第4話 「初ダンジョン」
東京ダンジョン。
千代田区の一角、皇居の北東に位置する巨大な地下施設。ダンジョン庁東京管理局の地下に、その入口はある。
朝七時。
イエヤスは集合時間の十分前に到着していた。
「おはよ。ちゃんと来たね」
彩が管理局の入口で待っていた。昨日と同じ作業着。ヘルメットを小脇に抱え、背中には大きなリュック。腰には採掘用の工具がいくつもぶら下がっている。
「うす。——ここがダンジョン?」
「返事は「はい」でしょ。入口ね。中はもっと広いよ」
管理局の正面ゲート。探索者と採掘者がIDカードをかざして次々と入っていく。
イエヤスは立ち止まって、その光景を眺めた。
探索者たちの装備は華やかだった。特注の防護スーツに身を包み、背中には様々な武器を携えている。剣、槍、戦斧。中にはダンジョン産の特殊素材で作られた装備を身につけている者もいて、薄く光を帯びた防具が朝日に映えていた。
一方。
採掘者たちは——地味だった。
汚れた作業着。ヘルメット。安全靴。腰にぶら下がった工具類。背中にはツルハシや掘削ドリルを背負っている。
一般人は採掘者を見ない。写真も撮らない。ゲートの前で探索者と採掘者がすれ違う時、道を譲るのはいつも採掘者の方だった。
「……かっこいいな、あっち」
イエヤスが探索者たちを見て、ぼそりと呟いた。
「あっちの方がモテそうだけど……」
「——聞こえてるよ?」
彩の声が低くなった。
「うちの仕事も立派なの! 探索者がダンジョンの安全を確保して、あたしたちがそこから資源を掘り出す。どっちが欠けてもダメなの」
「うす」
「モテるかどうかはまず仕事ができるかどうか。仕事で結果を出せば認められる。認められればモテる。たぶん」
「たぶん?」
「たぶん」
断言を避けた。
「とにかく行くよ。今日はあたしが全部教えるから、ちゃんと見て覚えて」
「うす」
「はい、でしょ!!」
◇◇◇
ゲートをくぐると、空気が変わった。
気温が二度ほど下がり、空気に微かな湿り気が混じる。壁面にはうっすらと自然発光する鉱物が埋まっていて、青白い光を放っていた。
「ここが浅層の入口。あたしたちが今日入るのは浅層の安全確認済みエリア。モンスターは基本出ない——はず」
「はず?」
「たまに出る。そしたら逃げる。いい? 逃げるの。採掘者はモンスターと戦っちゃダメ。規則で決まってる」
「逃げる男はモテないって親父が——」
「規則」
「うす」
彩に睨まれて、イエヤスは素直に頷いた。素直なのは美点だった。言うことを聞くかどうかは別問題だが。
採掘エリアに到着する。浅層の中でも比較的入口に近い、新人の研修によく使われる区画だ。壁面が露出しており、すでに何カ所か掘削の跡がある。
「さ、ここからが本番。採掘の基礎、教えるよ」
彩はリュックから工具を取り出しながら、説明を始めた。
「まず壁の見方。鉱脈がある場所は色や質感が周囲と違う。こういう——ほら、ここ。少し黒っぽくなってるでしょ? これが魔鉱石を含む地層のサイン」
「ふーん」
「それから叩き方。いきなり強く叩くと周囲の岩盤ごと崩れる。最初は軽く、壁の硬さと手応えを確かめながら——こう」
彩が小型のハンマーで壁を叩いた。コン、コン、と乾いた音がする。
「音を聞く。硬い岩盤と鉱脈を含む層では音が違う。鉱脈がある場所は少し——」
「鈍い?」
イエヤスが口を挟んだ。
彩が手を止めた。
「……そう。鈍い音がする。よくわかったね?」
「なんとなく」
なんとなく。彩は少し引っかかったが、続けた。
「で、鉱脈を見つけたら、ツルハシで慎重に掘り進める。結晶構造を壊さないように、地層の走向と傾斜を読んで、結晶構造に沿った角度で——」
「ちょっと何言ってるかわからないっす」
「…………」
彩は深呼吸した。
「じゃあ、まずやってみようか。見て覚えるタイプかもしれないし」
彩が手本を見せた。壁面に向き合い、ツルハシを構え、一定のリズムで掘り進めていく。力任せではない。壁の手応えを確かめながら、少しずつ角度を変え、鉱脈に沿って丁寧に削っていく。
