11. 声優歌手とアニソン歌手
「よし、ほな今日もレッスン始めますかね〜」
ナツキチは既にアルコールが入って準備万端な様子だ。足元がおぼつかない。
「にしてもお前ら......なんか距離近ない?」
ナツキチの目線の先には、地べたに座りながら身を寄せ合って、イヤフォンを共有して自分たちの音源を聴いている由梨奈と美里の姿が。
「あたしたち元から仲良しだもんねー!」
「ね、ねー」
2人して頭をコツンと寄せ合っている姿は、三度の飯より百合が大好きなナツキチの性癖をこれでもかというほど刺激している。
(なんやこいつらめちゃくちゃ可愛いな...... )
「はいはい、ほなやるでぇ〜」
ストレッチをして体の筋肉をほぐす美里、目を閉じて深呼吸をして自分の世界に集中する由梨奈。
イントロが流れ、2人は同じタイミングで大きく息を吸う。
(おっ)
──その瞬間に室内の空気が変わる。
1℃か2℃くらい下がっただろうか。突如何も聴こえない、光の届かない深海へ送り込まれたかのような集中感。
その深海に突如として大きな光が現れる。まさに美里の歌は太陽のようだ。
その場にいる人間が抱える闇を全て許し、肯定してくれるような懐の深さ。誰もが縋りたくなるような光の存在。
だが、その心のどこかには人知れず闇を抱えているよう。
対して、由梨奈の歌は月のようである。
一見無骨で無機質のようにも感じられるが、感情を顕にする場面では太陽の力を借りて、周囲の闇も取り込んで数多の表情を創り出す。
美里の太陽が由梨奈を月として輝かせ、由梨奈を輝かせた光がまた反射して、美里の闇を照らす。
交わっているようで、交わっていないようで、お互いが助け合っている。
相手の音楽を通して、自分を肯定して愛せる。相思相愛の芸術だ。
(へぇ...それが君たちの顔か...... )
◇
一曲歌い終えた2人は、極限の集中力による反動で、床に大の字で寝転びながら息を切らしている。
「はぁ...はぁ......相手に合わせつつ自分の感情も表現しようとすると結構きついですね...... 」
「だねー!でもなんか行けるところまで行っちゃったって感じだね。正直あたしたちで潰せる粗は潰したけど、まだプロのアニソン歌手とは圧倒的に違う気がする...... 」
「それはやな、音価と倍音操作や。」
2人の上からヌッとナツキチが顔を伸ばしてくる。
「おんか...?ばいおんそうさ...?」
美里はどちらの言葉の意味もわからないといった様子だ。
由梨奈も単語としては認識できているが、それが表現する上で何を指すのかについてはよく分かっていない。
「そう。初回のレッスンで職業歌手として大成するにはあと2つの要素が必要って言ったやろ?それが音価と倍音操作。言い換えると、楽譜通りに正確な音の長さで歌ってグルーヴを生むことと、レコーディングにおけるマイク乗りをよくすることや。」
美里も由梨奈も(はて......?)といった具合で首を傾げており、言葉の真意は伝わっていない様子だ。
「まず音価やけど、漢字の通り音の長さのことや。これ見てみ?」
そう言ってナツキチが見せてきたPCの画面には、見慣れた作曲ソフトとボーカルの波形が映し出されていた。
「これは君らが送ってきたこの間のデータやけど、まずフレーズ終わりの波形見てみ。ここは八分音符が必要やのに十六分の長さしかない。ここは四分音符分必要やのに八分しかない。縮小して全体見たらやたらスカスカしてるのわかる?」
「おぉ〜確かに言われてみれば!」
ナツキチが示す波形をよく見てみると、形が歪な人参を雑にぶつ切りにしたかのように音が散らばっている。
「で、音価も極めると奥が深くて。例えばこの音と音の間を思いっきり拡大してみると...ここの間、何も鳴ってへん無の瞬間があるんよね。音の波がなくてただの線だけで、音同士に繋がりと持続性がない。これを私は音価の粘りがないって表現してる。」
「音価の...粘り......?」
理論派の由梨奈にとっても、初めて聞く表現だ。
「まぁ初めは分からんくて当然よ。例えば鷹司、さっきのお前の話と繋がるんやが、声優歌手とアニソン歌手は具体的に何が違うと思う?」
「難しい質問ですね... 」
確かに、由梨奈自身や歌うま声優と持て囃されている彼女らとアニソン歌手の間には、何か絶対的な差があるように感じる。ただそれが音価の話とどう繋がるかまではまだ分からない。
「うーん、本当になんとなくですけど、声優さんは歌というより歌詞が頭に入ってくる気がします。それに対してアニソン歌手はメロディ、旋律として頭に入ってくる気がします。」
分からないなりに、最近自分が感じていた「なんとなく」を言葉にしてみる。
「そう、大正解!声優は職業柄発音に気を使うから、発音の直前の音がおざなりになる。その結果音楽に粘りと持続性がなくなって、旋律というよりセリフとして脳は認識しやすい。対してアニソン歌手は発音を崩す傾向にある。その結果音価に粘りが生まれてグルーヴも途切れない。まぁ他にも色んな要素が重なってるんやけどね。んで倍音操作やけど......っと、今日はこんくらいにしといた方がええか。」
理論から自分の音楽を形成する由梨奈は真剣に聞いているが、感覚が先に来て理論は後から身につける美里にとっては、今のナツキチの説明は呪文にしか聞こえなかったようだ。
「まぁなんや、さっきのお前らの歌はめちゃくちゃよかったぞ。2人のこれまでの人生も感じれたし、その瞬間に表現したいこともビリビリ伝わってきたわ。あとはその表現を最大化するために、技術が必要になる。音価も初めは難しいかも知れんけど、自分の感覚に落とし込めたその時には、お前らは一人前のプロの歌手や。その壁を超えられるかどうかが分かれ道やから、地道に着実に頑張るんやで。」
「えへぇ〜ナツキチさんに褒められるとうれし〜!由梨奈も頑張ろうねぇ〜」
ぱぁっと明るい顔になった美里は、由梨奈に抱きついて頬擦りしている。
「美里、苦しいです。離れてください。」
(めちゃくちゃ満更でも無いって顔してるやん。ばり幸せそうやん。ツンデレ眼福かよ。)
◇
「近衛、ちょっとこっちこい」
「どうしました〜?」
「お前、あのことまだ鷹司に話してへんのか?」
「んー、なかなかタイミングが見つからなくてですね〜。でも今すぐ言って由梨奈のメンタル崩すのも違うから悩み中って感じかなー?まぁ絶対どっかでは話しますけどねー。」
「伝えるつもりがあるならええわ。でも時間も無限にあるわけちゃうねやから、どっかで見切りはつけなあかんで。」
「はぁーい」




