10. シマが好きだ
「んおおおぉぉぉやっと着いたぁぁぁぁああああ」
「ただいまぁぁぁぁぁああああああああああああ」
東京から飛行機と船を乗り継いで約4時間。美里と由梨奈が降り立ったのは......
「うわぁ、本当に島って何もないんですね...田舎ってこんな感じなんだ...... 」
「おい、悪意のない田舎ディスはちょっと傷つくぞこの都会っ子め。」
瀬戸内海に浮かぶ、小豆島の土庄町だ。
都会と比べて遮るものが何もなく、真夏の直射日光がこれでもかというほど降り注いでくる。
ただ、空気自体は乾燥しており、都会と比べて暑さの割には不快感はそこまでない。
「にしても驚きました。てっきり美里は都会生まれ都会育ちなのかと。出身地も公開してませんでしたよね。」
「さすが良く知ってるね〜。あたし、シマにあんまりいい思い出がないから、それを自分らしさとして表現したくなかったんだ〜。...でも!シマの雰囲気は大好きであたしにとって大切な場所だからさ、由梨奈にも新しい世界を見せれたらなって思って!」
シマにいい思い出がない、というのは少し引っかかるが、今はそれを尋ねるタイミングではなさそうだ。
島の空気を肺いっぱいに吸い込み、全身で故郷を感じている美里の姿は、由梨奈にとっても新鮮で美しく見えた。
「新しい世界ですか......私、東京どころか家からもほとんど出ないので、こうして連れ出してくれるのはとても嬉しいです。頼りにしてますよ、美里。」
頼りにしているという言葉に美里の肩と口角がぐい〜っと持ち上がる。
「おうともよ!お姉さんに任せなさい!着いてきな!」
頼りになるお姉さんについて行った先にあったのは......
「美里?まさかとは思いますが、これで島を回るのですか......?」
「そう!レンタサイクル!これなら肌でシマを感じながら回れるからね!何よりあたしたちには免許がない!」
事前に島と知らされた時点で少し嫌な予感はしていたのだが、やはり公共交通機関は充実していないようだ。
電車はもちろん通っていないし、バスの本数も多くはない。主要観光地以外も回るためには自動車か自転車が必須となる。
体力がナマケモノ並みの由梨奈にとっては地獄の知らせだ。
「せ、せっかく計画してくれたところ申し訳ないのですが、急におばあちゃんちのミニブタが恋しくなったので私はこの辺で...... 」
「おーい、日本のどこにミニブタ飼ってるおばあちゃんがいるんだ。」
抜き足差し足で船の方向へ翻す由梨奈の首根っこをガッシリと掴んで離さない。さながら母猫に首を咥えられて身動きが取れない子猫のようだ。
「か、勘弁してください......私日光のもと長時間歩いたら消えてしまうんです...... 」
「鬼か影奪られた骨か?ダイジョーブだって!熱中症対策で経口補水液買い込んできたから!」
(それは熱中症対策ではなく、発症後の症状を抑えるためのものでは......?)
「あとこの自転車電動だし!上り坂も思ったより楽だよ!」
もう逃げ場はなさそうだ。あまりにも美里の顔が輝きすぎている。
◇
「ま、まって......みさと......わたしもうむりげんかい........ 」
「もうちょっと!あともうちょっとで着くから!」
電動とはいえど、さすがに急な勾配は人力で漕がなければ進まない。というか電池の部分が逆に重りになって余計体力を持っていかれてる気さえしてくる。
(もはや自転車降りて手で押した方が楽なんじゃ...... )
「ほら!着いたよ!ここが千年オリーブの森!」
「おおおおおおおぉぉぉぉ...... 」
受付を済ませて少し歩いた先に見えたのは、見事な荘厳さとしなやかさを兼ね備えた樹齢千年のオリーブの大樹だ。
(ここが美里にとって大切な場所...... )
オリーブの大樹は確かに素晴らしいオーラを放っているが、それ以外には何も見当たらない。本当に何もない。人もいない。
(美里はどうしてこんな何もないところが好きなんだろう。)
「由梨奈、今絶対美里はどうしてこんな何もないところが好きなんだろうって思ってるでしょ?」
「うぐっ、えっ、あっ」
美里に心の声を一言一句違わずに当てられてしまい、口ごもってしまう。
「あっはっは!バレバレだよ〜ん。まぁその気持ちも良くわかるけどね〜。でもさ、ちょっとこっちおいでよ。」
美里に導かれて座ったのは、すぐそばにあるテラス席だ。
座って目に入ってくるのは瀬戸内の美しい海。
「由梨奈、耳澄ましてみて。由梨奈には何が聴こえる?由梨奈には何が見える?」
見えるのは太陽が反射して白と青に輝く瀬戸内の海、そして無数の緑。
耳を澄ましても何も聴こえない。車の音も、人の話し声さえも聴こえない。
「......何も聞こえないです。見えるのはただ景色がいいってだけですかね...... 」
