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第44話 「配信:神代烈火の血統」

護衛四日目。午後五時三十分。


 中層での任務を終え、地上へ帰還した直後のことだった。

 東京ダンジョン管理局の地下に設けられた、探索者(ハンター)用の特別訓練場。特殊強化岩盤で覆われたその広い空間に、氷室刃(ひむろじん)はイエヤスを呼び出していた。


「——俺と立ち合え」


 黒い探索者装束のまま、刃は木製の模擬剣を真っ直ぐにイエヤスへ向けた。

 その声には、隠しきれない焦燥と殺気が混じっていた。


 この四日間、刃の復讐心は完全に空回りし、行き場を失いかけていた。

 女たちに囲まれて弁当を食い、のんきに鮭おにぎりを差し出してくるこの男のアホさに当てられ、十九年間の殺意が「虚無」へと溶けかかっていたのだ。


 だからこそ、刃は確かめる必要があった。

 親父を殺すためには、その血と技を引くこの男を簡単に超えなければならない。

 あの『極限の絶技』をこの身に浴びて打ち倒せば、あのクソ親父への憎悪が再び燃え上がるはずだ。


 だが、刃の悲壮な決意に対し、イエヤスはツルハシを肩に担いだまま明らかに面倒くさそうな顔をする。


「えー、腹減ったからヤダ」


 あっさりとした拒否。

 殺気を向けられている自覚すらない、完璧なまでのフラットさ。


「逃げるのか。貴様、それでも——」

「私じゃ不満?」


 刃の言葉を遮り、早瀬凛(はやせりん)が進み出た。

 その手には、刃と同じ高密度の模擬剣が握られている。


「首席殿の実力、久しぶりに見せてもらうわ」


 凛の目には、探索者としての鋭い闘志が宿っていた。

 殺気が収まらない刃を見かねての身代わりであると同時に、凛自身も、養成学校で常に自分の先を行っていた同期が「どれだけ強くなったか」を測りたかったのだ。


「……手加減はしないぞ、早瀬」

「誰に言っているのよ」


 二人の距離が一瞬で消滅した。



          ◇◇◇



 ——ガァンッ!!


 木剣同士が激突し、凄まじい衝撃音が訓練場に響き渡った。

 凛の剣技は速く、美しく、そして正確だった。二級探索者の名に恥じない、若手トップクラスの連撃。


 だが、刃の実力はそれをさらに凌駕していた。

 凛の斬撃を最小限の動きでいなし、弾き、返す刃で的確に急所を狙う。

 刃は常に凛の思考の半歩先を読み、完全に場を支配していた。


「くっ……!」

 凛が体勢を崩し、後退する。


 刃は追撃せず、模擬剣を下ろした。


「手ぬるいな」

「……何ですって?」


 刃は左手で、右手首にはめられていた黒い金属製のブレスレットを外した。


 ——ドスンッ。


 床に落ちた小さなブレスレットが、強化岩盤を砕くほどの異常な重低音を鳴らした。


「……何よそれ。ただの重りじゃないわね」

「あの男が、かつて母に贈った唯一のプレゼントだ」


 刃の声が、一段と冷たくなった。


深層鉱石(しんそうこうせき)で作られた、超高負荷の重力装身具。女性へのプレゼントでこんなものを送るなんて常軌を逸してる」


 刃は自嘲気味に笑う。


「母はあの男の異常性を見抜いて逃亡したため、俺は直接の指導は受けていない。だが、母が忌み嫌って捨てようとしたこのイカれた代物を、俺は拾い上げた。あの男を超えるための『負荷』として、物心ついた時から自らの意志でつけ続けていた」


