表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
52/108

第52話 「あかりの本音」

採掘停止三日目。午後六時。

 管理局(かんりきょく)の全館放送が、短く鳴った。


『本日十七時をもちまして、境界区画の安全確認が完了しました。明日〇八〇〇より、境界区画への再突入を許可します』


 放送が切れると同時に、局内のあちこちで明日に向けた動きが始まった。

 早瀬凛(はやせりん)は装備庫で探索者刀(ソードギア)を研ぎ直し、雪平つむぎは研究室でセンサーの最終調整に入り、氷室刃(ひむろじん)は自室で黙々と太刀を手入れし、藤村彩(ふじむらあや)は執務デスクで安全管理計画書にペンを走らせていた。


 イエヤスは、新しい部屋で黒ツルハシを壁に立てかけ、凛が選んだマグカップで水を飲んでいた。


 全員が、明日に向けて動いていた。

 ——伊吹あかりを、除いて。



          ◇◇◇



 あかりは、管理局が公認配信者(こうにんはいしんしゃ)に提供した専用の編集室にいた。


 モニターの一つに、前回の境界区画突入時の映像が一時停止されている。

 魔力濃度が危険域に達した最奥で、イエヤスが変異種を粉砕した瞬間の横顔。目は真剣で、口元は引き締まっている。命がけの顔だ。


 あの時の同時接続数、十七万超。あかりの配信史上、ぶっちぎりの歴代最高だった。

 コメント欄は『すげえ!』『バケモノかよ!』という純粋な熱狂で溢れ返っていた。


 あかりはモニターから目を逸らした。

 デスクの隅に、明日の配信の構成案を書くはずの企画ノートが開いてある。いつもなら手が止まらない作業だ。

 だが、ノートは白紙のままだった。


 あかりは椅子の背にもたれて、天井を見上げた。


 ——明日、また同じことが起きる。

 イエヤスが命を張る。凛と刃が命を張って守る。つむぎが極限の集中で計測し、彩が全体を背負って指揮する。

 そして自分は、安全な後方からレンズ越しにカメラを回す。


 数字が回る。コメントが流れる。スパチャが飛ぶ。同接が跳ねる。

 ——それが、自分の仕事だ。


 あかりはモニターの電源を落として、企画ノートを閉じた。

 編集室を出た。



          ◇◇◇



 午後八時。管理局地上棟、屋上。

 五月の夜風が、あかりの髪を揺らしていた。


 あかりはフェンスの近くに座り込んで、膝の上に企画ノートを広げた。ペンを持ったが、やはり書けなかった。

 街の灯りの向こうに、ダンジョンのゲートが暗く口を開けている。明日、あの中に入る。


「……構成が浮かばない」


 嘘だ。七年間配信を続けてきたプロだ。企画なんて呼吸と同じように立てられる。

 浮かばないのは、構成ではない。

 ——覚悟だ。


「おー、あかりさんじゃん」

 振り返ると、イエヤスが屋上のドアから出てきたところだった。片手にみかんジュースの缶を持っている。


「イエヤスくん。こんな時間にどうしたの?」

「風が気持ちいいかなって。部屋にいてもツルハシ磨くくらいしかやることねーし」


 イエヤスはあかりの隣に——五十センチほど間を空けて——腰を下ろした。


「あかりさんは? 明日の準備? 企画ってやつ?」

「……うん。まあ、そんなところ」


 イエヤスは白紙のノートをちらりと見たが、何も言わなかった。

 しばらく、風の音だけが屋上を渡った。


「ねえ、イエヤスくん」

「ん?」

「私がカメラ回してるの、迷惑じゃない?」


 イエヤスは首を傾げた。本気で意味がわからないという顔だった。


「なんで?」

「だって——」


 あかりは膝の上のノートに目を落とした。


「命がけの場面で配信してる私って、結局、安全な場所から人の命を数字にして飯食ってるだけじゃん」


 声が、思ったよりも小さかった。


「イエヤスくんは体張ってる。凛ちゃんも刃くんも前線で戦ってて、つむぎちゃんも彩さんもリスクを負ってる。私だけだよ。後ろでカメラ構えて『はい同接四万突破ー!』とかやってんの」


 あかりはペンのキャップをかちりと閉めた。


「前回の配信、歴代最高の数字だった。嬉しかったよ、正直。でもさ、あの数字ってイエヤスくんが命張った結果じゃん。明日も、一撃ずれたら崩壊する核晶の修復で、私はまたカメラ回すの? それを見て『今日も良い配信でしたー』って締めるの?」


