第28話 「深層からの予兆」
警報が鳴ったのは、午後二時十三分だった。
中層第七区画。イエヤスが壁に手を当てて鉱脈を探っていたとき、管理局の無線が耳を裂くような高音を発した。
『——全採掘者に緊急通達。中層第九、第十、第十一区画で大規模異常出現を確認。該当区画の全作業者は直ちに撤退してください。繰り返します——』
彩が無線機を掴んだ。顔から血の気が引いている。
「第九から第十一……すぐ近くだわ」
凛が即座に剣を抜いた。
「イエヤス、道具を置いて。今すぐ撤退するわよ」
「待ってくれ」
イエヤスはツルハシを置かなかった。壁から手を離し、通路の奥——第十一区画へ続く方角に体を向けた。
「……聞こえる。三つ、いや四つ。全部でかい」
「感知できるの?」
「足音っていうか、地面の震え方が違う。この前のデカいやつより、もっと重い」
凛の喉が鳴った。深層級が複数。二級探索者に上がった今の自分でさえ、同時に四体など現実的ではない絶望的な数字だ。
無線が再び鳴る。
『——第十区画に取り残された作業者、七名。うち採掘者五名、探索者二名。探索者二名は負傷しており自力撤退が困難。一級探索者を緊急派遣しますが、現在地から到着まで推定二十五分——』
二十五分。
彩の手が震えた。深層級の群れに囲まれた状態で、負傷者を抱えて二十五分。持つかどうかではない。絶対に持たない。
「彩さん」
イエヤスの声は静かだった。
「第十区画、ここからどのくらいっすか」
「走って四分。でもイエヤス、あんたは——」
「四分なら間に合う」
凛がイエヤスの前に立ちはだかった。
「撤退するの! あんたも来て!」
「七人いるんだろ。採掘者が五人も」
「一級が来るわ! 二十五分待てば——」
「二十五分も持たないって、凛もわかってんだろ」
凛の唇が引き結ばれた。わかっている。わかっているから、怖い。
あの配信の日、深層級と戦うイエヤスの背中を見た。勝った。だが、あれは一体だった。今度は四体。
「お前は採掘者たちを連れて撤退しろ。俺が時間を稼ぐ」
「バカ言わないで!!」
凛の声が割れた。
「あんたは採掘者でしょ! 戦うのはあたしたち探索者の仕事で、あんたの仕事じゃない! なんで毎回毎回、自分から死にに行くような真似を——」
声が途切れた。
凛の目の縁に光るものが浮かんでいた。唇が震え、剣を握る手の甲が白くなっている。
イエヤスは、その顔を見て、ポンと手を打った。
(なるほど。親父が言ってた『女が泣きそうな時は抱きしめろ。そしたら一発で落ちる(モテる)』ってやつ、ここで使うのか!)
体が動いたのは、考えるより先だった。
ツルハシを壁に立てかけ、一歩踏み出し、両腕を広げて凛を力強く抱き寄せた。
「——は」
凛の体が硬直した。
イエヤスの腕は太く、岩を砕き続けた掌は硬く、作業着には中層の土の匂いが染みついていた。凛の耳に、彼の心臓の音が届く。
速くない。まるで速くない。これから深層級四体と戦おうとしている人間の心拍ではなかった。
「小さい頃、怖くなると親父がこうしてくれた」
頭の上から、のんきな、けれどひどく優しい声が降ってくる。
「親父はバカだけど、これだけは本当だった。こうされると安心するし、怖くなくなる。だから——凛も、もう怖くないだろ?」
「——っ、この、バカ……!」
凛の目から涙がこぼれた。
計算も下心もない。ただ純粋に「自分がされて安心したから、お前にもしてやる」という、底抜けにまっすぐな優しさ。
だから、敵わないのだ。この男には。
五秒か、十秒か。
イエヤスが腕をほどいた。凛の肩を両手で掴み、目を覗き込む。
「採掘者だけど、倒せるなら倒した方がいいだろ? だって俺の方が強いし」
「……っ!」
「それに、逃げる男はモテない。親父が言ってた」
イエヤスはいつものように笑った。
凛は奥歯を噛んだ。涙を袖で乱暴に拭い、剣を握り直す。
「……二十五分よ」
「うす」
「二十五分だけ! 一級が来たら絶対に下がりなさい! 約束して!」
「うす。約束する」
嘘だ、と凛は思った。でも今は、その嘘ごと信じるしかなかった。
「彩さん、第十二区画の採掘者をまとめて浅層まで誘導してください。つむぎちゃんは彩さんと一緒に」
凛の声は、もう震えていなかった。二級探索者の声だった。
彩が頷いた。つむぎがタブレットを胸に抱えたまま、イエヤスを見つめていた。
「つむぎ」
イエヤスがつむぎに笑いかけた。
「帰ったら鑑定頼むから。さっき、すげえいい石掘ったんだ」
「……はい。待ってます」
