第5話 「邪魔だな」
採掘者になって三日目。
イエヤスは浅層の採掘エリアで、朝から壁を掘り続けていた。
初日に見つけた鉱脈は、彩の見立て通りかなり上質な魔鉱石を含んでいた。イエヤスが掘り出した鉱石を見た彩が「浅層でこの純度はなかなかないよ」と言っていたので、たぶんすごいのだろう。たぶん。正直よくわからないが、褒められたのでいい気分だった。
褒められるのは好きだ。親父にはあまり褒められなかったから。
「イエヤスくん、そろそろ休憩にしよ」
彩が水筒を差し出してきた。イエヤスはツルハシを壁に立てかけ、水を受け取った。
「うす」
「三日目にしてはペースが速すぎるくらいだけど……体はきつくない?」
「全然。散歩みたいなもんっす」
「……だと思った」
彩が呆れたように笑う。
浅層の採掘エリアには、イエヤスと彩の他にも数人の採掘者がいた。それぞれ割り当てられた区画で黙々と壁を削っている。地味な光景だ。派手さはない。聞こえるのはツルハシが岩を叩く音と、掘削ドリルの低い唸り。たまに誰かの咳。
彩が言うには、浅層の安全確認済みエリアは探索者によって定期巡回されており、モンスターの出現は極めて稀だという。稀、とは「ゼロではない」ということだが、出たとしてもごく小型で、逃げる時間は十分にある。
だから採掘者は武器を持たない。持つ必要がない。万が一の時は撤退して、探索者に連絡を入れる。それが規則だ。
——その規則が、今日破られることになる。
◇◇◇
昼過ぎ。
イエヤスが壁に向かってツルハシを振っていると、背後の通路から妙な気配がした。
気配、としか言いようがない。空気の流れが変わった。温度が微かに下がった。そして——匂い。土と岩の匂いに混じって、かすかに獣のような匂いが漂ってきた。
イエヤスの体が反応したのは、頭で考えるよりも先だった。
ツルハシを握る手に力が入る。足の位置が変わる。重心が落ちる。
父親に十六年間叩き込まれた本能が、「来る」と告げていた。
通路の暗がりから、それは現れた。
小型モンスター。体長は犬ほど。灰色の体表にトカゲのような鱗が並び、四本の足で低く地面を這っている。目が赤い。口から涎が垂れている。浅層に稀に出現する下級モンスターの一種だった。
「——!」
最初に気づいたのは、隣の区画で作業していた中年の採掘者だった。
「モンスターだ! 撤退! 全員撤退!」
採掘エリアが一瞬で騒然となった。工具を放り出して走り出す者。腰を抜かす者。彩が即座に声を張り上げた。
「落ち着いて! 出口はあっち! 慌てないで順番に——イエヤスくん! あんたも逃げ——」
彩の声が途切れた。
イエヤスが、壁に向かっていた体をモンスターの方に向けていた。ツルハシを片手で握り、自然体で立っている。逃げる気配がない。
モンスターがイエヤスを認識した。赤い目が細まり、低い唸り声を上げて、地を蹴った。
速い。小型とはいえダンジョンモンスターだ。一般人なら反応すらできない速度で距離を詰めてくる。
イエヤスは半歩だけ横にずれた。
モンスターの突進が空を切る。
その横っ面に——ツルハシの腹が叩き込まれた。
ゴッ、という鈍い音。
モンスターは壁に激突し、ずるずると崩れ落ち、動かなくなった。
一撃。
正確には、半歩の回避と一振り。合わせて二秒もかかっていない。
イエヤスはツルハシを肩に担ぎ直して、動かなくなったモンスターを見下ろした。
「邪魔だな」
採掘エリアが、静まり返った。
逃げかけていた採掘者たちが足を止めている。腰を抜かしていた男がぽかんと口を開けている。
誰も動かなかった。
彩も動けなかった。
今の動き。あれは——素人の動きではない。反射的に見えた。考えて動いたのではなく、体が勝手に反応していた。回避の角度、打撃のタイミング、力の伝え方。全てが洗練されている。モンスターとの戦闘に慣れた探索者の動きだ。
それを、四級採掘者の少年が、採掘用のツルハシで。
「——ちょっと!」
彩の声が戻った。
大股でイエヤスに詰め寄る。
「採掘者はモンスターと戦わないの! 知ってるでしょ!?」
「え? でも邪魔だったし」
「邪魔じゃなくて! 規則で禁止されてるの! 採掘者は戦闘訓練を受けてないから——」
「でも俺、倒せたけど」
「倒せたとか倒せないとかじゃなくて!」
彩の声が裏返った。怒っている。怒っているが、その怒りの奥に別の感情がある。驚き。困惑。そして——恐怖に近い何か。
この子は何者なんだ、という疑問が、初日よりもずっと強く彩の中で渦巻いていた。
「藤村さん」
「何」
「でもさ、放っといたら皆、危なかったんじゃ?」
