第26話 「中層の異変」
中層第七採掘区画。
気温は浅層より四度低く、天井から垂れる鍾乳石の先端には薄い霜が張っている。壁面に点在する自然発光鉱物が青白い光を放ち、ヘッドライトがなくても足元はかろうじて見えた。
イエヤスはツルハシを壁に当て、耳を澄ませていた。
こん、こん、こん。
三点で叩いて反響を聞く。もう何百回と繰り返した動作だ。指先に伝わる振動と、骨で拾う残響。その二つが噛み合う場所を探す。
「……ここだ」
呟いて、一振り。硬い岩盤が正確に割れ、奥から淡く光る魔鉱石の結晶面が顔を覗かせた。
「……また一発で当てた……」
背後で、つむぎが小さく声を漏らした。白衣の上にフィールドジャケットを羽織り、首からぶら下げた三台の計測機器が歩くたびにかちゃかちゃ鳴る。手元のタブレットには、今日だけで十四回分の異常な採掘データが記録されていた。
「イエヤスさん。今の、壁を叩いてから鉱脈を特定してツルハシを振るまで、何秒だったと思いますか?」
「え? 知らね」
「一・二秒です。昨日の最速は一・四秒でした。また精度が上がっています」
「マジか! で、それってモテるのか?」
「……鉱物学および資源採掘の観点から言えば、極めて魅力的で、国宝級の価値があります」
「お、やったぜ!」
つむぎの言葉を都合よく「モテる」と解釈し、イエヤスは嬉しそうにツルハシを担ぎ直した。
つむぎは呆れたような声色を作りながらも、タブレットに打ち込む指はどこか弾んでおり、なぜかイエヤスとの物理的な距離が昨日より近い。
少し離れた場所で、凛が通路の奥に目を光らせていた。
腰の剣に手を添え、壁際に背を預ける姿勢。二級探索者としての完璧な警戒態勢だ。
中層は浅層と違い、駆逐済みエリアでもモンスターが再出現する可能性がある。護衛の凛は常に周囲の気配を読み、イエヤスが掘っている間は一瞬も気を抜かない。
――建前上は。
「凛ちゃーん、こっち向いてー」
あかりがカメラを凛に向けていた。
「……配信中に名前で呼ばないで。それとカメラ向けないで」
「えー、でもコメント欄が『凛ちゃん映して』って言ってるし。イエヤスくんのことチラチラ見すぎじゃないかって」
「見てないわよ! 私は護衛として、彼を狙うモンスターがいないか死角を監視してるだけ!」
「なるほどー。つむぎちゃんに対して『ちょっと距離近くない?』って顔で睨んでたのも、護衛のお仕事?」
「う、うるさいっ! 仕事中!」
凛が顔を背ける。耳が赤いのは中層の気温のせいだと、本人は本気で自分に言い聞かせている。
──────【LIVE】同接:52,318──────
: 凛ちゃん耳赤いの気温のせいじゃないだろ
: これは気温のせいですね(棒)
: つむぎちゃんも距離近くない?
: データ取ってるだけだから……
: データ取るのに服の袖掴む必要ある?
: イエヤスくんの周りだけラブコメの波動が出てる
: でも本人は「一秒で掘れた! モテる!」とか言ってて草
: ハーレム自覚ゼロ選手権、堂々の殿堂入り
──────────────────────
「はい、というわけで今日もイエヤスくんの中層採掘、絶好調です!」
あかりがカメラに向かって実況する。声は明るいが、目は数字を追っていた。同接五万超え。平日の昼配信でこの数字は異常だ。
「現在、イエヤスくんは中層第七区画で採掘中。護衛は二級探索者の凛ちゃん、データ分析は研究所のつむぎちゃん。そして全体を管理するのは一級採掘者の彩さんです」
彩は少し離れた場所でクリップボードを持ち、他の採掘チームとの区画調整をしていた。無線機で管理局と連絡を取りながら、時折イエヤスたちの方を確認する。
いつの間にか、五人の大所帯チームになっていた。
「……なんか、すごい状況になったわね」
「え? なんか言った、藤村さん?」
イエヤスが振り返る。顔に土が跳ねている。
「なんでもない。しっかり掘りなさい」
「うす」
素直にツルハシを振り直すイエヤスを見て、彩は小さく息を吐いた。二週間前はたった一人の新人だったのに。
◇◇◇
採掘を始めて二時間が過ぎた頃。
ピタリ、と。
イエヤスの手が止まった。
ツルハシを壁に当てたまま、じっと動かない。目を閉じている。
その瞬間の空気の変化を察知し、凛が即座に抜刀の態勢を取った。
「どうした」
「……音」
「音?」
イエヤスは壁に耳を近づけた。こん、と軽く叩く。もう一度。そして、ゆっくりと壁から耳を離した。
「下から来てる」
「下?」
「深層の方。前にも聞いたけど、今日のはもっとはっきりしてる。……なんかすげえデカいのが、下で動いてる」
凛の目が細くなった。
「どんな音?」
「音っていうか、地響き? すげえ遠くで、何かが脈打ってるみたいな……」
イエヤスは首を傾げた。怖がってはいない。むしろ、子どものように目が輝いている。
「なあ、これ絶対『ヤバいボス』みたいなやつだろ。下に行ってそいつ倒したら、俺めちゃくちゃモテるんじゃないか?」
「死ぬわよ」
「えっ」
「深層は一級探索者の同伴でも死人が出る領域。四級の——じゃなかった、三級のあんたが行ったら一瞬で消し飛ぶわ。死んだらモテないでしょ」
「確かに! 死んだらモテないな! じゃあやめとく!」
素直すぎる返事だったが、目はまだ壁の奥の『下』を見ていた。
つむぎがタブレットを抱えて小走りで近づいてきた。
「イエヤスさん。今の、具体的にどのあたりから聞こえましたか? 方角と深度の感覚でいいので」
