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第27話 「親父の話」

その日の採掘が終わり、管理局のロッカールームで作業着を脱いでいるとき、彩が言った。


「イエヤス君、ちょっといい?」


 声のトーンがいつもと違った。仕事の指示でも、小言でもない。もっと慎重な、何かを確かめようとする声。


「うす。なんすか」

「着替えたら、屋上来て」


 彩はそれだけ言って、先にロッカールームを出た。

 イエヤスは首を傾げながらTシャツとジャージに着替え、屋上に向かった。階段を上る途中、自販機で缶のコーンスープを二本買った。なんとなく、二本いる気がした。



 屋上には彩が一人で立っていた。

 フェンス越しに東京の夜景と、ダンジョンの巨大な地上ゲートが見える。


「はい、これ」


 缶のコーンスープを差し出すと、彩は少し驚いた顔をして受け取った。


「……ありがと」

「なんか深刻な顔してるんで腹減ってるのかと思って」


 彩は溜息をつきながらコーンスープのプルタブを開け、一口飲み、それからイエヤスの方を真っ直ぐに向いた。


「前も聞いたけどあんたのお父さんのこと、詳しく教えてもらっていい?」

「親父? 別にいいけど。最近よく聞かれるなぁ。やっぱ親父、モテるんだな」


 イエヤスは屈託のない笑顔を見せる。彩はため息をつく。


「モテるかどうかは知らないけど、本当に何者なの。あの戦闘技術、あの体の動かし方、あの異常な反応速度。全部お父さんに教わったんでしょう?」


 イエヤスはフェンスにもたれかかり、コーンスープをすすった。隠すつもりは欠片もない。


「親父はダンジョンの仕事してる人。すげー強い。えっと、特級なんとかって言ってた気がする」


 彩の手が止まった。

 コーンスープの缶を持つ指が、わずかに白くなった。


「……特級?」

「うん。特級ハンター? だったかな。俺が小さい頃からダンジョン連れ回されて、気づいたら戦い方覚えてた」


 彩は黙っている。イエヤスは気にせず続けた。


「修行っていうか、朝起きたら山の中に放置されてて『三日間サバイバルしろ』とか。素手で滝に打たれながら石を砕けとか。目隠しで森の中歩いて音だけで方角当てろとか」

「……」

「あと、十歳くらいの時に中層のモンスターの群れの中に放り込まれて、『生き残れ』って言われたこともある。さすがにちょっと泣いた」

「……十歳で中層? それ、普通に児童虐待なんだけど」

「えー、そうかな。終わった後に『よくやった。これで少しはモテる男に近づいたな』って頭ぽんってされて、それで許した」


 彩はコーンスープを握りしめたまま、額に手を当てた。動機がすべて「モテるため」に集約されているこの親子の異常性に頭痛がしてきた。


「まあ、親父は変な人だよ。すげー強いけど、すげー自由。仕事もやったりやらなかったり。金持ってるときは豪遊して、ないときは山で暮らす。あと——」


 イエヤスはコーンスープを飲み干し、缶を握りつぶした。


「めちゃくちゃ女好き」

「……」

「俺の母親が誰かも教えてくれない。たぶん本人も覚えてないんじゃないかな。昔から隣にいる女の人がころころ変わるし。今はリサさんって金髪の美人と旅してる」


 彩はゆっくりと息を吐いた。


 特級探索者(とっきゅうハンター)

