第62話 ② 「烈火、降臨」後編
管理局地上棟、モニター室。
六人が集まった。
彩が端末をモニター室の大型スクリーンに接続すると、壁一面に烈火の顔が映し出された。
イエヤスは無言だった。
スクリーンの中の父親を、まっすぐに見つめている。感情が読めない顔だった。怒りでも、喜びでも、驚きでもない。ただ——見ていた。
刃は壁に背をつけたまま、顔を横に向けていた。スクリーンを見ようとしない。腕を組んだ手の指先が白くなっている。
凛はイエヤスの半歩後ろに立ち、イエヤスの表情を横目で窺っていた。つむぎは端末を胸に抱えたまま、通信データの波形を記録している。
セリアは——画面を見た瞬間、椅子から立ち上がった。
スクリーンの中の男。白髪。皺。古傷。老いた顔。
だが、目が同じだ。笑い方が同じだ。声が同じだ。
二十年分の時間が塗り重ねられていても、あの男だと一瞬で分かった。
「——あなた!」
セリアの声が、モニター室に響き渡った。翡翠の瞳に、怒りと安堵と悲しみが同時に燃えている。
「姉さまを置いて——二十年も——!」
翻訳魔具が追いつかないほどの早口だった。だが、感情の激しさが言葉の壁を越えていた。
スクリーンの中の烈火が、セリアを見た。
笑みが、ほんの一瞬だけ消えた。
烈火の目が細くなった。視線がセリアの顔を、髪を、長い耳を、全身をゆっくりと辿った。
「……変わらないな」
低い声だった。いつもの豪快さが消えている。
「お前は変わらないな。エルフの二十年ってのは、やっぱそういうもんか」
セリアの唇が震えた。
「あなたは変わりすぎです」
「そうかぁ? まだまだ現役だけどな」
烈火がまた笑った。だが今度の笑みには、先ほどの不遜さがなかった。もっと静かで、もっと深い場所から浮かんできた笑みだった。
「エルティは元気か」
「元気なわけないでしょう! あなたが去ってから、姉さまは弓を引かなくなりました! 笑わなくなりました! それをあなたは——」
「……そうか」
たった三文字だった。
だがその三文字の重さに、モニター室の全員が黙った。
イエヤスが口を開いた。
「……親父」
「おう。元気そうだな、バカ息子」
「うん。元気だよ」
それだけだった。
イエヤスはそれ以上何も言わなかった。言いたいことがないのではない。言葉にする前に、もう伝わっている。親子の間に横たわる十七年間の距離は、この数秒の沈黙の中に全部あった。
刃は、壁に背をつけたまま、一度もスクリーンを見なかった。
だが、彼の左手がポケットの中にある六つの魔鉱石を強く握りしめていることを、隣に立っていた凛だけが気づいていた。
烈火の視線が、一瞬だけスクリーンの端——刃が立っている方角に動いた。口を開きかけて、閉じた。
何も言わなかった。
◇◇◇
休憩室では、あかりの配信がまだ続いていた。
あかりは自分のイヤピースから、モニター室の音声を拾っていた。彩が中継前に回線を共有してくれていたのだ。配信には流さない。だが、あかりの耳には全部聞こえていた。
セリアの叫び。烈火の声。イエヤスの短い「元気だよ」。
あかりの目が熱くなった。配信中だ。泣けない。泣いたらプロ失格だ。
だが、目の奥がどうしようもなく痛い。
──────【LIVE】同接:121,630──────
: 同接12万超えてるんだけど
: あかりちゃんが全然喋らなくなった
: 何が起きてるの?
: 「かみしろ れっか」のスパチャ、外部で大拡散してる
: 「エルフ」「深層」「神代烈火」全部トレンド入り
: あかりちゃん泣いてない?