 刃は左手首のブレスレットも外し、床に落とした。

 両手の枷が外れた刃から、先程までとは次元の違う圧倒的なプレッシャーが立ち上る。


「行くぞ」


 刃が踏み込んだ。

 速い、という次元ではない。空気が爆発するような破砕音と共に、刃の模擬剣が凛の眼前に迫る。

 寸止めで見切っている。だが、その剣速が生み出す凄まじい風圧と気迫の塊が、凛の体を容赦なく吹き飛ばした。


「きゃっ……!」

 防御の姿勢を取った凛が、バランスを崩して後方へ吹き飛び、尻餅をつきそうになる。


 その背中を、泥だらけの作業着の腕がガシッと受け止めた。


「おっと。大丈夫か、凛」


 イエヤスだった。

 いつの間にか間合いに割り込み、凛を庇うように前に立っている。


「イエヤス……」

「おい刃」


 イエヤスが、呆れたような、しかし少しだけ声のトーンを落とした目で刃を睨んだ。


「女の子を力任せに突き飛ばして、お前モテると思ってんのか?」

「……は?」

「親父が言ってたぞ。女を殴る奴が一番モテないってな」


 刃の頭の中で、何かがブチッと切断される音がした。

 女を捨てて逃げさせた張本人であるクソ親父の、そのふざけた教えだけは、刃にとって最大の逆鱗だった。


「——貴様ぁッ!! あの男の教えだと!? ふざけるな!!」


 刃の殺意が、ついに最高潮に達した。全身から濃厚な闘気が立ち上る。

 それを見たイエヤスは、深くため息をつき、首をコキッと鳴らした。


「凛、ちょっとこれ貸して」

「えっ?」


 イエヤスは、凛の手から木製の模擬剣をひょいと抜き取った。


「わかったよ。お前がその気なら、俺も外すわ。兄貴にモテる指導するためなら、親父も許してくれるだろっ!」


 イエヤスはおもむろに作業着のジッパーを下ろし、上半身を脱いだ。

 その下に着ていた、肌に密着する黒い繊維のシャツ——『黒いインナー』に手をかけ、一気に引き裂くように脱ぎ捨てる。


 ——ドッッッッゴォォォォォォン!!!!


 イエヤスが床に落とした黒いインナーが、刃のブレスレットとは比較にならないほどの轟音を立て、特殊強化岩盤の床をすり鉢状に陥没させた。


 刃は息を呑んだ。

 追加護衛に志願する前、擦り切れるほど見たあの配信映像 。イエヤスが深層級相手に死闘を繰り広げ、本気を出すために脱ぎ捨てたあの異常な重り。


「……出たな。あの男から強制されていたという、異常な重量のインナーか」


 刃が警戒を露わにして構える。

 しかしイエヤスは、肩を回しながら心底不思議そうに首を傾げた。


「おう。お前も親父に『これ着とけ』って強制されてつけてたのか?」

「……いや、俺は親父への復讐のために、自らの意志でつけていたと言っただろう」

「えっ!? お前、自分で好んであんな重いのつけてたのか!?」


 イエヤスがドン引きしたような顔で刃を指差した。


「お前、変な奴だな」

「貴様に言われる筋合いはないッ!!」


 クソ親父の理不尽な教育の被害者と、クソ親父への憎しみから自ら被害者になった男。

 奇妙な共感とツッコミが交差した直後、リミッターを外した特級の兄弟は、同時に地面を蹴った。



          ◇◇◇



 同時刻。地下訓練場の上の階にある見学用ガラス窓から、赤いランプが点滅していた。


 伊吹あかりが、偶然通りがかった訓練場の惨状を見つけ、即座に「緊急ゲリラ配信」のスイッチを押していたのだ。


──────【LIVE】同接:114,291──────

: ゲリラ配信きたあああ!

: ちょ、凛ちゃんを庇うイエヤスイケメンすぎんか!?

: あのインナーまた脱いだぞ!!!

: 兄弟揃って重りつけてたのかよwww

: 少年漫画の熱い展開キターー!!

: てか動き速すぎてカメラ追えてないぞ!?

──────────────────────


 あかりのカメラ越しでも、二人の動きは残像しか見えなかった。

 イエヤスと刃の模擬剣が激突するたびに、空気が爆発し、強化岩盤の床が豆腐のように削り取られていく。


「はぁぁぁッ!!」

 刃の連続突き。急所を的確に狙う、必殺の剣技。


「おらっ!」

 イエヤスが遠心力を利用し、力任せにそれを全て弾き飛ばす。


 超次元の攻防。

 初めは互角に見えた。いや、手数の多さと剣技の洗練度においては、刃がわずかに押しているようにすら見えた。


 だが——。


 打ち合いが十合、二十合と重なるにつれ、刃は言い知れぬ重圧を感じ始めていた。


(……なんだ、この圧力は)


 イエヤスの木剣が一振りされるたび、その威力が、速度が、底知れぬ深さで増していくのだ。

 刃の木剣が悲鳴を上げている。腕の筋肉が軋み、肺が酸素を求めて焼け付くように熱い。


 イエヤスの剣の振り方は、素人そのものだった。

 剣術の型など何一つない。ただ棒切れを振り回しているだけだ。

 それなのに、野生の勘と圧倒的な身体能力だけで、刃の理詰めの剣技を強引に蹂躙していく。


 刃の背筋に、冷たい汗が流れた。


(もし……)


 刃は、イエヤスの一撃を紙一重で躱しながら戦慄した。


(これが不慣れな模擬剣ではなく……奴の手足のように馴染んだ、あの『ツルハシ』だったら……?)


