第23話 「余波」
日本中が、ツルハシの少年の話をしていた。
あかりチャンネルの配信アーカイブは、終了からわずか六時間で再生数五百万を突破。
切り抜き動画はSNSで制御不能なレベルで拡散され、『ツルハシ採掘者』『採掘者(物理最強)』がトレンド上位を独占。翌朝のワイドショーは軒並みこのニュースをトップで取り上げた。
『採掘者が深層級モンスターを撃破——驚愕の配信映像』
『ダンジョン業界に激震! 謎の三級採掘者「イエヤス」とは何者か』
『専門家も困惑「あの戦闘技術は一級探索者クラス」』
テレビのコメンテーターが映像を見ながら「いやこれは……ちょっと意味がわからないですね」と困惑する映像が、またSNSで切り抜かれてバズる。無限の連鎖だった。
ダンジョン系のコミュニティでは、戦闘シーンのフレーム単位での解剖が始まっていた。
「踏み込みの角度」「重心移動のパターン」「装甲の隙間を的確に突く打撃のタイミング」——元探索者や格闘技の経験者が口を揃えて同じ結論に達していた。
この少年は、独学ではない。
誰かに——それも超一流の『本物』に、戦闘術を骨の髄まで叩き込まれている。
しかし、「誰に」の部分は誰にもわからなかった。
◇◇◇
ダンジョン庁。東京管理局。
朝八時の時点で、局内は戦場だった。
メディアからの取材申請、政治家からの問い合わせ、探索者団体からの抗議、一般市民からの熱狂的な応援。電話のコール音が鳴り止まない。
緊急会議室では、幹部たちが青い顔でテーブルを囲んでいた。
「状況を整理します。昨日の配信で、三級採掘者・イエヤスが深層級モンスターを撃破。アーカイブ再生は現時点で八百万を超えています」
「規則上は完全にアウトです! 採掘者の戦闘行為は禁止されている。しかも今回はライブ配信で全国に流れた!」
語気を荒げる幹部に対し、別の幹部が重々しく口を開く。
「しかし……あの状況で彼が戦わなければ、確実に死傷者が出ていた。何より、安全を保証したはずの中層駆逐済みエリアに『深層級』が出現したこと自体が、我々管理局の致命的な不備です」
会議室が、お通夜のように沈黙した。
そこを突かれるのが一番痛い。イエヤスの規則違反など霞むほどの、ダンジョン管理の根幹を揺るがす大失態だ。
「……彼への処分は見送りですか」
「現時点では。世論が完全にイエヤス英雄視に傾いている中で処分を下せば、庁は物理的に焼き討ちされますよ。それより——」
次長が資料をめくった。
「問題は、なぜ深層級が中層に現れたかです。至急、大規模な調査チームを編成してください」
結果的に、イエヤスへの処分はまたしても「特例のお咎めなし」となった。
ただし、一つだけ厳しい条件が追加された。
「今後、彼の中層での採掘活動時には、必ず『二級以上』の探索者を護衛として同行させること」
◇◇◇
同日。夜。
都内の一軒家。静まり返った書斎。
デスクの上の大型モニターで、あかりチャンネルのアーカイブが再生されていた。
画面には、深層級モンスターの関節を的確に粉砕していくイエヤスの姿。
それを腕を組んで見つめているのは、四十代半ばの男性だった。
短く刈り込んだ黒髪。細身だが隙のない体つき。デスクの上にはダンジョン関連の分析資料が整然と積まれている。
早瀬——凛の父親。
第一世代の伝説的探索者であり、かつて最強パーティーの一角として名を馳せた男。理論と分析で戦場を支配する、通称「ロジカルモンスター」。
彼は映像を巻き戻し、コマ送りで再生した。
イエヤスがモンスターの側面に回り込む場面。
左に跳ぶと見せて右に流れるフェイント。
踏み込みの角度、体重移動のタイミング、死角への入り方。
——この動きを、よく知っている。
二十年以上前。隣で戦っていたあの男が、まったく同じ動きをしていた。
理論を無視し、本能の赴くままに最適解を引く理不尽な暴力。何度も「そんな無茶苦茶な」と怒鳴り、何度もその無茶に命を救われた。
