるある!投稿者全員が抱える悩みね!でもダイジョーブ!今回は布石打ちまくったし、ありえんくらい歌うまくて動画の完成度高いし!」
さすがに投稿直前となるとそわそわする。あと3分で公開されるというのに、スマホを何度見ても時間は数秒しか進んでいない。
2人して無言でいるのが辛く、あーとかうーんとか特に意味のない言葉を発している。
「時間になりましたね。」
「どうかなどうかな〜?......って、これは...... 」
「えぇ...... 」
由梨奈が覗き込んだ美里のスマホ画面には、目を疑うような光景が。
「「伸びすぎ...... 」」
YouTube Studioを二秒おきに更新すると、更新の度に数千再生ずつ増加しており、登録者も瞬く間に1000人を超えた。
「こわいこわい。ちょっと一回画面閉じよう。」
「ですね...... 」
ふーっと一呼吸置き、美里が片目でチラッと画面を確認する。
「スーーーーーーッ。由梨奈さん、shorts10万再生超えました。」
「まじで?」
「まじで。」
「この数分で?」
「この数分で。」
「嬉しいけど、もはや伸びすぎて怖いです......炎上して伸びてるわけじゃないですよね......?」
「うん。めちゃくちゃ褒められてる。」
コメントを遡るに特段アンチコメントは見当たらず、美里の言った通りの歌唱力の高さやイラストの完成度を評価されているようだ。
「とりあえず、スタートダッシュは大成功って感じですね。はぁぁぁあああああよかったぁぁぁぁあああああ!私、疲れたのでもう寝ますね...... 」
「えー!由梨奈寝ちゃうのー!じゃああたしも一緒に寝るー!」
◇
その初投稿のshortsは二日で120万回再生を記録し、フル尺動画は220万再生を記録した。
通常はshorts再生数の方が大幅に伸びる傾向にあるが、今回に関してはフル尺の方が再生数が多い。これはサムネイルに使われている由梨奈のイラストが、インプレッションに対してのクリック率をかなりの量獲得していることが要因だろう。
そして、この投稿を皮切りに2人の間には亀裂が入り始める。