 刃の木剣ごと、頭蓋骨まで容易く粉砕されていただろう。

 完全に、イエヤスが優勢に立っていた。

 憎き父親の教育の賜物である怪物に、力負けしようとしている。


 ——しかし。

 刃の胸中に芽生えていたのは、絶望ではなかった。


 死と隣り合わせの極限のやり取り。

 その中で、刃の全身の血が、信じられないほどの熱を持って沸騰し始めていた。


(……楽しい、だと?)


 刃の口角が、無意識に吊り上がっていた。

 笑っていた。


 強い相手と打ち合う悦び。己の全てを出し切り、それでもなお届かない高みへ手を伸ばす闘争の高揚感。

 憎しみも、復讐心も、今はもう頭の片隅にもない。

 ただ純粋に、目の前の強敵と闘うことだけに脳が焼かれている。


 それは紛れもなく、彼が十九年間憎み続けた親父——『戦闘狂の血』そのものだった。

 自分の内に流れるその熱い業を自覚し、刃はもはや自分が復讐鬼であることを完全に忘却していた。


「——来いッ!! イエヤス!!」

「なんで笑ってんの?」


 刃が残された全霊の力を込め、最後の一撃を放つべく踏み込んだ。

 対するイエヤスも、木剣を大きく振りかぶり、圧倒的な迎撃の体勢に入る。


 二振りの剣が交差する。

 イエヤスの一撃が、刃の剣を完全に弾き飛ばした。


 宙を舞う木剣。

 がら空きになった刃の首筋に、イエヤスの木剣が迫る。


 ——負けた。

 刃はそう悟りながらも、その顔には、彼自身も見たことがないほど晴れやかで、狂気的な笑みが浮かんでいた。

 決着の瞬間。


 ——ぐきゅるるるるるるるるるるるるっっっっ!!!!


 訓練場に、雷鳴のような凄まじい腹の虫の音が鳴り響いた。


 ピタッ、と。

 刃の首筋の数ミリ手前で、木剣が止まった。


「……あ」


 イエヤスは木剣を取り落とし、そのままへなへなと、情けない姿で床にへたり込んだ。


「……ダメだ。腹減りすぎて力出ねぇ……俺の負けでいいわ……」


 刃は、表情が消え失せた単純な線だけで描けるような顔で固まっていた。

 極限まで高まった闘気も、戦闘狂としての覚醒も、全てが一瞬にして虚無へと引きずり込まれる。


「……は?」

「凛の弁当……食いたい……」


 イエヤスは床に突っ伏し、本当に一歩も動けなくなっていた。



──────【LIVE】同接:185,903──────

: は?????

: 空腹で中断wwwwww

: 最高の見せ場だったのにwwww

: イエヤスらしすぎるだろwwww

: 刃くんの顔見てwww 完全に思考停止してるwww

: バトル漫画から日常ギャグへの温度差で風邪ひくわ!!

──────────────────────



 あかりの配信画面は、空前の大爆笑に包まれていた。

 見学窓から、あかりと凛が呆れ果てた顔で降りてくる。


 刃は、自分の内に芽生えた熱い感情のやり場を完全に見失い、ただ床に転がる腹ぺこの弟を呆然と見下ろすことしかできなかった。



          ◇◇◇



 数分後。

 凛から昼の残りの卵焼きを一つ恵んでもらい、ようやく息を吹き返したイエヤスが、むくりと体を起こした。


 イエヤスは、自分が陥没させた強化岩盤の床——そのさらに奥でむき出しになった、地下の『天然岩盤』にそっと右手を押し当てた。


「……イエヤス?」

 凛が怪訝そうに声をかける。


 イエヤスは岩盤から手を離さず、誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。


「……なぁ」


 その横顔には、いつもののんきなアホさは微塵もなかった。


「下から、泣いてる音がする」


 訓練場の空気が、不気味なほど冷たく凍りついた。


 この男の耳だけが拾う、深層の底から響く異常な脈動。

 刃は、自分の中に芽生えた感情の揺らぎすら忘れ、足元の砕けた岩盤の奥の暗闇を、ただ無言で睨みつけることしかできなかった。




───────────────────

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