「……それは」
「逃げてる途中で追いつかれたら、もっとヤバくない? 俺が倒せるなら倒した方が安全じゃん」
「…………」
彩は言葉に詰まった。
正論だった。
悔しいが、正論だった。採掘者は戦えないから逃げる。それが規則だ。しかし「戦える採掘者」が目の前にいる場合、逃げることが本当に最善なのか。逃げる途中にパニックになって転ぶ者がいたら。出口が混雑して詰まったら。
規則は「採掘者は戦闘訓練を受けていない」という前提で作られている。その前提が崩れた時、規則をどう適用すればいいのか。
答えが出なかった。
「……とにかく。今後はダメだからね。規則は規則。問題になったらあたしが責任取らなきゃいけないんだから」
「うす。ごめん」
イエヤスは素直に頭を下げた。素直に頭を下げたが、目がまっすぐだった。反省しているというより、「怒らせて悪かった」と思っている目。規則を破ったことへの反省は——たぶん、あまりない。
彩にはそれがわかった。
この子は、目の前に危険があって、自分に倒す力があるなら、また同じことをする。規則がどうとか、立場がどうとか、そういうことは考えない。考える前に体が動く。
それが良いことなのか悪いことなのか、彩にはまだ判断がつかなかった。
周囲の採掘者たちがざわざわと戻ってきた。動かなくなったモンスターを遠巻きに眺めている。イエヤスを見る目が明らかに変わっていた。
「おい、あの新人がやったのか」
「ツルハシ一撃だったぞ」
「マジかよ……採掘者だろ?」
「藤村さんとこの新人、ヤバくないか」
ひそひそ声。イエヤスの耳には届いていないようだった。すでに壁に向き直って、ツルハシを構えている。
そんな中。
隅の方で、一人の採掘者がこっそりとスマホを構えていたことに、誰も気づいていなかった。
ブレた映像。暗い画面。しかし、少年がモンスターを一撃で粉砕し、「邪魔だな」と吐き捨てる瞬間は、はっきりと捉えられていた。
録画停止ボタンが押される。
そして、『送信』。
◇◇◇
その日の帰り道。
ダンジョンを出て、管理局の前を並んで歩いていた。夕方の空がオレンジに染まっている。地上の空気は、ダンジョンの中より少しだけ温かかった。
彩はしばらく黙って歩いていたが、やがて口を開いた。
「ねえ、イエヤスくん」
「はい」
「あんた、誰かに戦い方教わった?」
さりげなく聞いたつもりだった。さりげなくなっていたかはわからない。
イエヤスは特に隠す様子もなく答えた。
「親父に」
「お父さん」
「うん。ガキの頃からずっと。殴る蹴るは基本で、武器の扱いとか、モンスターの動きの読み方とか。色々教わったっす」
モンスターの動きの読み方。それを「教わった」と言える環境とは何だ。彩の頭に疑問が浮かぶ。
「お父さん、何してる人?」
「いつもキレイな女の人と遊んでいる」
「いや、そういうことじゃなくて! 仕事は?」
「ダンジョンの仕事。いま旅行中。——あ、冒険って言ってた」
「ダンジョンの仕事って……探索者?」
「たぶん。なんか等級が高いとか言ってた気がするっす。あんまり覚えてないけど」
等級が高い探索者。息子にこれだけの戦闘力を仕込める実力者。
彩はそれ以上聞かなかった。
聞きたいことは山ほどあった。父親の名前。等級。所属。この少年がなぜ採掘者をやっているのか——いや、それは自分が「モテるよ」で釣ったからだ。それはわかっている。
わかっているが、本来この少年は探索者になるべき人間なのではないか。
その疑問を、彩は飲み込んだ。
「……明日も朝七時ね。遅刻しないで」
「うす。——藤村さん」
「ん?」
「今日のモンスター、倒したの怒ってる?」
彩は少し考えた。
「怒ってるよ。規則は規則だから」
「そっか。これじゃモテないかな?」
「——それはまだ分からないけど……助かったのは事実だから。お礼は言っとく。ありがとう」
イエヤスが笑った。屈託のない笑顔だった。
「うす。じゃ、また明日」
手を振って、駅とは逆の方向に歩き出す。また歩いて帰るのだろうか。いやそもそもこの子は電車に乗れるのだろうか。
彩はその背中を見送りながら、腕を組んだ。
四級採掘者。登録三日目の新人。
——どう考えても、ただの四級じゃない。
この子がこの先どうなるのか、彩にはまだ見当もつかなかった。
ただ一つ確かなのは、明日も明後日も、この子はダンジョンに来るということだった。
モテるために。
そして——
SNSという名の巨大なダンジョンで、すでに『火』がつき始めていることを、この時の二人はまだ知らない。