 あかりの声が、わずかに震えた。


「……それって、何してるんだろうって。思っちゃって」


 イエヤスは黙って聞いていた。みかんジュースの缶を両手で包むように持っている。

 頭の中で何かを整理するように、少しだけ考えてから口を開いた。


「あかりさん。俺さ、採掘者れいばーじゃん」

「知ってるよ」

「採掘者ってさ、地味なんだよ。穴掘って、石出して、終わり。でもさ、あかりさんが配信始めてから変わったろ? つむぎが教えてくれたんだけど、あかりさんの配信見て『採掘者になりたい』って問い合わせてくる奴がすげー増えてるらしいぜ」


 あかりは顔を上げた。イエヤスはまっすぐ前を向いて、街の灯りを見ていた。


「俺は掘ることしかできない。目の前の壁を叩いて、石を出す。それだけだ。カメラの使い方も、喋りも、何をどうしたらいいかわかんねえ」


 イエヤスはあかりの方を向いた。


「あかりさんは、それを皆に届けてくれる。俺の仕事を、画面の向こうの知らない奴らに見せてくれる。それって、俺には絶対にできないことだ」

「…………」

「だから——ずっと隣で撮ってくれよ。あかりさんがいないと、俺の仕事は誰にも届かないんだから」


 屋上が、静かになった。


 あかりは唇を噛んだ。鼻の奥が、つんと痛い。

 ——ずるい。

 この男は、いつもこうだ。計算がない。ただ思ったことを、まっすぐに言う。それが人の心をどれだけ激しく揺さぶるか、本人だけが全くわかっていない。


 涙が、一筋こぼれた。

 営業スマイルでも、配信者の仮面でもない。二十一歳の桜庭(さくらば)あかりの、素の涙だった。


「……ずるいよ、イエヤスくん。そういうこと言うの」

「え? 何がずるいの?」

「——なんでもない」


 あかりは手の甲で涙を乱暴に拭った。もう一筋こぼれた。それも拭った。

「……なんでもないから」

「いや泣いてるだろ。大丈夫か?」

「大丈夫。泣いてない」

「泣いてるって」

「泣いてないの! これは——目から汗が出てるの!」

「そんなことある?」

「あるの! 配信者の特異体質なの!」


 あかりは鼻を啜って、空を見上げた。深呼吸を二回した。

 それから、イエヤスに向き直った。


 笑っていた。

 いつもの完璧なカメラ用の笑顔とは違う。不格好で、目元が赤くて、鼻声で。でも、前よりもずっと柔らかくて、強い笑顔だった。


「——明日、最高の映像撮るから。覚悟しててね」

「おう。いつも通りでいいぞ」

「いつも通りじゃないよ。明日は——今までで一番良いの撮る。だから、イエヤスくんも今までで一番かっこよく掘ってよ」

「任せろ。掘るのは得意だ」


 あかりはもう一度鼻を啜って、膝の上の企画ノートを開いた。

「……ちょっと一人にしてくれる? 構成考えたいから」

「おう。じゃあ俺戻るわ。おやすみ、あかりさん」


 イエヤスは手を振って、屋上のドアに消えた。



          ◇◇◇



 あかりはノートを膝の上に置いて、ペンを構えた。

 さっきまで一文字も書けなかったページだ。今は、書ける。


 ペン先が紙に触れた。さっきこぼした涙の跡が、紙をわずかに波打たせていた。その上から、あかりは一行だけ書いた。


『境界区画・核晶修復ドキュメンタリー。これは数字のためじゃない。この人たちの記録を、残すために撮る』


 あかりはノートを閉じて、立ち上がった。フェンスに手をかけて、ダンジョンのゲートを見下ろした。

 明日、あの中に入る。カメラを持って。

 ——数字は、後からついてくる。


 あかりはポケットからスマホを取り出し、配信アプリを開いた。

 いつもの煽り文句も、ハッシュタグの羅列も、サムネ用の自撮りもない。文字だけの、短い告知を投稿した。


『明日、境界区画に入ります。今までで一番大事な配信になると思う。見届けてくれたら嬉しいです』


 投稿して三秒後。通知が鳴り始め、コメントが爆発的な勢いで流れ始めた。

 あかりはスマホをポケットに戻した。


「——隣で撮ってくれ、か」


 ずるい。ほんとにずるい。

 でも、嬉しかった。心のど真ん中をまっすぐ射抜かれた。射抜かれたことに射抜いた本人だけが気づいていない。それがまた、どうしようもなくずるい。


 あかりは階段を降りながら、明日のカメラの充電残量を頭の中で確認した。

 バッテリー本体、満充電。予備バッテリー二本、充電中。外部マイク、動作確認済み。

 何時間撮っても足りる。


 足りなかったのは、覚悟だけだ。

 ——それは今、もう十分に足りている。


───────────────────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