第83話 「外部入力」
エルフの集落に戻ったのは、夕方近くだった。
帰路、誰もほとんど口を開かなかった。北の空への警戒だけが、全員の背中に貼り付いていた。
エルティは集落の門のところで待っていた。前日より顔色が良い、ように見えた。
「お帰りなさい」
「立ってて大丈夫なの?」
凛の声に、エルティが小さく頷いた。
「立っていられる時間が、少しだけ戻りました。皆さんが、何かを動かしてくれたのかもしれません」
つむぎが端末を見せた。集落跡で記録した数値の一部が、画面に並んでいる。
「報告は、長老の間で。データの整理が必要です」
「分かりました」
◇◇◇
長老の間。
円卓の中央に、つむぎが端末を置いた。複数の波形が、空中に投影されている。エルフの翻訳魔具と人間世界の機材が、組み合わさって動いていた。
「三つのデータを照合します」
つむぎが説明を始めた。
「一つ、エルティ様から提供された、こちらの境界核の振動記録。二つ、人間世界の核晶活動ログ、過去二十年分。三つ——」
画面を切り替えた。
「烈火さんが、世界中の核晶を叩いた時の、打撃パターンの記録」
部屋が静かになった。
最後のデータは、配信局がスポンサー収集のために蓄積していたものだった。烈火が世界中のダンジョンで核晶を叩く度に、視聴者の盛り上がりに応じて記録された波形。本来は娯楽用のデータだ。
それが今、世界の暴走を解明する鍵になっていた。
つむぎが、三つの波形を重ねた。
画面の上で、三本の線が、ほぼ完全に重なった。
「日単位の精度で、一致します」
凛が腕を組んだ。
「つまり」
「烈火さんが核晶を叩いた振動が、こちらの境界核に、外部入力として届いていました」
誰も、すぐには口を開かなかった。
刃が机の縁を握った。
「『叩いて直す』が」
つむぎが首を振った。
「まったくの逆の行為になって……」
つむぎの声が、いつもより低い。
「烈火さんの打撃が届くたびに、境界核は『攻撃』と認識して、防衛反応を強めていきました。エルティ様が、それを抑え続けていた。打撃が増えれば増えるほど、防衛反応も強くなり、エルティ様の負担も増えていく」
◇◇◇
エルティが、ゆっくりと頷いた。
「あの人が去ってから、振動は強くなり続けました。最初は数か月に一度。やがて月に一度。最近は、毎週、複数回」
瞳が、少しだけ細められた。
「『叩いて直す』が、彼の善意だったとしても——わたしの世界には、災害として届いていました」
誰も、何も言わなかった。
イエヤスが天井を見上げた。
「親父、悪気はないんすよ。本当に」
「分かっています」
「ただ、悪気がないことと、悪いことしてないことは、別なんすよね」
「そうです」
長老の一人が、低く息を吐いた。笑い、というより、長い嘆息だった。
『あの男は、二十年前にも同じだった。何も悪意はなかった。だが、悪意のなさが、最も厄介な災害になることがある』
刃が机の縁を握り直した。手の甲が白くなっていた。
「……二十年。ずっとだ」
凛が視線を落とした。
「あの男、自分が直してると思って、二十年間ずっとここを壊し続けてた」
刃が息を吐いた。短く、低く。
「どこまでバカなんだ……」
怒りではなかった。困惑に近い、何かだった。
二十年間、復讐対象として睨み続けてきた男が、標的としてあまりにも巨大で、あまりにも間抜けだった。
刃は、それをまだ整理しきれていなかった。
誰もが押し黙る中、外で、鳥の鳴き声がした。
一羽ではなかった。十羽、二十羽、それ以上。
全員が、同時に立ち上がった。
「来た」
刃が手を握り直した。
「数が多い」
凛が剣に手をかけた。
つむぎが端末で確認した。
「四十羽以上、こちらに向かっています。昼の倍です」
エルティが、長老の間の窓際に立った。森の方角を見据えている。
「集落の結界はまだ生きています。ですが、これだけの数なら、突破される可能性があります」
凛が判断した。
「外で迎え撃つ。集落に被害を出す前に」
全員が走り出した。
エルティは長老たちに集落の防衛を頼み、自分も外へ出た。
顔色は悪かったが、立ち止まる気配はなかった。
◇◇◇
集落の外、開けた草原。
四十羽を超える呪い烏の群れが、空を覆っていた。先頭の数羽が、すでに詠唱に入っている。
赤い光が、複数。
つむぎが叫んだ。
「赤、五羽! 優先で落としてください!」
セリアが弓を引いた。立て続けに四矢。詠唱中の四羽が、続けて落ちた。
凛の短弓が、五羽目を貫いた。
刃が最前線に飛び出した。手袋の指先が翼の付け根を断つ。一羽、二羽、三羽。動きが昼より鋭い。
イエヤスは黒ツルハシを地面に叩きつけた。岩が跳ね上がり、烏たちの陣形が崩れる。
エルティが、初めて手を前に出した。
詠唱はない。指先から、淡い紫の光が流れ出た。光は空中で網のような形を作り、迫ってくる烏を絡め取っていく。動きを止められた烏を、刃と凛が落としていった。
凛がエルティに声をかけた。
「血の力、ね」
「使えるうちに、使います」
戦況は優勢だった。
四十羽が、二十羽になり、十羽になった。
その時。
地面が、揺れた。
戦闘に起因するものではない。だが、異常な揺れだった。
全員が足を止め残った烏たちも、空中で停止した。
北の空が、暗くなる。
太陽が、巨大な何かに半分隠された。少なくとも雲ではない。
雲に翼はない。
翼の輪郭が、空にはっきりと描かれていた。
昨日のような一瞬の影ではなく、数秒、しっかりと、そこに居続けていた。
残った烏たちが、一斉に北の空に向かって飛んでいった。
吸い寄せられる方向。主の元へ戻る方向だった。
エルティが息を呑んだ。
「……目覚めかけています」
凛が弓を下ろした。
「何が」
「魔族の一族が封じていた、古代の守護獣。境界核の振動に、長く反応していた」
空の影が、ゆっくりと北の山の向こうに沈んでいった。
翼の動きが見えた。体長は、見えた限りで数十メートル。
つむぎが端末を見た。
「……魔力濃度、桁がまた一つ上がりました。普通の魔物の三桁上です」
あかりがカメラを下ろした。長く、下ろしたままだった。
刃が腕を組んだ。
「いつ来る?」
「恐らく、明日には」
エルティの声は、静かだった。
「あいつ、倒したらモテるか?」
イエヤスの問いに、エルティが少し間を置いた。
他の全員が溜息をついたが、イエヤスは不思議そうに首を傾げている。
「……それは分かりませんが、倒さなければ、滅ぶのは我々です」
「ははは、そりゃ困る」
イエヤスが黒ツルハシの柄を握り直した。
微かにツルハシが震えているのは、気のせいではないだろう。
「……なあ、刃」
「ああ」
「親父も、あれ、見たのかな」
「……さぁな。だが、まだあれが生きてるってことは出会ってないかもな」
「はは、そうかも」
親父なら、あれも倒す。息子達にはその確信があった。
風が、また止まった。
止まった風の向こうから、低い地響きが、もう一度聞こえた。
眠りに戻る前の、最後の確認のように。




