第47話 「クソ親父からの荷物」
午後六時十四分。イエヤスのアパート前。
封鎖区域の先行調査から帰還し、管理局での報告を終え、全員が解散した後のことだった。
イエヤスは自宅の郵便受けの前に立っていた。
錆びた金属製の小さな箱。いつもは空っぽだ。届くのは電気料金の請求書と、たまに入っているピザ屋のチラシくらいしかない。
今日は違った。
郵便受けに入り切らない巨大な荷物が、ドアの前に立てかけられていた。
巨大な木箱。黒い布で包まれ、頑丈な革紐で十字に縛られている。表面に貼られた送り状には、外国の切手が三枚。消印は滲んで読めないが、宛名書きの筆跡はひどく荒々しい。
送り主の欄。
——神代烈火。
独特の筆跡が本物であることを証明していた。
イエヤスは「おっ」と声を漏らし、木箱をひょいと抱え上げて部屋に入った。
◇◇◇
午後七時。イエヤスのアパート、六畳一間。
なぜ全員がここにいるのか、藤村彩にもうまく説明がつかなかった。
解散後、イエヤスから彩に連絡が来た。「なんかでけー荷物が届いた。親父からっぽい」。彩がつむぎに連絡した。つむぎが凛に連絡した。凛がたまたま隣にいた刃に伝えた。刃の表情が絶対零度に凍りついた。あかりは誰にも連絡されていないのに、なぜかもう玄関にいた。
六畳一間に六人。圧倒的に狭い。
部屋の中央に木箱が置かれている。
イエヤスは木箱の前にあぐらをかいて座っている。彩は部屋の隅で壁にもたれている。凛はドア際に立っている。つむぎはタブレットを構えている。あかりはカメラを——まだ回していない。彩に止められたからだ。
氷室刃は、窓際に立っていた。腕を組み、親の仇を見るような目で木箱を睨んでいる。いや、実の父親が仇なのだから複雑だ。
「開けるぞ」
イエヤスが革紐に手をかけた。結び目を解き、黒い布を剥がす。木箱の蓋を持ち上げた。
中に、二つのものが入っていた。
一つは、黒いツルハシ。
もう一つは、茶色い封筒。
「手紙から読んで」
彩が言った。管理官として、内容物の危険性確認が先だ。
「うす」
イエヤスは封筒を手に取った。表に「バカ息子へ」と、殴り書きのような字で書かれている。
封を切り、中の便箋を広げた。
「声に出して読んでくれる?」
「おう」
イエヤスは便箋を持ち直し、のんきな声で読み上げようとした。
五秒。十秒。手紙をいろいろな角度で見てみる。ついにはひっくり返したが-
「……読めない」
「は?」
「いや、字が汚いっていうか、漢字ばっかで何書いてあるか全然分かんねぇ」
「あなた、自分の親の字でしょうが」
「親父から手紙なんてもらったの初めてだし」
彩がため息をつく。
すると、つむぎがスッと進み出た。
「私にお任せください。タブレットでスキャンし、代読します」
「助かるわ。お願い」
つむぎが便箋をタブレットのカメラで撮影する。画面に文字が取り込まれた。
つむぎは眼鏡を押し上げ、画面を見つめた。
五秒。十秒。二十秒。
「……解読不可能です」
「は?」
「字が汚すぎます。象形文字かミミズの這った跡にしか見えません。光学文字認識ソフトがエラーを吐きました」
あかりが「草」と小さく呟いた。
「どうするのよ、これ」
「三十分ください」
つむぎの目に、研究者としての異常な執念が宿った。
「海外の古代文字解析アルゴリズムと、筆跡鑑定のディープラーニングを並列で回します。必ず読み解いてみせます」
◇◇◇
——三十五分後。
タブレットが「ピロッ」と電子音を鳴らした。
六畳間で体育座りをして待っていた全員が、一斉につむぎを見た。
「……解析、完了しました。代読します」
つむぎは咳払いをして、感情の起伏のない、合成音声のような平坦な声で読み上げ始めた。
『バカ息子へ。
ダンジョンの最奥が鳴っているはずだ。お前の耳なら聞こえている。俺が昔聞いたのと、たぶん同じ音だ。
新しいツルハシで掘り起こせ。今のツルハシじゃ深層の岩盤は砕けない』
全員が息を呑んだ。
イエヤスが午前中に聴き取った「泣いている音」。それを、十年以上行方不明の特級探索者が、海外から正確に予言してきている。
だが、手紙はそこで終わっていなかった。
『あと、もっとモテろ』
——ピキッ。
窓際で、刃のこめかみに青筋が浮かぶ音がした。
(……やはり『モテ』への異常な執着も、あの鬼畜の教育によるものだったのか……!?)
