第7話 「あいつ何者だ」
採掘者業界は狭い。
東京ダンジョンの浅層で活動する採掘者の間で、その噂は瞬く間に広まった。
「聞いたか? 藤村さんとこの新人」
「ツルハシでモンスター倒したやつだろ。動画見たよ。マジかよって感じ」
「しかも初日で鉱脈見つけたらしいぞ。音で見つけたって」
「……それ四級の新人がやることか?」
浅層の休憩所。反応はさまざまだった。「どうせ盛ってる」と疑う者。「新人のくせに」と妬む者。そして——「あいつ何者だ?」と興味を隠さない者。
採掘者は戦わない。それが常識だ。だからこそ、「戦える採掘者」の存在は異質だった。
——もっとも、当の本人はそんな噂など露知らず、今日も元気にダンジョンへ向かっているのだが。
◇◇◇
同日午前。ダンジョン庁東京管理局。
「——次はありませんよ。始末書ではすまない」
担当官の冷たい声が響いた。
「肝に銘じます。指導を徹底します」
彩は深々と頭を下げた。
会議室を出て、長い廊下を歩く。ため息が出た。
規則違反は事実だ。監督責任もある。言い訳はできない。
「……でも、あの子がいなかったら被害が出てたのも事実なんだよね」
誰にも聞こえない声で呟く。
安全確認済みエリアへのモンスター出現。そっちの方がよっぽど問題じゃないか、と言いたいのを飲み込んで、彩は気持ちを切り替えた。
今日もダンジョンに入る。目を離したらまた何かやらかしかねない、規格外の新人が待っている。
◇◇◇
管理局の入口。
「おはようございます、藤村さん」
「……おはよ」
「どしたんすか、顔暗いすよ」
「あんたのせいだよ!」
「え、俺?」
彩はスマホをポケットにねじ込んだ。説明する気力もなかった。
「いい。気にしないで。——今日もダンジョン入るよ」
「うす。今日こそモテるかな」
「……仕事してたらそのうちね」
「よし、今日もいっぱい掘るぞー!」
ツルハシを担いだ少年の横顔は、今日も呑気だった。自分がSNSでバズっていることも、業界中で噂になっていることも、師匠が裏で頭を下げていることも、何一つ知らない顔。
彩は呆れつつも、少しだけ救われた気がした。この図太さが、今の彩にはありがたかった。
◇◇◇
夕方。
仕事を終えたイエヤスは、いつものコンビニに向かっていた。
腹が減っていた。朝から掘り続け、昼におにぎりを二つ食べただけだ。エネルギーが足りない。
自動ドアをくぐる。
「おい、聞いてんのかよ姉ちゃん」
店内に、ドスの効いた声が響いていた。
レジの前。ガラの悪そうな男がカウンターを叩いている。探索者崩れだろうか、安っぽい迷彩ズボンにピアス。酒の匂いがする。
対峙しているのは、派手なメイクの店員——瀬田ユアだった。
「だから、年齢確認できないとお酒は売れませんって」
「あぁ? 俺が未成年に見えんのかよ。ナメてんのか?」
「見えなくても決まりなんで。身分証ないならお引き取りください」
ユアは毅然としていた。引いていない。だが、男の手がレジ台の上の商品を払い落とした。ガシャン、と音がする。
「調子乗ってんじゃねえぞ、たかがバイトがよぉ……!」
男がカウンター越しにユアの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。ユアが身をすくめる。
その時。
「——あの、すいません」
横から声がかかった。
男が振り返る。そこには、全身泥まみれの少年が立っていた。作業着。ヘルメット。背中にツルハシ。
「あぁ? なんだテメェ、汚ねえな」
「どいてくれないすか」
イエヤスは真顔で言った。
「あんたがそこにいると、俺の鮭おにぎりが買えないんすけど」
店内が静まり返った。
ユアがぽかんと口を開けた。男の顔がみるみる赤くなる。
「……は? おにぎりだぁ?」
「鮭っす。あと一つしか残ってないんで。売り切れたら困る」
「ふざけんじゃねえぞガキがぁ!!」
男が激昂して、イエヤスの胸ぐらを掴み上げた。
