第87話 魔族の娘
三つ目の力。魔力増幅。
その答えを探して、つむぎはエルティの元へ通い続けた。
端末を持ち込み、古文書を広げ、質問を重ねる。エルティは体力が戻りきっていなかったが、つむぎの問いには一つ一つ丁寧に答えた。
五日目の午後。
つむぎとエルティが小屋の中で向かい合っている。
セリアが入口に座り、二人の会話を黙って聞いていた。
「エルティさん。血の力は、エルフ全員が使えるものですか」
「いいえ。血の防壁は、私の家系に伝わるもの。それも、代ごとに力の質が違う。私の母は防壁を張れたけれど、位相をずらすことはできなかった」
「では、魔力増幅に適した血の力を持つ存在は」
エルティの手が、膝の上で止まった。
「……いるわ。いた、と言うべきかもしれない」
「誰ですか」
「魔族」
つむぎの指が端末の上で止まった。
「魔族の血は、増幅に特化しています。エルフの血の力が制御や干渉に向いているのとは対照的に、魔族の力は純粋な出力の拡大。境界核に干渉できる規模の魔力増幅は——魔族の血を持つ者でなければ、不可能です」
セリアが小さく息を吸った。
「でもエルティさん、魔族は——」
「ええ。この世界では、もう何十年も姿を見ていない。集落は廃墟になっていた。あなたたちも見たでしょう」
森の奥で見た、朽ちた石造りの建物群。つむぎが記録し、あかりが撮影した、誰もいない集落の跡。
沈黙が落ちた。
つむぎは端末を閉じた。
閉じてから、もう一度開いた。データを見直す。閉じる。また開く。
答えが出ない時のつむぎの癖だった。
「……この世界には、もう手がかりがないということですか」
エルティが小さく頷いた。
「少なくとも、私が知る限りでは」
◇◇◇
広場に全員が集まった。
つむぎが経緯を説明した。
三つ目の力は魔力増幅。それを担えるのは魔族の血を持つ者。だが魔族はこの世界から姿を消している。集落は廃墟。生存者の記録もない。
凛が腕を組んだ。
「つまり、該当者がいない」
「この世界では、見つかっていません」
「人間の世界にいる可能性は?」
「高いです。烈火さんが魔族との間に子供を作っているはずです……ただ、いたとしても見つける手段が——」
つむぎの言葉が途切れた。
全員が黙った。
三つの力の理論は揃った。共鳴打撃はイエヤス。斬撃は刃。だが三つ目を担う者が、どこにもいない。
イエヤスが頭をかいた。
「なあ、要するに魔族の血ってのを持ってる俺の兄弟を世界中探すのか?」
「姉妹の可能性もあります。それよりも……世界中はとても探せません。魔族の血は、覚醒していなければ本人にも分からない。検出する手段が——」
つむぎは言いかけて、止まった。
「……いえ。一つだけ、可能性があります」
全員がつむぎを見た。
「管理局のラボです。烈火さんの残存データがまだ残っているはずです。烈火さんは境界核を叩いていた。魔族の集落にも滞在していた。その記録を精査すれば、何か手がかりが出るかもしれない」
凛が頷いた。
「帰る、ということね。人間の世界に」
「一時的にです。ラボの設備がなければ、この端末だけでは解析の精度に限界があります」
全員の視線がエルティに向いた。
守護獣がいる。次は本気で目覚める。この世界を離れている間に、集落が襲われたら。
エルティは椅子から立ち上がった。
まだ足元が少し覚束ない。だが目は真っ直ぐだった。
「守護獣は、私が抑えます」
セリアが立ち上がった。
「姉さま、無理です。この前の戦闘で——」
「あの子はまだ完全には目覚めていない。警戒モードのうちは、私の血の力で境界を維持できる」
「でも——」
「セリア」
エルティの声が、少しだけ柔らかくなった。
「二十年持たせたのよ。あと少しくらい」
セリアは唇を引き結んだ。
反論したい顔だった。姉の隣にいたい顔だった。
だが、エルティの目を見て、黙った。
「……必ず、戻ります」
「ええ。待ってる」
エルティが微笑んだ。
二十年ぶりに妹を送り出す姉の顔だった。
◇◇◇
出発の準備は、その日のうちに整った。
境界壁の亀裂は安定している。往復は可能。
エルティが集落の長老たちと話をつけ、人間たちの一時帰還が認められた。
イエヤスは出発前に、食堂でエルフのパンを頬張っていた。
「帰ったら真っ先にコンビニ行くからな」
「あなたの行動原理は本当に鮭おにぎりだけなのね」
凛が呆れた顔で言ったが、口元は少し緩んでいた。
「いや、モテるのが全てだ」
「鮭おにぎりばっか食べてる奴はモテないわよ」
「そうなのか!?」
セリアが隣に座った。
「私は好きです。おにぎりは……奇跡です」
「だよな! 帰ったら一緒に食べようぜ!」
凛の箸が止まった。
「なっ! ずるいわ!」
「なにが?」
とぼけた顔のイエヤスは凛が何か言いかけて、やめた。
あかりがカメラを構えていた。凛がカメラに手をかざした。
「撮らないで」
「いい画なのに」
「うるさい!」
刃がは広場の端に立ち、北の山を見ていた。
ポケットの中の魔鉱石に、指先が触れている。
微かに温かい。前からそうだった。だが、気にするほどではなかった。
刃はポケットから手を出し、何も言わずに歩き出した。
帰る準備をするために。
◇◇◇
翌朝、六人は境界壁の亀裂の前に立った。
エルティが門の前にいた。
紫の光が左肩から薄く漏れている。血の力で、亀裂を安定させている。
セリアが最後に振り返った。
姉と目が合った。
言葉はなかった。
二十年の空白と、再会と、また離れること。全部が目の中にあった。
エルティが小さく頷いた。
セリアは前を向いて、亀裂をくぐった。
六人が人間の世界に戻る。
三つ目の力を探すために。