 国内に現存するのはわずか五名。ダンジョン探索の最高峰に立つ、文字通りの生きた伝説バケモノたち。その五名の名前と顔は、業界にいる人間なら誰でも知っている。


 その中で「女好き」「自由奔放」「規格外の戦闘力」「気まぐれで放浪」「金髪の美女を連れている」——すべてに当てはまる人物が、一人だけいる。


 彩の脳裏に、業界誌で何度も見た顔が浮かんだ。

 精悍な顔立ち。人を食ったような笑み。身長百九十センチ近い巨躯。そして、どんな局面でも余裕を崩さない、あの目。

 あの目と、イエヤスの目が、完全に重なった。


「まさか——」


 彩の声が震えた。あの伝説の男。二十年前に単独で深層を踏破し、現在は「引退」とも「放浪中」とも言われている最強の探索者。


「ねえイエヤス君」

「うす」

「お父さんの名前、教えてくれない?」


 イエヤスは潰した缶を指で弾きながら、首を傾げた。


「親父の名前?」

「そう。フルネームで」

「えーっと……」


 イエヤスは腕を組み、天井を見上げ、唸った。五秒、十秒、十五秒。


「……なんだっけ」

「は?」

「いや、親父は親父じゃん。名前で呼んだことないし。あ、でも昔、家にある書類に書いてあった気がする」

「なんて書いてあったの!?」

「わかんね。俺、漢字読めないし」


 彩はコーンスープの缶をフェンスの上に置き、両手で顔を覆った。


「……もういい」

「え、怒った?」

「怒ってない。全身の力が抜けただけ」


 彩は両手を下ろし、夜景を見つめた。

 核心にたどり着きかけて、この少年の底抜けのバカさに阻まれる。伝説の特級探索者の息子が、父親の名前の漢字が読めないという前代未聞の理由で証拠が掴めない。


「まあ、ひらがなで思い出したら教えるよ」

「……期待しないで待ってるわ」


 彩の疲労困憊の呟きは、夜風にかき消された。



          ◇◇◇



同じ頃。

 日本から遠く離れた、ヨーロッパのどこか。


 古い石造りの街並みを見下ろすテラスで、一人の男が盛大にくしゃみをした。


「——っくしょい!」

「あら、風邪?」


 向かいに座る金髪の女性——リサが、手元のタブレット端末から顔を上げて笑う。


「んなわけねぇだろ。日本のバカ息子が俺の噂でもしてんだ」

「バカ息子って……もしかして、この子のこと?」


 リサが端末を男に向けた。

 画面には、海外の探索者コミュニティでもトップトレンドに躍り出ている『あかりチャンネル』の切り抜き動画が再生されていた。

 泥まみれの少年が、深層級モンスターの頭部にツルハシを叩き込む瞬間だった。


「あらやだ。これ深層級じゃないの。あなた、息子さんにちゃんとした武器を買ってあげなかったの?」

「ぶっ……! ガハハハハハ!!」


 映像を見た男——イエヤスの父親は、ワインを吹き出しそうになりながら大爆笑した。

 百九十センチ近い長身。日焼けした肌に無数の古傷。年齢は四十代半ばに見えるが、目だけはどこか少年のような獰猛な光を宿している。


「やりやがった! 俺が深層で使い潰したあのお古のツルハシで、本当に深層級の甲殻ブチ割りやがったぞあいつ!」

「笑い事じゃないでしょ。死んでたかもしれないのよ?」

「あいつはそんなヤワなタマじゃねぇよ。それより見ろリサ、この直前のシーンだ!」


 男は身を乗り出し、画面を巻き戻した。

 再生されたのは、イエヤスが凛を庇って前に出た場面だった。


『——だって、お前が危ないだろ』


「これだ!! くぅ〜っ、女を守ってピンチに立ち向かう! こりゃ絶対モテるぞ! 俺の教育の賜物だな!」

「……ええ、そうね。動機はともかく、かっこいいわ」

「だろ? あいつに必要なのは良い武器じゃなくて、良い女だ。俺は『男はモテろ』としか教えてねぇからな。ダンジョンと女は、人生の華だ」

「……その順番、逆にしてほしいんだけど」

「はっはっは!」


 豪快な笑い声がテラスに響いた。


 ——その時。

 テラスの下に見えるヨーロッパ有数のダンジョン入口から、微かな、しかしおぞましい密度の振動が伝わってきた。

 世界中のダンジョンが、地下深くで同じリズムで脈打っている。


 東京の中層で、イエヤスが聞いた「深い音」。

 それと全く同じものを、この男もまた——足裏で感じ取っていた。


「……ん?」


 男の目が、一瞬だけ鋭く細められた。

 ワイングラスを置く手が止まる。


「どうしたの?」

「いや——」


 男は再び、獰猛な笑顔に戻った。


「下の方で、でけぇのが暴れ始めてるな。……さらにモテちまうかもなぁ、イエヤス!!」


 テラスを離れる直前、男は一度だけ東の空を振り返った。

 息子がいる方角を、ほんの一瞬だけ見つめて——それきり、振り返らなかった。

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