: 泣いてないけど目が赤い
: 頑張れあかりちゃん……
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あかりは深呼吸を一つして、カメラに向き直った。
「——すみません皆さん。ちょっと機材トラブルがあって。大丈夫です、復旧しました」
嘘だった。機材は壊れていない。壊れていたのは、あかりの声の安定だった。
「えー、本日の配信はここまでにしたいと思います。"かみしろ れっか"さんのスパチャについては確認が取れ次第、改めてご報告します。皆さん今日も見てくれてありがとうございました!」
配信終了ボタンを押した。
画面が暗くなる。同接のカウンターが消える。
あかりは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
誰もいない休憩室で、一筋だけ涙が頬を伝った。
◇◇◇
モニター室。
烈火は多くを語らなかった。
境界壁のこと。向こうの世界のこと。姉エルティナーデのこと。聞きたいことは山ほどあったが、烈火はそのどれにも正面からは答えなかった。
「詳しい話はそのうちする。——今日は顔を見に来ただけだ」
彩が端末の画面を睨んだ。
「『そのうち』では困ります。あなたには説明責任が——」
「嬢ちゃん。俺は昔からそういうのが苦手でな」
「知ってます」
烈火は笑った。それから、視線をスクリーンの中からセリアに向けた。
「セリア」
少女の背筋が伸びた。名前を呼ばれただけで、全身が反応している。
「息子を頼む」
セリアの翡翠の目が見開かれた。
「——頼む、ではありません! あなたが帰ってくるべきです! 姉さまのところへ!」
「ああ。いずれな」
「いずれ、ではなく——」
「セリア」
烈火の声が、ほんの少しだけ静かになった。
「エルティに伝えてくれ。——待たせて悪い。もう少しだけ時間をくれ、と」
セリアの口が閉じた。言い返す言葉が出てこなかった。怒りは消えていない。だが、この男の声の底にある感情が、怒りの刃を鈍らせていた。
スクリーンの中で、烈火が手を上げた。
「じゃあな。——息子ども。……お前らが揃ったら、全部話す」
複数形だった。
刃がびくりと肩を揺らした。壁に背をつけたまま、それでも顔だけがスクリーンの方を向きかけ——向く前に、通信が切れた。
スクリーンが暗転した。
モニター室に、静寂が落ちた。
◇◇◇
セリアはスクリーンが消えた後も、しばらく立ったまま動けなかった。
暗い画面を見つめている。映っていたのは、二十年分老いた男の顔。変わらない目。変わらない声。変わらない——無責任さ。
「……ひどい人」
セリアの声が小さかった。
「こんなに変わっておいて。『待たせて悪い』だけで済むと思っているのですか」
誰も答えなかった。
イエヤスが、そっとセリアの肩に手を置いた。
「……ひどいよな、あの人は」
「はい」
「バカだしな」
「はい」
「でも、お前の名前覚えてた。姉ちゃんの名前も覚えてた」
セリアが顔を上げた。涙が、乾いた頬をもう一度濡らしていた。
「……はい」
イエヤスはそれ以上何も言わなかった。肩に置いた手を離し、ポケットに突っ込んだ。
彩が声を出した。管理官の声だ。
「全員、今日はここまで。明日の朝、改めて対策会議を開きます。——各自、休みなさい」
◇◇◇
モニター室を出た廊下で、あかりが壁にもたれて立っていた。
目が赤かった。配信終了後に泣いたのだろう。だが、今はもう泣いていない。
「……お疲れ様、あかりちゃん」
彩が声をかけた。あかりは小さく頷いた。
「同接、最後は十二万超えてました。スパチャの累計は五十万突破。SNSのトレンド上位五つに『神代烈火』『エルフの妹』『深層』『セリア』『かみしろれっか スパチャ』が並んでます」
あかりの声はプロのそれだった。感情を押し殺し、数字を正確に報告する。
「アーカイブは管理局の確認が取れるまで非公開にしてあります。コメントの『エルフ』に関する部分は、注釈をつけるか該当箇所をカットするか、彩さんの判断で」
彩は頷いた。
「判断は明日出すわ。今夜中にプレスリリースの準備だけ進めておく。——あかりちゃん」
「はい」
「泣いてたでしょ」
あかりは一瞬だけ目を逸らし、それからまっすぐ彩を見た。
「……配信中は泣いてません」
「知ってる。えらかったわね」
あかりの唇が震えた。だが、ぐっと噛み締めて、笑顔を作った。
「プロですから」
彩は「そうね」とだけ言って、執務室に戻っていった。
歩きながら、端末のメモ帳に箇条書きを打ち込んでいく。
『対応事項:
・アーカイブ注釈の策定
・プレスリリース草案
・セリアの行動制限の見直し
・ダンジョン庁本部への経緯報告
・「三パーセント」のデータ——ロック継続』
最後の一行だけ、彩は三秒間見つめてから、端末をロックした。
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