第31話 「規格外の決着」
ツルハシが、爆音を立てて空気を裂いた。
重りを外したイエヤスの一振りは、それまでとは次元が違った。
硬質化した体毛で覆われた四体目の前脚を、今度は受け流させない。刃先が毛の隙間をこじ開け、筋繊維を断ち、骨に到達し——粉砕した。
四体目が絶叫した。
中層の通路全体を揺るがすほどの咆哮。だがイエヤスは止まらない。振り抜いた体を独楽のように回転させ、遠心力をそのまま次の一撃に繋げる。
速い。いや、理不尽だ。
ヘルメットカメラの映像は、もはや人間の動きを映していなかった。視界が激しく回転し、岩壁と天井と獣の黒い体が万華鏡のように入れ替わる。カメラの手ブレ補正が完全に限界を超え、画面は断続的に飛んでいた。
前脚を砕かれた四体目がバランスを崩し、三本足で踏み留まろうとする。
その一瞬の隙に、イエヤスが懐へ潜り込んだ。巨体の真下。針のような体毛が降り注ぐ絶対の死地。
凛が叫んだ。
「下がりなさい! そこは——」
イエヤスは聞いていなかった。
真下から、ツルハシを天に向かって突き上げた。
鉱脈を掘るときと同じだ。硬い岩盤の急所を見極め、力の通る『一点』を狙い、全身のバネを乗せて一撃を叩き込む。
——ゴッァァンッ!!
凄まじい破壊音と共に、刃先が四体目の胸甲を真下から完全に貫通した。
獣の動きが、ピタリと止まった。
四つの赤い目が同時に見開かれ、口から紫の血泡が溢れる。巨体が、スローモーションのように前のめりに傾き始めた。
イエヤスはツルハシを引き抜き、横に跳んで距離を取る。
四メートルの巨体が轟音を立てて崩れ落ち、通路に膨大な粉塵が立ち込めた。
沈黙。
四体目の体から、黒い霧がゆっくりと抜けていく。形態変化を維持する生命力が尽きたのだ。巨体が縮み、元の三メートルほどに戻り——そして、完全に動かなくなった。
──────【LIVE】同接:174,291──────
: 倒した
: 倒した!!!!!!!!
: うそだろ
: 形態変化したやつを真下からぶち抜いたぞ
: 化け物かこいつ
: 人間の動きじゃないんだよなあ
: 重り外す前と動きが違いすぎて草
: 今まで全部リミッター付きだったとか漫画かよ
: 泣いてる マジで泣いてる
: イエヤスくん!!!! 無事か!?
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粉塵がゆっくりと晴れていった。
通路の真ん中に、少年が立っていた。
右手にツルハシ。左腕は力なく垂れ下がり、全身は返り血と自分の血でどす黒く染まっている。右肩、脇腹、胸の裂傷。左腕の毒による変色。立っているのが不思議なほどの満身創痍。
だが、立っていた。
イエヤスはゆっくりと息を吐き、ツルハシを肩に担ぎ直した。いつもの姿勢。安全な浅層へ採掘に行くときの、あの呑気な構え。
「……ふぅ、終わったな」
凛が走り寄った。剣を鞘に戻す手が激しく震えている。
「終わった、じゃないわよ……! あんた今すぐ座りなさい、出血が——」
「大丈夫。まだ立てるし」
「立てるかどうかの話をしてるんじゃないのっ!」
凛がイエヤスの右腕を掴み、無理やり壁際に座らせようとした。イエヤスは抵抗しなかった。急に全身から力が抜けたのだ。極限のアドレナリンが引き始めている。
「……あ、やっぱちょっとフラフラするかも」
「当たり前でしょこのバカ!!」
壁にもたれて座り込んだイエヤスの横に、凛が膝をついた。腰のポーチから応急処置キットを引き出し、右肩の深い傷に止血パッドを押し当てる。手つきは荒いが、的確だった。
「痛って」
「我慢しなさい!」
「うす」
ヘルメットのカメラが下を向き、必死に止血をする凛の手元を映し出す。
その手が、震えていた。止血しながら、肩が小刻みに揺れている。泣くまいと、必死に歯を食いしばっているのがわかった。
イエヤスはそれを見て、血まみれの右手を伸ばし、凛の頭にぽんと手を置いた。
「サンキュー。凛が来てくれたから、なんとか倒せた。……これでモテるかな」
「……っ」
凛の手が止まった。
うつむいたまま、数秒間動かなかった。それから、乱暴に止血パッドをテープで固定し、顔を上げる。目が、真っ赤だった。
「……借り。まだ全然、返せてないから」
