第30話 「援軍と形態変化」
凛は走っていた。
浅層への撤退路。七人の作業者を安全圏まで送り届け、待機していた管理局の救護班に引き渡した。負傷した探索者二人は意識がある。採掘者五人も全員無事だ。
確認した瞬間、踵を返した。
「早瀬さん!? どこへ——」
救護班の声が背中に当たったが、答えない。
来た道を、全力で戻る。
二級探索者の脚力で全力疾走しても、第十区画まで四分。往復で八分以上がすでに経過している。あいつが一人で戦い始めてから、もう十分は過ぎているはずだった。
走りながら、左手首のモニターに目を落とした。あかりの配信がまだ生きている。
小さな画面の中で揺れる、ヘルメットカメラからの主観映像。
血まみれのツルハシの柄。傾いだ視界。荒い呼吸。
そして——傷だらけになりながらも、もう一度立ち上がる少年の視界。
凛はモニターから目を逸らし、歯を食いしばった。
(待ってなさい……っ!)
剣を抜き、走る速度をさらに上げる。
(借りは——まだ返してない!)
◇◇◇
四体の獣がイエヤスへ向けて身を沈めた、その瞬間。
通路の奥から、銀色の閃光が薙ぎ払われた。
二体目の——側頭部に傷を負っていた個体の前脚が、根元から斬り飛ばされる。
獣が悲鳴を上げて転倒する。その血飛沫をくぐり抜けて、一人の剣士がイエヤスの横に滑り込んだ。
「サンキュー、凛。助かった」
血まみれの顔でイエヤスは言う。落とし物を拾ってもらったくらいの気軽さで。
「こんな緊急事態なのに、なんでそんな呑気なのよ……」
凛だった。
息が上がり、頬に汗が伝っている。だが、剣を構える腕に一切のブレはなかった。
「七人は?」
「全員安全圏に送ったわ」
「そっか。さすがだな、凛」
「褒めてる場合じゃないでしょ! あんた、どれだけ血を流して——」
凛はイエヤスの全身を見た。左腕の毒による変色。右肩の深い爪痕。脇腹の裂傷。
目を逸らさなかった。逸らしたら、剣を持つ手が震えるから。
「立てるの?」
「立ってる」
「……そうね。立ってるわね、バカみたいに」
凛はイエヤスの左側に立った。彼の痺れた左腕の側。つまり、彼が守れない方角を自分が受け持つ位置だ。
「右は任せる。左はあたしが斬る」
「うす」
短いやり取りだった。打ち合わせと呼ぶには粗すぎる。だが、それで十分だった。
──────【LIVE】同接:153,816──────
: 凛ちゃん戻った!!!
: 戻ってきた!!!!!!
: 泣いた 俺は今泣いた
: 「右は任せる」「左はあたしが斬る」
: かっこよすぎて死ぬ
: これはヒロイン
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三体目が仕掛けてきた。凛の左側——彼女の死角を突く軌道。
だが、イエヤスの右手が伸びた。ツルハシの柄で三体目の鼻先を叩き、軌道を逸らす。凛の眼前に流れてきた獣の首筋に、彼女の剣が吸い込まれた。
深い。首の半ばまで刃が入り、三体目が血を噴いて崩れる。
「——え」
凛が声を漏らした。
イエヤスはこちらを見てもいなかった。ただ、三体目が凛の側に来ることを「感じて」、柄で押し出しただけだ。まるで壁を叩いて鉱脈を探るときのように、戦場全体の気配を音で拾っている。
(何よ、これ)
凛は探索者だ。相手の動きを読み、最適な間合いとタイミングを計算して剣を振る『理詰め』の戦術。
イエヤスにはそれがない。その場の空気を丸ごと感じ取り、最短の動作で最大の効果を出す『本能』の戦闘。
剣とツルハシ。理論と本能。探索者と採掘者。
何もかもが違う。
なのに——恐ろしいほどに噛み合った。
言葉を交わしていない。視線すら合わせていない。なのに二人の動きは、一つの呼吸で繋がっていた。
凛が斬る。イエヤスが砕く。凛が誘導し、イエヤスが止めを刺す。攻守が入れ替わるたびに、二人の間を獣の体が通過し、血と霧を撒き散らしていく。
──────【LIVE】同接:156,249──────
: 二人の連携やばくない?
: 打ち合わせなしでこれ???
: 息ぴったりすぎて怖いんだけど
: これ……なんか見たことある気がする
: 昔の第一世代の映像に似てない?
: 二十年前の深層初踏破の記録映像!
: 剣が理詰めで、もう一人が本能型のコンビ!