「んー……」
イエヤスは壁を手のひらで撫でた。
「ここから真下。たぶんめちゃくちゃ深い。百メートルとか、もっとかも」
つむぎの指が止まった。
「……百メートル以上の底の振動を、壁越しに感知した?」
「わかんね。でもそんな感じ」
つむぎは何かを言いかけて、やめた。代わりにタブレットに猛烈な勢いで数式とデータを打ち込み始めた。表情が、恋する少女から『研究者』の顔に切り替わっている。
凛はその様子を横目で見ながら、ひんやりとした不気味な胸騒ぎを覚えていた。
◇◇◇
配信終了後。
管理局の会議室に、五人が集まっていた。
つむぎがプロジェクターに資料を映し出す。
「まず、こちらを見てください」
画面に表示されたのは、過去三ヶ月間の中層におけるモンスター出現頻度のグラフだった。
「中層全域で、モンスターの異常出現が増加しています。三ヶ月前と比較して出現頻度は一・八倍。直近一週間に限ると、二・三倍です」
彩が眉をひそめた。
「一週間で二・三倍? 管理局のレポートでは一・五倍って聞いたけど」
「管理局の集計は報告ベースです。私は鉱脈周辺に独自設置した振動センサーのデータも含めました。報告されていない小規模な出現を含めると、二・三倍になります」
凛が腕を組んだ。
「……巡回中にも感じてた。最近、倒しても倒しても底から湧いてくる感覚がある」
「そしてもう一つ」
つむぎが画面を切り替えた。
イエヤスが採掘した魔鉱石のスペクトル分析データが並ぶ。
「イエヤスさんが中層で採掘した鉱石の『魔力含有パターン』の微細な変動。この変動の周期と、モンスターの異常出現頻度の増減が……完全に一致しています」
沈黙が落ちた。
あかりがカメラを下ろしたまま、つむぎの顔を見た。
「それって、どういうこと?」
つむぎは眼鏡を押し上げた。十四歳の少女の顔から、確信が滲む。
「まだ仮説の段階ですが——『深層の何か』が、中層に影響を及ぼし始めています。深層から何らかの莫大なエネルギーが上層に向かって漏れ出している」
イエヤスが口を開いた。
「それって、俺が聞いてる下の音と関係ある?」
「……おそらく。イエヤスさんが感知している振動の方角と深度が、私のデータと全く矛盾しないんです。むしろ、最新の計測機器より先に、イエヤスさんの直感の方が事態の核を捉えています」
彩が椅子の背もたれに体を預け、深く息を吐いた。
「……事態がデカすぎる。あたしから管理局の幹部に直接報告する。つむぎちゃん、レポートまとめられる?」
「今夜中に仕上げます」
「凛ちゃんは護衛の巡回報告に異常出現の体感データを追記して」
「わかったわ」
「あかりちゃん、今日のデータの話は配信に出さないで。パニックになる」
「もちろん」
彩は最後にイエヤスを見た。
「イエヤス」
「うす」
「明日も中層に入るけど、音が聞こえても絶対に勝手に深追いしないこと。いいわね?」
「うす」
素直な返事。でも、凛は知っている。
この少年の「うす」には二種類ある。本当に従うときの「うす」と、聞いてはいるけど心の中では『でも倒したらモテるよな』などと別のことを考えているときの「うす」。
今のは、完全に後者だった。
「……私の胃痛、増える一方なんだけど」
「え? なんか言った?」
「なんでもないわよ!」
会議が終わり、全員が席を立つ。
つむぎがタブレットを抱えてイエヤスに駆け寄り、「明日の採掘ポイント、相談していいですか」と見上げる。あかりが「つむぎちゃん距離近い近い」とからかい、つむぎが真っ赤になって「デ、データの都合です!」と言い訳している。
いつもの、騒がしくて平和なやり取り。
管理局の廊下に出ると、もう外は暗かった。
五人が並んで歩く。
ふと、イエヤスが夜空を見上げた。
「なあ」
「なに」
「どうしたの?」
凛、彩、つむぎ、あかりの声が見事に重なった。
イエヤスは一瞬きょとんとして、それからのんきに笑った。
「いや、腹減ったなって」
「「「「…………」」」」
四人の深いため息が、夜の管理局前に響き渡った。
帰り道、凛はイエヤスの半歩後ろを歩きながら、スマートフォンを取り出した。
父である「ロジカルモンスター」への報告メッセージを打つ。
『対象について。父親はダンジョン関係の仕事をしていた元探索者。現在は旅行中。詳細不明。引き続き調査します』
送信してから、ため息まじりに一行付け加えた。
『あと、どうしようもない女好きだそうです』
既読はすぐについた。返信はなかった。
凛はスマートフォンをポケットにしまい、前を歩くイエヤスの背中を見た。
ツルハシを肩に担ぎ、つむぎの話に「へー」「すげー」と相槌を打っている。あかりが横からカメラを向け、彩が「もう配信終わったでしょ」と注意している。
賑やかで、騒がしくて、どうしようもなく平和な光景。
深層で何かが動いている。中層の異変は加速している。この平和がいつまで続くかは、誰にもわからない。
——でも今は、この背中を守ると決めた。
借りを返すためだ。それ以外の理由は、ない。ないったら、ない。
「凛、歩くの遅くね? 腹減って元気出ないのか?」
「うるさいっ! あんたのペースが速いの!」
「そうか? 普通だけど」
イエヤスが首を傾げる。
凛は早足で追いつき、半歩後ろの定位置——護衛であり、一番近くにいられる場所に戻った。
春の夜風が、五人の間を吹き抜けていった。




