第33話 「翌朝」
六時に目が覚めた。
体のあちこちが痛い。右肩は包帯でぐるぐる巻きだし、左腕はまだ毒の痺れが残っている。脇腹と胸の傷は塞がりかけているが、寝返りを打つたびにズキッと刺す。
まあ、動ける。動けるなら問題ない。
イエヤスは布団から起き上がり、台所に立った。冷蔵庫を開ける。鮭おにぎりが二つ。昨日ユアが「あんた怪我してんだから多めに食べなさいよ」と三つ入れてくれたうちの残りだ。
一つ食べて、もう一つは昼飯用にポケットへ突っ込む。
作業着に着替える。昨日のは血で使い物にならないので、予備の方。予備も裾が擦り切れているが、まあ穴は開いていない。ヘルメットを被り、壁に立てかけてあるツルハシを肩に担ぐ。
「よし」
六畳一間の安アパートの玄関を開け、朝の空気を吸った。三月の風はまだ冷たい。
包帯だらけの体でツルハシを担ぎ、イエヤスは管理局に向かって歩き出した。
いつも通りの朝だった。
——本人の中では。
◇◇◇
管理局の正門が見えてきた時、イエヤスは足を止めた。
「……なんだありゃ」
門の前に、黒山の人だかりができていた。
普段この時間帯は、出勤する採掘者と探索者がまばらに歩いているだけの静かな風景だ。それが今日は、見慣れない大人たちがカメラやマイクを持って密集している。
テレビ局のロゴが入った中継車が三台。脚立の上にカメラマン。スーツ姿のレポーターが原稿を確認している。
(祭りでもやってるのか?)
イエヤスは首を傾げながら、普通に正門へ向かった。
レポーターの一人が、こちらに気づいた。
ツルハシを肩に担いだ、包帯だらけの少年。
「——あの子だ! あの子じゃない!?」
一人が叫んだ瞬間、堰を切ったように全員がこちらに殺到してきた。
「イエヤスさん! 朝のニュースの者ですが——」
「イエヤスさんですよね!? お話を——」
「すみません、昨日の配信について一言——」
マイクが五本くらい同時に突き出された。カメラのフラッシュが連続で焚かれる。イエヤスは目を細めた。眩しい。
「あの、すんません。通してほしいんすけど」
「一言だけ! お父さんはあの神代烈火さんですか!?」
イエヤスは首を傾げた。
「たぶん。親父は親父っすけど」
「やはり! 特級探索者の息子さんが、なぜ採掘者を!?」
「モテるって聞いたんで」
記者たちの手が止まった。
マイクを突き出したまま、三秒ほど沈黙が流れた。風が吹いてレポーターの原稿がめくれた。
「……え、モテる?」
「うす。採掘者はモテるって藤村さんが言ってたんで。だからやってます」
記者たちが顔を見合わせた。
想定していた回答のどれにも当てはまらない。「父への反発」「業界への問題提起」「採掘者の地位向上のため」——用意していた見出しが全て使えない。
「あの、もう少し詳しく——」
「すんません、仕事遅れるんで。ダンジョン行かないと」
「お、お怪我の具合は——」
「ちょっと痛いけど掘れるんで大丈夫っす。あ、それと」
イエヤスが思い出したように言った。
「俺、モテてるんすかね? 皆さんテレビの人っすよね。テレビに出たらモテます?」
記者たちは完全に固まった。ベテランのカメラマンが小声で「なんだこのガキ……」と呟いたのが聞こえた。
そこへ。
「はいはいはいはい! すみませんねー! 取材はダンジョン庁広報部を通してください! アポなしは受け付けてないんで!」
人垣をかき分けて、彩が突っ込んできた。
一級採掘者の腕力で記者を左右に押し退けながら、イエヤスの腕を掴んで引っ張る。物理的な排除だった。
「藤村さん、この人たち何——」
「説明は後! 今はとにかく中に入る!」
正門のゲートが見えた。その手前に、凛が立っていた。
腰の剣に手をかけ、門の前に仁王立ちしている。記者たちが凛に近づこうとした瞬間、鞘から三センチだけ刃を覗かせた。
金属の冷たい光。
記者たちの足がピタリと止まった。二級探索者の殺気は、一般人の本能にはダイレクトに届く。
「取材は正規の手続きを踏んでください。それ以上近づくなら、管理局のセキュリティを呼びます」
凛の声は低く、静かで、有無を言わせなかった。
さらに追い打ち。
「あの、敷地内での無許可撮影はダンジョン管理法第四十二条に抵触する可能性がありますので、カメラの電源を切っていただけますか」
つむぎが、白衣の裾を踏みそうになりながら小走りでやってきた。手には管理局の分厚い規則集。法的根拠を示されて、記者たちのマイクがさらに下がる。正論は暴力より効く。
「というわけで、お引き取りくださーい。広報の連絡先はホームページに載ってまーす!」
つむぎの丁寧な笑顔と鋼の正論と彩の大声に、記者たちはじりじりと後退していった。
その一部始終を、少し離れた場所からカメラで撮影していた女がいた。
「……ふふ」
伊吹あかりは、小型カメラを胸元に抱えたまま、目を輝かせていた。