: いやいや偶然だろ
: まさかな……
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前脚を失った二体目を、凛が仕留めた。
一体目はイエヤスのツルハシで額を砕かれ、痙攣して動かなくなった。
残りは一体。リーダー格の四体目。
仲間を三体失い、単独になった。普通のモンスターなら、ここで本能が生存を選び撤退する。
だが、四体目は退かなかった。
代わりに、異変が起きた。
四体目の体を覆う黒い霧が、急激に濃くなった。体長三メートルだった体躯が、四メートルを超えるほどに異常膨張する。
前脚の爪が倍の長さに伸び、背中の毛が針のように硬質化。眼窩の赤い光が左右に分裂し、四つ目になった。
形態変化。
追い詰められたモンスターが、生命力を代償に一時的に戦闘能力を跳ね上げる現象。深層級の上位個体にのみ確認されている、最悪のカード。
「——嘘でしょ」
凛の声が固まった。
放たれる圧が桁違いだった。中層の空気そのものが震え、壁の自然発光鉱物が明滅している。
四体目が、地面を踏みしめた。岩が蜘蛛の巣状に罅割れる。
「凛」
「わかってる!」
変化した四体目が跳んだ。先ほどまでとは比較にならない速度。
凛が反応して剣を合わせたが、衝撃で体ごと弾き飛ばされ、壁に激突して肺から空気が抜ける。
「凛!」
イエヤスが割り込み、ツルハシを横から振った。だが、硬質化した体毛が刃先を受け流す。
弾かれた隙を突かれ、右肩の傷が開いた。血が噴き出す。
四体目が反転し、針のような尾で薙ぎ払う。避けきれず、イエヤスの胸に横一文字の裂傷が走った。
「っ——」
ヘルメットカメラの視界が大きく揺れ、イエヤスが壁に叩きつけられる。
起き上がった凛が首筋に剣を叩き込んだが、刃が毛に弾かれて火花を散らしただけだった。逆に前脚の一振りで床を転がる。
二人とも、完全に限界だった。
変化した四体目が、もう獲物は逃げられないと分かっている足取りで、ゆっくりと二人に向かって歩いてくる。
──────【LIVE】同接:161,830──────
: 形態変化って何だよ!!
: ありえないだろ中層で!!
: 二人とも限界じゃないか
: イエヤスくん立って
: 一級まだなのかよ!!
: 無理だよもう 逃げて二人とも!!
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イエヤスは壁に手をついて立ち上がった。右手一本でツルハシを握る。
隣で凛も立った。剣を杖にして、震える膝を叱りつけるように。
「……あんた、まだやるの」
「やるしかないだろ。逃げたらモテないし」
「こんな時まで……バカ」
二人が絶望的な構えを取った、その時。
ヘルメットカメラのスピーカーから、不意に電子音が鳴った。
配信のコメント読み上げ機能。あかりが遠隔で有効にしたのか。
とにかく、一つのコメントが音声に変換され、中層の通路に響き渡った。
低い、太い、どこか懐かしい男の声だった。
──────【LIVE】同接:163,044──────
おい、バカ息子。
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イエヤスの体が、びくりと震えた。
知っている声だ。世界中のどこにいても絶対に聞き間違えない声。
「——親父?」
──────【LIVE】同接:163,044──────
なかなかモテてるじゃねぇか! ガハハハ!
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緊迫した空気を完膚なきまでにぶち壊す、最高にアホなコメント。
イエヤスの血まみれの顔に、困惑と、呆れと、それから——嬉しさが混ざったような、クシャッとした笑みが浮かんだ。
そしてもう一つ、コメントが読み上げられた。
──────【LIVE】同接:163,044──────
アレ、外していいぞ!!
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凛が「アレ?」と呟いた。
イエヤスの表情が変わった。獰猛な、子どものような、純粋な笑み。
「……やっと言ってくれた」
ツルハシを壁に立てかけた。
血まみれの右手で、作業着のボタンを外し始める。破れた作業着が肩から落ちる。
その下に、もう一枚。
黒いインナーが、イエヤスの上半身にぴったりと張り付いていた。
「それ……何」
「親父にもらった。『仕事中は絶対に脱ぐな。俺が良いって言うまで着とけ』って」
イエヤスはインナーの裾を掴み、引き上げ始めた。
——重い。
持ち上がるたびに、布が異常な重量で歪むのが目に見えてわかった。生地の中に高密度の魔鉱石でも編み込まれているのか。
イエヤスがそれを頭の上まで引き抜き、無造作に床へ投げ捨てた。
——ゴゥンッ!!
厚さ数ミリの布地一枚が、中層の硬い岩盤をクレーターのように陥没させた。
激しい地響きが通路を揺らす。
凛が、その陥没を戦慄の目で見下ろした。
「……何キロあるのよ、それ」
「わかんね。親父は『お前にはまだ軽い』って言ってたけど」
イエヤスが首を回した。両肩を回した。
空気が、変わった。
インナーの下から現れた上半身は、十六歳の少年のものとは思えなかった。常軌を逸した重量を着続けた肉体。実用のためだけに極限まで鍛え上げられた、戦うための体。
イエヤスが一歩、前に出た。
——速い。
凛の目が、追いつかなかった。重りを外した体が、本来のバケモノじみたスペックを取り戻している。
四体目の四つの赤い目が、一斉にイエヤスを追った。本能が警報を鳴らしたのだろう。形態変化したはずの獣が、初めて後ずさった。
ヘルメットカメラの視界が、信じられない速度でブレる。
イエヤスは壁に立てかけたツルハシを、右手で掴んだ。
——軽い。
全部、軽い。ツルハシが。空気が。自分の体が。
マイクが、少年の獰猛な笑い声を拾った。
──────【LIVE】同接:168,337──────
: は?
: え
: なにが起きた
: インナー落ちた音やばくなかった!?
: 床陥没したぞ!!
: 重り……ずっと重りつけて戦ってたのか!?
: 嘘だろ!!!!!!
: あの戦い全部ハンデつきだったってこと!?
: 動き全然違う!!!!
: 速い 速すぎるカメラが追いつかない!
: 親父何者だよ!!!!!!
: これが本気のイエヤスくん……?
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