「そうそう!だからあたしはここが好きなんだ〜!」
「......?」
何を言っているんだこの人は。
「都会に暮らしてるとさ、常に人間が作り出した情報が目に入るじゃん?スマホとか、車とか、オフィスビルとか。それって普段は何気ない日常の一部だけど、少しずつあたしたちの人間らしさみたいな部分を蝕んでる気がするんだ。だからあたしは人工物が目に入らなくて、人工物の音が聴こえないこの空間が大好きなんだぁ〜。」
美里は大きく息を吸って、体の内側からもシマの空気を目一杯に感じている。そんな彼女は、取り巻くすべてのネガティブから解放されているようで、美しい。
「美里はシマが大好きなんですね。」
「うん!だから由梨奈もさ、もう一回目を閉じてシマを感じてみてよ。どことなく感じる懐かしさに思いを馳せてみて。」
もう一度、美里に倣って目を閉じて深呼吸をしてみる。
鳥の囀り、木々のざわめき、肌を撫でる潮風。
草花の香りと微かな潮の香りが鼻の中で混じり合い、荒んだ心を暖かく包み込んで癒してくれるよう。
目を開けると、白い光と共に無数の緑と、海から空へと繋がる青のグラデーションが飛び込んでくる。
聴けば聴くほどに、見れば見るほどに、自然が織りなす情報が五感を通して際限なく流れ込んでくる。
あぁ、これが美里が育った景色なのか。
どことなく彼女の心に余裕を感じるのも、時折言葉の節々に美しさを感じるのも、全てはこのシマが創り上げたのか。
温かい。全てが温かい。
「...ほんとですね。私、東京で生まれ育ったはずなのに、遺伝子のどこかにシマとの繋がりがあるような気がします。美里がここを大好きな理由も良くわかります。」
一度シマの温かさに気がつくと、次々と五感が自然の情報で満たされていく。
「でしょー!実はあたしね、中学校の頃は周りとあんまり馴染めなくてさ。いじめとまではいかないけど、腫れ物扱い受けてたんだ。家でもずーっとアニメばっかり観てて、クラスの子達の話題にもついていけてなくて。学校も家でも気にしないふりして普通を装ってたんだけど、ちょっとずつ心が削れてっちゃって。一回限界が来ちゃって今日みたいにシマを自転車で走り回ってたんだ。そしたらここに辿り着いてさ。だからここはあたしにとって一番大切な場所なんだ。大切な人ができたら一緒に来たいって思ってたから、由梨奈と一緒に来れて本当に心の底から嬉しい!」
「私が...美里の大切な人......?」
ファンは誰も知らない美里の過去。自分なんかがそこに踏み込んでしまっていいだろうかという微かな罪悪感が生まれる。
「うん!もちろん!あたし、学生時代は友達と言える人なんて1人もいなくて、声優になってからも友達っていうより仕事仲間って人ばっかり増えちゃったんだよね。だからこうやって自分のことを告白したことなんてなかったんだ〜。だからちょっと恥ずかしいけど。もちろん由梨奈も仕事仲間ではあるけど、それ以前に由梨奈はあたしのたった1人の大切な友達!今日は着いてきてくれてありがとうね!」
「とも...だち...... 」
意図せず視界がぼやけてくる。記憶が掻き乱されて、昔の記憶が掘り返される。
「あれっ、おかしいな...なんで...... 」
拭っても拭っても溢れてくる。10年近く閉じ込めていた感情をせき止めていたダムが決壊したかのように。
「どーぉしたの由梨奈〜!あたしと友達になれたことがそんなに嬉しかったの〜??」
美里に握られた右手を通して体温が伝わってくる。自分1人では気が付かない温かさによって、心の凝り固まった部分がほぐれてくる。
「はい......私も小学生の頃いじめられてて......。私が華々しい美里と釣り合うのだろうか、同じ景色を隣で共にしていていいのかとずっと考えていました。でも、美里にも辛い過去があったんですね。美里がそれを話してくれたのがたまらなく嬉しいですし、辛い気持ちを共有できるのも、こんな私のことを友達って言ってくれたのもたまらなく嬉しいです。こちらこそ、本当に誘ってくれてありがとうございます...... 」
「あっはっは!由梨奈泣かないで〜。そんな重い話にするつもりはなかったの〜。でもやっぱりシマって不思議な力があるね。東京じゃ絶対できないような話もここならなんの障壁もなく話せる気がする。シマがあたしたちの心を溶かしてくれてるみたいだね。あぁ〜、あたしやっぱこのシマ大好きだなぁ〜!」
◇
それから2人はしばらくテラスを堪能し、美里が過ごしてきた町内の神社や小学校なんかを一緒に回り、駅前のカフェで早めの夕食をとって夜の船に乗船した。
「じゃあね。今までありがとう。行ってくるよ。」
「美里ー。何か言いましたかー?」
「ううん!なんでもない!」
シマへ向かって美里が呟いた一言は、由梨奈の耳には届かなかった。