「え、もう十分返してもらった気がするけど」
「返せてないの。あたしが決めるの! 黙ってなさい!」
「うす」
◇◇◇
足音が聞こえたのは、それから二分後だった。
複数の、統率された足音。金属の装備が擦れ合う音。プロの集団が通路を走ってくる。
一級探索者を含む緊急救援部隊。五名編成。
だが、彼らが第十区画に到着したとき。
目にしたのは、四体の深層級モンスターの死骸と、壁にもたれて座る血まみれの少年、そしてその横で必死に看病する少女の姿だった。
「……終わって、る?」
先頭の一級探索者が、呆然と呟いた。
「おせーよ」
イエヤスが片手を上げた。来客を迎えるような気軽さで。
「三級採掘者のイエヤスっす。四体とも倒しました。もう安全っすよ」
「三級採掘者が……深層級を、四体……?」
「あ、途中から凛も手伝ってくれました。二級の早瀬凛。めっちゃ強いっすよ、こいつ」
凛が「あんたに強いって言われると馬鹿にされてる気がするわね……」と小声で言ったが、イエヤスの耳には届かない。
救援部隊が戦慄しながら現場の安全確保を進める中、通路の奥から、もう一つの足音が近づいてきた。
重い。だが速い。一歩ごとに空気が圧縮されるような、圧倒的な質量と威圧を持った足音。
救援部隊のメンバーが一斉に背筋を伸ばし、反射的に道を空けた。
長身の男だった。
五十代半ば。短く刈り込んだ銀灰色の髪。厳しく引き締まった顔。腰には大太刀を佩いている。
早瀬巖。東京ダンジョン管理局顧問にして、「鉄壁」の異名を持つ一級探索者。
そして——凛の父親。
「お父さん……!? なんでここに」
凛が立ち上がった。
「緊急招集だ。中層で深層級の複数同時出現があったと聞いて、私が直接指揮を執りに来た」
巖は凛を一瞥しただけで、すぐにその視線をイエヤスに移した。
壁にもたれて座る少年を見下ろす。血まみれの作業着。使い込まれたツルハシの柄。
そして——床に転がったまま、岩盤をすり鉢状に陥没させている『黒いインナー』。
巖の目が、そのインナーに釘付けになった。
長い沈黙が落ちた。
救援部隊のメンバーも、凛も、ヘルメットカメラの向こうの十七万人も、誰一人口を開かなかった。
巖が、ゆっくりと口を開いた。
「……そのインナー」
イエヤスは巖を見上げた。凛の父親だとは知らないが、周囲の反応から偉い人だとは察した。
「あ、これっすか。親父のお下がりで——」
「深層鉱繊維の編み込みだな。この世で、あの男しか持っていない素材だ」
巖の声が低く、重くなった。
目が鋭く細められている。凛が見たことのない父の顔だった。普段の厳格さとは違う、畏怖と、懐かしさと、呆れが入り混じったような顔。
「少年に問う。お前の父親の名前は」
イエヤスは首を傾げた。
また名前を聞かれた。藤村さんにも聞かれた。なぜ皆、親父の名前をそんなに知りたがるのだろう。
「えっと、名前……」
この前は思い出せなかった。だが、今日は違った。戦闘中に親父の声を聞いたばかりだ。あの配信コメントの声を聞いて、幼い頃の記憶が鮮明に蘇っていた。
山小屋の机の上に置かれた、一枚の書類。ダンジョン庁の古い登録証。
漢字だらけで読めなかったが、父が一度だけ読み上げてくれたことがある。
『いいか、この名前は軽々しく使うな。お前はイエヤスだけでいい』。
「——神代、烈火」
通路の空気が、完全に凍りついた。
巖の目が見開かれた。救援部隊の一級探索者が「ヒッ」と短い悲鳴のような息を呑んだ。
そして——ヘルメットカメラの向こう側が、爆発した。
──────【LIVE】同接:176,802──────
: は?
: え
: 神代烈火?
: 神代烈火って言った!?!?
: 嘘だろ
: 嘘だろ嘘だろ嘘だろ!!!!!!!!!!
: あの神代烈火!?!?
: 深層単独踏破の!?
: 特級探索者の!?
: 生きた伝説の!?!?
: その息子!? こいつが!?!?
: だから強いのか!!!
: だからあの連携が第一世代に似てたのか!!
: 親父が特級で息子が三級採掘者って何の冗談だよwww
: 冗談みたいな現実だよ!!!
: 鳥肌止まらん
: 日本のダンジョン史がひっくり返ったぞ今日
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