第2話 「探索者試験」
ダンジョン庁。
内閣府の外局として設置された、ダンジョンに関するあらゆる行政を管轄する機関。探索者と採掘者の登録、等級管理、ダンジョンの運営——。
——という説明を、イエヤスは受付の壁に貼ってあるポスターで読もうとして、三行目で諦めた。
漢字が多い。
「こちらの申込書にご記入をお願いします」
受付の女性が、慣れた手つきでA4用紙を差し出した。
イエヤスは受け取り、ボールペンを握って——固まった。
氏名。生年月日。現住所。最終学歴。保有資格。受験区分。
読めない漢字が三つ。五つかもしれない。そもそも「受験区分」の意味が分からない。
「……すいません」
「はい」
「これ、『げんじゅうしょ』ってどういう意味ですか」
背後の列から、くす、と笑い声が漏れた。
「字、読めねえのかよ」「ガキじゃねえんだから」
イエヤスは気にしなかった。気にするという発想がない。
「現住所ですね。今お住まいのご住所です」
「ああ、住んでるとこか。ありがとうございます」
イエヤスはボールペンを握り直した。
——十五分後。
申込書は、全て平仮名で埋まっていた。苗字は空欄。生年月日は数字だけ正しい。
受付の女性が一瞬だけ目を止める。
「……お名前の漢字は分かりますか?」
「とく……なんとかって有名な奴と一緒っす」
「書けますか?」
「書けないっす」
「分かりました。カタカナで結構です。こちらで修正しますね」
淡々と「イエヤス」に直される。
その後ろで、派手な装備の男が、わざとらしく大きな声を出した。
「おいおい、探索者試験って識字率のテストから必要なのか? レベル下がるなぁ」
周囲が笑う。
その笑いの端っこで、ぽつりと誰かが言った。
「……でも、分からないの素直に聞けるのは好感もてるけどな」
小さな声だったが、イエヤスの耳には届いた。
イエヤスは首を傾げた。偉いのか。よく分からない。まあいいか。
◇◇◇
探索者試験は、実技と学科の二部構成だ。
実技が先。
会場は庁舎併設の訓練施設。受験者は二十人ほど。装備も気合も十分な志望者が並ぶ。
Tシャツに作業ズボンのイエヤスは、明らかに浮いていた。
「いいか。探索者に必要なのは体力だけじゃない。知識と判断力、そして協調性だ。ダンジョンでは『全員が帰ってくる』のが最優先だ」
試験官は四十代くらいの男。二級探索者の資格章を胸につけている。
声も通るし、目も死んでいない。現場を知っている顔だった。
イエヤスは説明の半分くらいを聞き流したが、「体を動かす」ことだけは理解した。
それなら問題ない。
そして、イエヤスは実技をぶっ壊した。
握力測定。計測器がバキッと鳴った。
「乱暴に扱うな」
「乱暴にしてないっすけど」
試験官が表示を見て、眉をひそめる。
「……測定限界、か」
二階の観覧ギャラリーで、その様子を見下ろしている女がいた。
作業着姿、束ねた黒髪。一級採掘者・藤村彩だ。
(握っただけでエラー。……期待せずに見に来たけど拾い物じゃ済まないかも)
反復横跳びは速すぎてセンサーが追いつかず、試験官が一度止めた。
「機器側の誤作動を調整した。もう一度、同じペースで」
(この試験官、分かってる)
彩は内心で舌を巻いた。
模擬戦闘は七秒。
素手で、訓練ダミーの首をへし折って火花を散らし、沈黙させた。
「……終わりましたけど」
試験官がイエヤスを見た。驚きだけではない目だ。
「君。倒せたのは分かった。……今の三発は無駄がない。すべて急所だった」
周囲がざわつく。「褒めた?」という顔。
だが試験官は続けた。
「ただし、ダンジョンは試験じゃない。味方がいる前提の動きができないと、嫌われる。強いだけで現場は回らない」
「へー」
イエヤスの返事は軽い。半分くらい聞いていない。
試験官はため息をつき、タブレットを叩いた。点は高い。だが満点ではない。
二階の彩は、別の意味で期待に打ち震えていた。
(落ちる。あの子は、学科で落ちる……そうなると……ふふっ)
◇◇◇
学科試験。
制限時間六十分。五十問。マークシート。
イエヤスは問題用紙を開いて、三秒で閉じた。
もう一度開いた。
やっぱりだめだった。
漢字が読めない。問題の意味が分からない。
イエヤスは鉛筆を置いた。
六十分は長かった。
マークシートには全部「ウ」を塗った。「ウ」の形がなんとなく好きだったからだ。
◇◇◇
結果発表は即日。
掲示板の前で、受験者が騒ぐ。派手な装備の男が「よっしゃ!」とガッツポーズを決めた。
イエヤスの番号は、なかった。
「不合格かー」
あっけらかんとしていた。落ち込む理由がない。
親父は言っていた。「モテる男は迷わない」と。
「おい、君」
派手な装備の男が、合格証書をひらひらさせて近づいてくる。
「落ちたのか? まあ当然だよな。君みたいなのは探索者なんてやめとけ」
作業ズボンを指差して、ニヤつく。
「肉体労働がお似合いだ。工事現場とか、採掘者とかさ。泥にまみれて、俺たちが安全にした道を這いつくばって掘る仕事。そっちが向いてる」
「……採掘者?」
「ああ。ダンジョンの底辺職だよ。君の無駄な体力も、そこなら役に立つかもな」
男たちは笑って去っていった。
イエヤスは腹を鳴らした。
腹が減った。朝から何も食ってない。
あいつらの言うことはよく分からなかったが、「採掘者」という言葉だけは頭に残った。
庁舎の外に出て、ベンチに座る。ツルハシを隣に立てかけ、空を見上げる。
——傍から見れば、屈辱に打ちひしがれている少年に見えたかもしれない。
実際に考えていたのは、
『今日の晩飯どうしよう』だ。
イエヤスとはそういう男である。
「ねえ、キミ」
声がした。
顔を上げる。
逆光の中に、女性が立っていた。
背が高い。作業着。束ねた髪。顔に薄い粉塵の跡。
きれいな人だった。
二階席で見下ろしていた女だとは、イエヤスは気づかない。
女性が首を傾げる。
「——探索者試験、落ちた?」
イエヤスは答えた。
「落ちたっす。向いてないって言われたっす」
女性が、にっと笑った。
それは、ダイヤの原石を見つけた採掘者の、獰猛で魅力的な笑みだった。
「見る目がない連中だね。本当に」
庁舎の方を一瞥して鼻を鳴らし、それからイエヤスに向き直る。
「あたし、一級採掘者の藤村彩。ちょっと話聞かない?」