「この戦い方……」
ロジカルモンスターの口から、低く静かな声が漏れた。
画面の中の泥まみれの少年は、深層級を倒して、アホみたいにのんきに笑っている。
あの男と、全く同じ笑い方だった。
「…………」
早瀬は映像を止め、椅子の背もたれに深く体を預けた。
確証はまだない。だが、体の動き、戦闘センスの系譜——偶然の一致で片付けるには、あまりにも符合が多すぎる。
「……もう少し、見させてもらうか」
デスクの引き出しを開ける。そこには古い写真が一枚。
二十代の自分と、隣で笑う大柄な男。
早瀬はそっと引き出しを閉めた。
まだ、動く時ではない。
◇◇◇
翌朝。東京ダンジョン管理局前。
「おはようございまーす」
日本中を揺るがした張本人が、いつも通りツルハシを担いでやってきた。
腕に巻かれた真新しい包帯以外、何一つ変わっていない。
待ち構えていた彩、あかり、凛の三人は、お揃いの酷い隈を作っていた。昨夜は各所への対応と報告書の作成に追われ、誰もまともに眠れなかったのだ。
「……おはよう、イエヤスくん。よく眠れたみたいだね」
「うす! ばっちり八時間寝た!」
彩が恨めしそうに睨むが、イエヤスは全く気付かない。
「あのね、イエヤスくん。なんか日本中が大騒ぎになってるのよ」
「大騒ぎ?」
「再生数八百万。テレビでも取り上げられてて、あんたは今、日本一有名な採掘者になってる」
彩の言葉に、イエヤスは首を傾げた。
「へー、八百万人も見てるのか。……ってことは、それって『モテてる』ってことでいいのか?」
「……まあ、世間からの注目度で言えば、大人気よ」
「ふーん」
イエヤスは自分の手のひらを見つめ、不思議そうに呟いた。
「モテるって、もっとこう……体が熱くなるとか、腹が減るとか、そういうはっきりした実感があるのかと思ってたけど。意外となんともないんだな」
「…………」
「親父が『男はモテろ』って言ってたからずっと頑張ってたけど、こんなもんか」
彩とあかりは、顔を見合わせた。
(この子……「モテる」がどういうことか、根本的に分かってない……!)
「あんたの親父さん、モテるの定義も教えずに放り出したのね……」
彩が深くため息をつき、本題を切り出した。
「それでね、イエヤスくん。ダンジョン庁から新しい通達が出たの。中層での採掘には、必ず『二級以上』の探索者を護衛につけることって」
「二級?」
「そう。だから、三級の凛ちゃんは今日からあんたの護衛に入れない。代わりに二級の探索者を手配したから」
少し離れた場所で、凛が唇を強く噛み締めていた。
剣の柄を握る手が、白くなるほど力んでいる。
「なんだ、そうなのか」
イエヤスはあっけらかんと言った。
「凛、昨日怪我してたし、ちょうどいい休みになるんじゃないか? よかったな」
悪気は一切ない。純粋な労いだった。
だが、その言葉は凛のプライドを、そして護衛として隣に立てなくなった悔しさを、激しく刺激した。
「……休まないわよ」
凛が、顔を上げてイエヤスを睨みつけた。
「休まない。ちょっと、野暮用ができただけ」
「野暮用?」
「ええ。すぐに終わらせて戻ってくるから。……それまで、他の護衛にデレデレしてたら承知しないからね!」
凛はそれだけ言い捨てると、踵を返して早足で去っていった。
向かう先は、管理局の探索者昇格審査窓口。
本来なら数年先のはずだった『二級昇格試験』を、何がなんでも前倒しで突破するための、血を吐くような特訓の始まりだった。
「デレデレ? よくわかんないけど、凛も野暮用がんばれよー」
イエヤスは遠ざかる凛の背中に向かって、のんきに手を振った。
日本中が大騒ぎしている。
自分を守るために、一人の少女が地獄の努力を始めようとしている。
しかし、その中心にいる少年だけが、今日もただ——掘りに行く。
モテるという得体の知れない現象を、いつか実感できると信じて。