六年の技術だ。一級採掘者の、地道に磨き上げた技。
「——こんな感じ。じゃ、やってみて」
イエヤスにツルハシを渡す。
父親の形見だという、使い込まれた採掘用ツルハシ。イエヤスはそれを軽く振って重心を確かめると、壁に向き合った。
彩は隣で見守る構えを取った。新人の初日だ。最初は壁に当てる角度も力加減もめちゃくちゃで、何度も修正してやるのが普通——
ガツン。
一撃目から、壁に吸い込まれるようなツルハシの軌道だった。
彩は目を見開いた。
角度が違う。自分が教えたのとは全く違う。だが——入っている。岩盤の隙間を縫うように、刃先が的確に食い込んでいる。
二撃目。三撃目。リズムが一定ではない。打点が毎回変わる。教科書通りの採掘とはかけ離れている。我流もいいところだ。
なのに——削り出された岩盤の断面が、きれいだった。
結晶構造を破壊していない。理論も知らないはずなのに、なぜか結晶の走る方向に沿って掘れている。
「——ちょっと待って」
彩がイエヤスの手を止めた。削り出された断面に手を当てる。指先で結晶の方向を確かめる。
「なんで……教えたのと全然違うやり方なのに、なんで上手くいってるの……?」
「え? 上手くいってんの?」
「いってる。……意味がわからない」
彩は首を振った。自分が六年かけて身につけた技術の根幹にあるもの——「結晶構造を壊さない採掘」を、この子は初日で、理論も知らずに、感覚だけでやっている。
天才、という言葉が頭をよぎった。
いや、まだ早い。たまたまかもしれない。
「もう少し続けて。あたしが見てるから」
「うす」
イエヤスは壁に向き直り、またツルハシを振り始めた。楽しそうだった。掘るという行為そのものを、体が喜んでいるように見えた。
十分ほど掘り続けた時だった。
イエヤスの手が止まった。
壁に耳を近づけている。
「……藤村さん」
「ん?」
「なんかここ、音が違う」
「音?」
「うまく言えないんすけど——ここだけ、奥の方で響いてる感じがする。他のとこはコンコンって返ってくるのに、ここだけ……もっと深い音がする」
彩は眉をひそめた。
壁に手を当てる。ハンマーで軽く叩いてみる。
——確かに、わずかに音が違う。
彩でもかなり集中しなければ聞き分けられない程度の差だ。いや、正直に言えば、イエヤスに指摘されなければ気づかなかった。
工具箱から簡易の鉱脈探知機を取り出す。壁に押し当て、スキャンする。
表示を見て、彩は息を止めた。
鉱脈があった。
壁の奥、約二メートルの深さに、かなり大きな魔鉱石の反応。浅層にしては上質な、しっかりとした反応だ。このエリアは研修用で何度も掘り尽くされているはずなのに、こんな場所に鉱脈が残っている。
いや——残っていたのではない。この深さでこの角度の鉱脈は、通常の探知では検出しにくい。見落とされていたのだ。それを、この子は音だけで見つけた。
初日で。
感覚だけで。
「——イエヤスくん」
「うす」
「これ、今まで誰も見つけてない鉱脈。キミが見つけた」
「マジすか。じゃあ掘っていいすか?」
「……いいよ。掘ってみて」
彩はイエヤスの横顔を見つめた。
嬉しそうにツルハシを構える少年の横顔を。鉱脈を見つけたことの凄さを全く理解していない、のんきな顔を。
(……拾っちゃったかも)
彩は武者震いした。
体力はバケモノ。採掘のセンスも規格外。頭はどうしようもないバカ。
とんでもない新人を引き当てたかもしれない。
少しの嘘でこんな逸材が手に入るなら、安いものだ。彩の中で打算が勝った。「モテるよ」の一言で釣った罪悪感など、期待の前では些細なことだった。
「よっしゃ、掘るぞー!」
イエヤスのツルハシが壁に食い込む音が、浅層に響いた。
その時。
採掘音に紛れて、通路の奥から低い唸り声が聞こえたことに——彩はまだ気づいていなかった。
イエヤスだけが、ピクリと耳を動かした。