つむぎの声は小さかったが、決して途切れなかった。
イエヤスはツルハシを拾い上げ、肩に担いだ。第十区画への通路に向き直る。
そこへ、あかりが小走りで近づいてきた。手にはいつもの大型の配信機材ではなく、小型のウェアラブルカメラが握られている。
「イエヤスくん、ちょっと屈んで。これ、ヘルメットにつけるから」
「ん? なんだこれ」
「安否確認用のカメラ。……あたしたちは、非戦闘員だから、ここまでしかついて行けない」
あかりはイエヤスのヘルメットの側面にカメラを固定した。ベルトを締める彼女の指先が、微かに揺れている。
「あかりさん。これ、配信したら、またモテるっすかね」
「——聞くまでもないでしょ」
あかりは震える手を隠すように背中に回し、努めて明るい、いつもの配信者の声を作った。
「行ってらっしゃい、イエヤスくん。最高にかっこいいところ、しっかり撮らせてもらうから」
「うす。行ってくる」
イエヤスが走り出した。
一人称視点に切り替わった配信画面が、通路の暗がりへと飛び込んでいく。
──────【LIVE】同接:88,214──────
: 緊急警報出てるぞ
: え、これガチのやつ?
: FPS視点になった!?
: イエヤスくんのヘルメットカメラか!
: 走ってる……暗い通路を一人で……
: おい待て待て待て待て
: 凛ちゃん抱きしめた時は叫んだが、今はそれどころじゃない
: 息遣い聞こえる……頼む、死なないでくれ
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凛は採掘者たちと負傷者を逃がす撤退路を確保するため、第十区画の反対側へ回り込むべく走り出した。走りながら、無線で状況を管理局に伝える。
「早瀬凛、二級。第十区画の孤立者救出に向かう。三級採掘者イエヤスが前方で時間稼ぎに入った。至急、一級の到着を早めてください!」
『——了解。ただし到着は最短で二十分——』
二十分。
凛は走りながら、さっきの温もりを振り払った。振り払えなかった。
胸に残るあのバカののんきな心臓の音が、まだ耳の奥で鳴っていた。
◇◇◇
第十区画。
四体の深層級モンスターは、先日の甲殻型とは異なる種だった。
黒い霧を纏った四足獣型。体長三メートル。牙から紫色の液体が滴り、足元の岩を腐食させている。毒持ち。しかも群れで連携する知能がある厄介な個体。
通路の奥で、取り残された七人が壁際に固まっていた。
負傷した探索者が二人の採掘者に肩を支えられ、残りの三人が工具を構えてガタガタと震えている。
四体の獣が、獲物を嬲るようにゆっくりと間合いを詰めていた。
そこに。
通路の反対側から、足音が一つ。
速くもなく、遅くもなく。ツルハシを肩に担いだ少年の主観映像が、四体のバケモノを真正面から捉えた。
「よう」
七人が振り返った。四体の獣も、新たな侵入者に目を向けた。
「あの——あんた、何して——」
採掘者の一人が声を絞り出した。
「迎えに来た。凛が反対側から撤退路作ってるから、そっちから逃げろ」
「でもこいつらが——」
「こいつらは俺がやる」
カメラがわずかに揺れ、黒光りするツルハシの柄が視界の端に映り込んだ。
父から受け継いだツルハシ。深層の岩盤とバケモノの頭蓋を何千回と砕いてきた相棒。
四体の獣が、一斉にイエヤスを見た。
本能的に理解したのだろう。目の前の人間が、ただの『獲物』ではないことを。
「さて」
マイクが、少年の楽しそうな吐息を拾った。
「二十五分だっけ。まあ、そんなにかからねえと思うけど」
──────【LIVE】同接:126,752──────
: 主観視点こわすぎ!!!!
: 四体いるぞ四体!!!!
: 絶望感がやばい
: でもイエヤスくんの声、笑ってないか……?
: 「そんなにかからねえ」じゃないのよ!!
: 心臓が持たない
: 神様お願いだから無事で
: いけえええええええええええええ!!
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視界が大きくブレて、ツルハシが円を描くように振り上げられた。
通路に轟音が響き渡り、壁が砕け、粉塵が舞い上がる。
カメラには本人の顔は映らない。
だが、その最前線で史上最強の採掘者が獰猛に笑い声を上げていることだけは、配信を見守る全ての人間にハッキリと伝わっていた。
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