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第82話 「魔族の娘」

洞窟を出ると、外は昼を過ぎていた。


 集落跡の窪地に、午後の光が落ちている。崩れた建造物の影が長い。空気は澄んでいたが、風がなかった。風がないというより、風が止んでいた。


 つむぎがノートを手に建造物の壁を一つずつ確認して回っていた。烈火の汚い字を見たあとだと、魔族の紋様文字が「読みやすい」とすら感じる、と本人が呟いた。


「皆さん、こっちに来てください」


 全員が、奥の建物の前に集まった。

 壁面に、絵と文字が組み合わされた紋様が広がっていた。一族の歴史を絵巻のように描いたもの、らしい。


「これ、家系図のようなものです。一族の代々の家族構成が、絵で残されています」


 刃が壁に目を向けた。


「親父の話、出てくるのか」

「……出ます」


 つむぎが端末を、絵巻の終端に向けた。

 画面に、変換結果が浮かんだ。


『最後の代の娘』

『人間と契りを結び、子をなす』

『子は、人間が連れていった』


 全員が、紋様を見た。

 絵には、魔族の女性らしき姿と、武骨な男のシルエットと、抱かれた小さな子が描かれていた。

 男のシルエットは、肩にツルハシのようなものを担いでいた。


 誰も、すぐには口を開かなかった。

 最初に動いたのは、刃だった。

 建物の壁を、片手で殴った。

 大きな音はしなかった。むしろ、静かな音だった。


「またか」


 声が低かった。


「またあの男は、女と子供を」


 イエヤスは、何も言わなかった。

 壁の絵を、ただ見ていた。

 黒ツルハシの柄が、ゆっくりと振動していた。



          ◇◇◇



 セリアが、小さく息を吐いた。


「……知っていました」


 全員が、セリアを振り返った。


「あの人がこちらにいた頃、魔族の女性と親しくしていたのは、エルフの集落でも知られていました。父も、長老も、見て見ぬふりをしていました。あの人がここに通っていることは、知っていました」