刃の顔が、絶望に染まっていく。血の呪いが濃くなった気さえした。
つむぎが、さらに淡々と読み続ける。
『氷室の息子が近くにいるなら伝えろ。
昔、氷室にやった黒い腕輪、まさか着けてねえよな?
あれ、重すぎる失敗作だから。捨てていいぞ』
「……なっ……!?」
刃の顔から、一瞬で血の気が引いた。
あの男を超えるための『負荷』として、物心ついた時から己の意志で着け続けていた、深層鉱石の重力ブレスレット。修行だと思い、十九年間片時も外さなかった己の誇り。
それが、単なる『重すぎる失敗作』だった。
(俺の十九年間は……失敗作の処理だったとでも言うのか……ッ!)
刃の全身がワナワナと小刻みに震え始める。
だが、クソ親父の容赦ない追撃はこれで終わりではなかった。
つむぎが、最後の一文を無慈悲に読み上げる。
『追伸。
いるなら氷室に伝えろ。あのシチュー、あれマジで不味かったってな』
——シャキィィィィンッ!!
六畳間に、金属が擦れる鋭い音が鳴り響いた。
刃が探索者刀の柄に手をかけ、鞘から刀身を引き抜いていた。表情は般若の如く怒りに歪み、柄を握る右手の指が白くなっている。
「やはり……あのクソ親父もろとも、この忌まわしき血脈をここで断つしかないッ!!」
「刃、待ちなさい!!」
凛が横から飛びつき、刃の右腕を全力で押さえ込んだ。
「離せ、凛ッ! 俺は正気だ!!」
「正気な人間は六畳間で刀を抜かないのよ! 全員怪我するわよ!!」
彩が反対側から刃の左腕の関節を正確に極めた。
「氷室君! 気持ちは分かるけど! 室内での抜刀は管理局規定第十七条違反よ! 鞘に収めなさい!」
「離せ!! 俺の十九年間の負荷を失敗作扱いし、あまつさえ母さんの——母さんのシチューをッ!!」
刃が血を吐くような声で吠えた。
母のシチューは確かに美味しくはなかった。具が大きすぎて火が通っていないし、ルーが薄い。だが確かに愛情を感じるものだった。
十九年間一度も顔を見せなかった男に、手紙の追伸でいじられる筋合いはない。
つむぎが木箱の横に膝をつき、便箋を守るように両手を広げた。
「氷室さん! その手紙、絶対に切らないでください! 筆圧、インク、紙の材質——全て特級探索者の生存を示す第一級資料です! 鑑定前に損傷させたら私が許しません!」
「この瞬間、撮っていいですか!? ねぇ回していいですか!?」
あかりが小型カメラを両手で持ち上げ、目を爛々と輝かせている。
「全員静かにしなさい!!」
彩の怒号が六畳間に響き渡り、ドタバタの喧騒がようやく強制終了した。
刃はゼェゼェと肩で息をしながら、ゆっくりと刀を鞘に戻した。チャキッ、と金属音が鳴る。
あかりが心底残念そうにカメラを下ろした。
◇◇◇
騒ぎが収まった後。
イエヤスは一人、喧騒など全く耳に入っていない様子で、木箱の中のツルハシに手を伸ばしていた。
全員の視線が、そこに集まる。
イエヤスが両手でツルハシを持ち上げた。木箱の中から現れたそれは、今まで使っていた市販品とは次元が違った。
——黒い。
柄から刃先まで、全体が深い漆黒に染まっている。
柄は深層樫——ダンジョンの深層でしか採れない超硬木だ。通常の木材の五倍の強度を持ち、魔力の伝導率が極めて高い。握った掌に、微かな振動が伝わってくる。
刃先は深層鋼。ダンジョンの最深部で精錬された特殊合金。表面には無数の鍛造の痕跡がある。機械加工ではない。誰かが、手で叩いて形にしたのだ。