「ねえ、これ全部配信していい? 『イエヤスくんの日常・マスコミ対応編』って、めちゃくちゃ数字取れると思うんだけど」
「ダメに決まってるでしょ!!」
彩、凛、つむぎの三人の声が完璧にハモった。
◇◇◇
管理局の中に入り、ようやく人心地がついた。
ロビーのベンチに座ったイエヤスの周りに、四人が集まっている。彩は額の汗を拭き、凛は剣を鞘に戻し、つむぎは規則集をリュックにしまい、あかりはまだカメラを名残惜しそうに見つめている。
「で、藤村さん。あの人たち何だったんすか。すげー人数いたけど」
「マスコミ。テレビとか新聞の記者」
「へー。なんで管理局に?」
「あんたに会いに来たの」
「俺に? なんで?」
彩は深呼吸をして、できるだけ簡潔に説明した。
「昨日の配信、覚えてるよね。深層級を四体倒して、お父さんの名前を言ったやつ」
「うん」
「あの配信のアーカイブが、今朝の時点で再生数二千万を超えてるの」
「にせんまん。多いのか?」
「日本の人口の六人に一人が見た計算になるわね」
「おー。すげー」
「すげー、じゃないの。あんたは今、日本で一番有名な採掘者なの。いや、採掘者に限らず、ダンジョン業界で一番有名な人間かもしれない」
イエヤスは包帯だらけの右手で顎をさすった。
「一番有名……。ってことはさ」
「ん?」
「めちゃくちゃモテるんじゃね?」
四人が同時にため息をついた。管理局のロビーに、重低音のため息が四重奏で響き渡った。
「あんたはホントに……」
「いや、親父が言ってたんすよ。有名になればモテるって」
「お父さんの教えは一旦忘れて!」
彩が声を荒げたが、すぐにトーンを落とした。
「……とにかく。今日は中層の作業を予定通りやるけど、しばらくは管理局の出入りに気をつけて。マスコミ対応はあたしとあかりちゃんで引き受けるから」
「うす」
「凛ちゃんは引き続き護衛。今日からはダンジョンの外でも警戒して」
「了解。……もとから離れるつもりはないけどね」
凛が腕を組んで言った。視線はイエヤスの包帯に向いていたが、すぐに逸らした。
「つむぎちゃんは昨日の深層級のデータ整理を——」
「はい。戦闘中の振動データと、形態変化時の魔力パターンの解析を進めます。それと、インナーの素材分析も。あの深層鉱繊維が本物なら、お父さんの正体の決定的な物的証拠になります」
「……頼もしいわ。さすが」
つむぎが眼鏡を押し上げて頷いた。
イエヤスは立ち上がり、ツルハシを担ぎ直した。
「じゃ、今日もダンジョン行くっすよね」
「行くわよ。手続きが終わったらね」
「よし。昨日のあれでモンスターは片付いたし、今日は思いっきり掘れるぞ」
イエヤスの顔には、昨日深層級四体と死闘を演じた疲労も、特級探索者の息子だとバレた動揺も、一切なかった。
ただ、いつも通りの笑顔。
壁を掘りたい。いい石を見つけたい。そしてモテたい。
日本中が騒いでいる。テレビが特集を組み、SNSがトレンドを独占し、ダンジョン庁が緊急会議を開き、探索者業界が揺れている。
その中心にいる十六歳のバカだけが、今日も一ミリもブレていなかった。
「なあ藤村さん」
「なに」
「今日、鮭おにぎり一個しかないんすけど、昼飯どうしよう」
「……それは、あたしが考えることじゃないと思うんだけど」
彩は呆れながらも、ロッカーから自分の弁当箱を取り出し、蓋を開けた。
「……半分あげるから、午前中しっかり掘りなさい」
「マジすか! 藤村さんの卵焼きうまいんすよね。ありがとう!」
「はいはい。行くよ」
五人が並んで、ダンジョンのゲートへ向かう。
イエヤスが先頭でツルハシを担ぎ、彩が隣で苦笑し、凛が半歩後ろで剣に手を添え、つむぎが計測機器を鳴らしながら小走りで付いていき、あかりが最後尾でこっそり小型カメラを回している。
昨日と何も変わらない、いつもの朝。
ただ、管理局の職員が全員、彼らの背中を見送っていた。目が違う。昨日までの「変な新人チーム」を見る目ではない。
畏怖と、期待と、そして少しの不安が入り混じった目で、五人の背中を見つめていた。
イエヤスだけが、その視線に気づいていない。
「今日はどの区画掘る? 昨日見つけた鉱脈の続き、まだ残ってると思うんだけど」
「昨日の区画は調査が入るから立入禁止よ。別の区画に——」
「えー。もったいねぇな」
「もったいないじゃないの! あんたが深層級四体倒した現場でしょうが!」
「あ、そうだった。まあいいや。別のとこにもキラキラあるだろ」
ゲートの重い扉が開く。地下から、ひんやりとした空気が吹き上がってきた。
三級採掘者・イエヤスの、いつも通りの一日が始まる。
世界が変わっても、このバカだけは変わらない。
それが、たぶん——この少年の一番すごいところだった。
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