イエヤスは動かなかった。眉一つ動かさず、自分の胸元の手を見下ろした。
「……手、汚れるっすよ」
「知るかボケ! 痛い目見ねえとわかんねえか!」
男が拳を振り上げる。
イエヤスはため息をついて——男の手首を掴んだ。
作業着についた泥を払うような、軽い手つきだった。
ミシッ。
「——ひっ!?」
男の喉から変な音が漏れた。
振り上げた拳が止まる。顔色が青ざめる。イエヤスに掴まれた手首から、万力で締め上げられたような激痛が走っているのだ。骨がきしむ音が、男の耳元で響く。
「どいてほしいっす」
イエヤスの声は平坦だった。怒ってもいない。殺気もない。
ただ、それが余計に怖かった。底が見えない。こいつは人間じゃない、何かもっとヤバい生き物だ——男の本能がそう警鐘を鳴らした。
「あ、あ……あがっ……!」
イエヤスが手を離すと、男は腰を抜かすように崩れ落ち、這うようにして店から逃げ出した。自動ドアが開くのも待てずにぶつかりながら出ていく。
「ふう。やっと買える」
イエヤスは何事もなかったようにおにぎりの棚に向かった。
残されたユアは、しばらく呆然としていたが——やがて吹き出した。
「……ははっ! なに今の! ウケるんだけど!」
イエヤスがレジに戻ってくる。手には鮭おにぎりが一つだけ。
ユアが笑いを堪えながらレジを打つ。
「あんた強すぎでしょ。……てか、今日はそれだけ? いつも鮭三つと麦茶じゃん」
イエヤスは泥だらけの常連客だ。毎日このセットを買っていくのを、ユアは覚えていた。
イエヤスが気まずそうに頭をかいた。
「金がないんすよ。封筒の中身が減ってきて」
「封筒?」
「親父が置いてった生活費。来週までこれだけで生き延びないといけない」
イエヤスは小銭入れを逆さまにした。ジャラ、と小銭が出る。
「……あ」
「ん?」
「十円足りない」
「え?」
「十円足りないっす。……鮭、買えない」
イエヤスが断腸の思いでおにぎりを棚に戻そうとした。世界が終わったような顔をしている。さっきの男よりよほど深刻そうだ。
「……ぶっ、あはははは!」
ユアはカウンターに突っ伏して笑った。
「なんなのあんた! 泥だらけでバカ強いのに、おにぎり一個で絶望とかキャラ濃すぎ!」
「俺は真剣っす」
「あー面白い。——いいよ、貸して」
ユアはおにぎりをひったくって、レジを通した。
「え、でも金が」
「おごり。さっきの助かったし」
それから、ユアはレジ横のホットスナックのケースを開けた。廃棄寸前の唐揚げ串を取り出して、袋に入れる。
「これもあげる。賞味期限たった今切れたから」
「え! いいんすか!?」
「いいよ。あんたみたいな金欠で泥だらけのやつ見てると、なんか調子狂うし」
ユアは笑った。ギャル特有の、裏のない笑顔だった。
「汚い野良犬に餌やる気分。店長にチクんなよ?」
「…………」
イエヤスは唐揚げ串を受け取った。温かい。いい匂いがする。
そして、思った。
おごられた。餌付けされた。優しくされた。
——これがもしかしたら、モテるということなのでは!?
親父は言っていた。「女から飯を恵んでもらうようになったら、それはヒモの才能がある。つまりモテてるってことだ」と。
「ありがとうございます!」
イエヤスは満面の笑みで礼を言った。
「俺、もっと頑張ります! モテるために!」
「は? 何言ってんの? 意味わかんないんだけど」
ユアは呆れたが、悪い気はしなかった。泥だらけでバカで、でもやたらと強くて真っ直ぐな客。
「……ま、また来なよ。鮭くらいなら取っといてあげるから」
「うす! じゃ、お疲れっす!」
イエヤスは唐揚げを齧りながら、ご機嫌で店を出ていった。
自動ドアの向こう、夕暮れの空。
四級採掘者・イエヤスの一週間目が終わろうとしていた。
掘って、食べて、寝て。
モテる気配は——本人の頭の中では、少しだけ漂い始めていた。
盛大な勘違いと共に。
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