柄と刃先の接合部には、紫色の魔鉱石が一粒、埋め込まれていた。小さいが、放つ輝きが異様だ。
「すげぇ……」
イエヤスは、そのツルハシを両手で持ったまま動かなかった。
目が、キラキラと輝いていた。
鮭おにぎりを食べている時とも、女の子にモテようとしている時とも違う。もっと純粋で、もっと深い場所にある感情。
「これ、今までのと全然違う……。柄がさ、振動してるんだ。持ってるだけで、生きてるみたいな」
イエヤスが柄を握る手に、力がこもった。
「これなら——どこまでも掘れる」
つむぎがタブレットを構え、ツルハシのスキャンを開始した。
「素材分析を行います。柄は深層樫、刃先は深層鋼……接合部の魔鉱石は、純度九十七パーセント。現在の市場には流通していない最高等級です。そしてこの鍛造痕……これを作れる鍛冶師は、データベースに存在しません」
彩が壁にもたれたまま、天井を見上げた。
神代烈火。
十年以上前にダンジョンの深層を単独踏破し、そのまま消息を絶った男。
その男が、息子のために深層の素材を使い、自分で鉄を打ち、特注のツルハシを作って送ってきたのだ。
「……不器用すぎるわよ、あの男」
彩が呆れたように息を吐いた。
◇◇◇
刃は窓際に立ったまま、イエヤスの背中を見ていた。
言葉にできない感情を、道具に込める。
息子に直接会わず、「愛している」とも「すまなかった」とも書かず、ただ「モテろ」と「シチュー不味かった」というふざけた手紙と共に、一本のツルハシを送りつける。
最低の父親だ。
——でも、送っている。
刃の母には、何も届いていない。十九年間、一度も。手紙も、荷物も、連絡も。
だが、イエヤスには、親父の手作りのツルハシが届いた。
自分と、この腹違いの弟の差。
「俺には何もなかった」という黒い感情が湧き上がるのを、刃は必死に押さえ込んだ。嫉妬ではない。あんなクソ親父に愛されたいわけがない。ただ、あの男が「父親の真似事」をしたという事実が、刃の十九年間の殺意の土台を不気味に揺さぶっているのだ。
「刃」
イエヤスの声で、我に返った。
「……何だ」
イエヤスが黒いツルハシを持ったまま、こちらを見ていた。
「親父の手紙、追伸のとこ。あれ、別に悪口じゃないぞ」
「なんだと!? あれが侮辱じゃなければなんだと言うんだ?」
「親父は俺と一緒でバカだからさ、細かいこといちいち覚えてないんだ」
イエヤスは、ツルハシの黒い柄を撫でながら言った。
「そんな親父がさ、十何年も前の飯の味、ちゃんと覚えてたんだな」
刃は黙った。
「それって、ちょっとすごくないか?」
「……それ以上言うな」
刃の声が、低く震えた。
怒りではない。胸の奥を抉られるような、行き場のない感情だった。
イエヤスはそれ以上何も言わなかった。
六畳間に沈黙が落ちた。
刃は窓の外に目を向けた。暗い空に、街灯の明かりが滲んでいる。
イエヤスから貰ったポケットの中の魔鉱石が、手のひらに冷たく触れていた。あのツルハシの接合部に埋め込まれた魔鉱石と、同じ紫色の光。
イエヤスが黒いツルハシをもう一度持ち上げ、両手で重さを確かめるように空を振った。
——ブンッ、と鋭い風切り音が鳴る。
「明日、これで掘る」
その声だけが、六畳間で唯一、一切の迷いがない音だった。
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