 セリアの瞳が、絵巻の女性の姿に向いた。


「でも子供のことは……今、知りました」


 イエヤスが肩をすくめた。


「親父らしい」


 凛が腕を組んだ。


「どうしようないわね、ほんと」


 つむぎが、絵巻の隅にある小さな数字を読み取っていた。


「日付があります。子供が生まれた年と、連れていかれた年。逆算すると——」

「いつだ」

「イエヤスさんが生まれる、二年前です」


 部屋の空気が、止まった。


 あかりが、ぽつりと言った。


「あたしらより先に、もう一人いる」


 凛が視線を落とした。


「今、生きてれば二十歳前後」


 イエヤスの肩で——黒ツルハシの柄が、強く振動した。

 いつもの振動とは違うリズム。

 誰かを探している、とでも言いたげな脈動だった。



          ◇◇◇



 空が、急に暗くなった。


 風がないのに、空が翳った。

 全員が、同時に上を見た。


 黒い影が、いくつも降ってきた。


 あかりが目を細めた。


「……鳥?」


 つむぎが端末を向けた。


「鳥にしては、大きい」


 影は、地面に降り立つ前に、空中で停止した。

 翼を広げた、烏のような姿。だが、体長が一メートルを超えている。目が、人間の目のように、こちらを観察している。

 数は、二十羽ほど。


 一羽が、口を開いた。

 短い、聞き取れない言葉が連なる。

 その瞬間、口元に黒い光が灯った。


 つむぎの声が変わった。


「……これ。魔法、です」


 誰も、すぐには動かなかった。


 凛が半歩退いた。


「魔法って、あの、研究所がずっと『仮説段階』って言ってたやつ?」


 つむぎは、なぜか落ち着いていた。


「実物を見たのは、人類で初めてだと思います」


 イエヤスが黒ツルハシを構えた。


「魔法、なんかモテそうだな!!」

「言ってる場合か!」


 凜がツッコむ中、セリアが淡々と補足した。


「魔族系統の詠唱です。私もエルフの森では、ほとんど見たことがありません。光が灯ってから、二秒で発射されます」

「弱点は」

「詠唱中は、無防備です」


 その情報共有が終わる前に、口元の黒い光が形を結んだ。

 黒い弾が、空中を切り裂いて飛んできた。


 刃が地面を蹴った。

 弾は刃が一秒前までいた地面に着弾し、岩が砕けた。


 凛が声を張った。


「対応! セリアは弓、詠唱中の個体を優先! 刃は前衛、近づく個体を抑える! イエヤスは陣形崩し!」


 セリアが弓弦に手をかけた。


「うす」


 イエヤスがツルハシを担ぎ直した。


「土ごと吹っ飛ばすか」

「いいわよ、ただし範囲限定で!」


 刃が二羽目に踏み込む。烏が次の詠唱を始める前に、黒い手袋が翼の付け根を断ち切った。


 セリアが、弓を引いた。

 二百年間弓を引き続けた者の、呼吸するような構え。

 矢が放たれた瞬間、詠唱中の烏一羽の喉を貫いた。

 間髪を入れず、二の矢、三の矢。詠唱中の三羽が、続けて落ちた。


「セリア、左!」

「見えてます」


 横に跳びながら、もう一矢。迫っていた一羽が、空中で翼を失った。


 イエヤスは黒ツルハシを地面に振り下ろした。

 岩が跳ね上がった。空中の烏たちが、岩の壁に翼を弾かれてバランスを崩す。


「つむぎ、解析!」

「詠唱パターン三種類確認! 光の色で判別できます! 赤が大、青が中、緑が小! 赤詠唱の個体、優先で落としてください!」


 その声が終わる前に、凛が短弓を引いていた。

 赤く光る一羽の頭部を、矢が貫いた。

 凛とセリア、二人の弓使いが、詠唱中の烏を次々に落としていく。


 あかりは岩陰でカメラを構えていた。撮りながら、距離を取っている。配信プロらしい立ち回りだった。



          ◇◇◇



 戦闘は、二分かからなかった。


 残った烏は、十羽ほど。

 全員、地面には降りなかった。空中で停止したまま、こちらを観察している。


 次の攻撃が来る、と全員が構えた瞬間。


 烏たちが、一斉に向きを変えた。

 北の空に向かって、必死の速度で飛び去っていった。


 戦闘の最中ではなく、戦闘の途中で、勝手にいなくなった。


 刃が、刀を収めた。


「……何だ」


 つむぎが端末を構えながら、戦闘中に保存した詠唱データを呼び出していた。指が震えていた。武者震いに近い。


「何かに怯えてる。私たちじゃない、もっと大きな何かに」


 それから、画面を見つめたまま続けた。


「……皆さん、これ、人類で初めての観測データです」


 凛が髪をかき上げた。


「興奮するの、後にしてもらっていい?」

「ごめんなさい……つい」


 イエヤスが黒ツルハシを担ぎ直した。


「なぁ、魔法使えたらモテるかな?」


 刃が手袋の血を払った。


「お前は、もう黙ってろ」


 全員が、北の空を見た。

 空は、青かった。

 雲はなかった。

 だが、地平線の少し上に——一瞬、何かの翼の輪郭が、横切った。


 太陽が翳るほどの大きさだった。

 翳ったのは、本当に一瞬だった。

 誰かが見間違えた、と言える程度の一瞬。

 だが、全員が、同時に見た。


 地面が、低く震えた。


 風が止まったのではなく、風が何かに飲み込まれていたのだと、全員が今、理解した。



          ◇◇◇



 刃が腕を組んだ。


「あんな小型の魔物でも魔法を使うのか」


 凛が頷いた。


「でも、あいつらなんで逃げたんだろうな」


 イエヤスがあまり興味なさそうに呟く。


 つむぎが端末で空を測っていた。

 数値を読み、もう一度測り、表情を変えた。


「……空気中の魔力濃度、北の方角だけ、異常値です。普通の魔物の出す魔力じゃない。桁が、違います」

「桁って」

「私たちが元の世界でダンジョンで会う魔物の、二桁上です」


 全員、北の空をもう一度見た。

 空は、また青かった。

 翼の影は、もうなかった。

 だが、確実に、いた。


 イエヤスが、黒ツルハシの柄を握り直した。

 振動は、まだ収まっていなかった。

 烏が叩いていた振動とも、烈火が叩いていた振動とも違う。

 もっと低い。

 地の底から、地響きが叩いている、ようなリズムだった。


 凛が、全員を見回した。


「……戻ろう。エルティさんに、報告しないと」


 全員が、集落跡を後にした。

 歩く速度が、来た時より、明らかに速かった。


 空は、青いままだった。

 風は、まだ、止まったままだった。

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