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第17話 「中層の音」

その日、音はいつもより近かった。


 イエヤスはツルハシを振る手を止め、壁にべったりと耳を当てた。冷たい岩の表面に頬を押しつけ、息を殺す。


 ——聞こえる。


 低い振動。耳というよりも骨で拾う音。

 壁の奥の、ずっと奥。地層を何枚も突き抜けた深い場所から、何かが脈打つように響いてきている。


 前回は一瞬だったが、今は違う。

 何かが呼んでいる(・・・・・)、と言えば一番近い。


「イエヤスくん? 何やってんの、壁に顔すりつけて。新種の変態?」


 呆れ声と共に、彩が近づいてきた。


「……藤村さん。また聞こえた。前よりはっきり(・・・・)してる。中層の方から」

「音?」


 彩が表情を引き締め、壁に手を当てる。目を閉じて、耳を澄ます。

 十秒。二十秒。


「……ごめん、あたしには何も」

「マジっすか」

「マジ。一応、鉱脈探知機(こうみゃくたんちき)を当ててみるよ」


 彩が簡易探知機を壁に押し当て、スキャンする。


「……通常反応。異常なし。少なくとも探知機の範囲では何も引っかからないね」

「探知機で届かない深さなんじゃないすか」

「浅層用の探知機じゃ中層までは拾えないからね。——で?」


 彩がジト目でイエヤスを見た。


「言いたいことはわかってるよ。『中層に行きたい』でしょ」

「うす」

「ダメ」

「えー」

「えー、じゃないの! 四級(よんきゅう)は浅層のみ! 中層は三級以上! 何回目このやり取り!」


 彩はメモ帳でイエヤスのヘルメットをペチッと叩いた。


「規則を破って中層に入ったら、今度こそダンジョン庁に潰される。配信も、採掘者の登録も全部なくなるの。——それでもいいの?」

「…………」


 イエヤスは黙った。

 採掘者じゃなくなる。それは困る。ダンジョンに入れなくなる。あの音の正体も確かめられない。


 そして何より——モテなくなる。


「……わかった。行かない」

「うん。よろしい」


 彩がホッとした顔をした。イエヤスが素直に引き下がるのは珍しい。

 イエヤスは壁に向き直り、再びツルハシを振る。だが、頭の中ではまだ低い音が響き続けていた。



          ◇◇◇



 昼休み。


 採掘エリアの隅で、イエヤスと凛が並んで座っていた。

 イエヤスはいつもの鮭おにぎり。一方の凛は、可愛らしい自前の弁当箱を開けている。卵焼き、ミニトマト、鶏の照り焼き(てりやき)。彩どころか一般的な大人より女子力が高い。


「凛、弁当自分で作ってんの?」

「当然でしょ。探索者は体が資本なんだから、栄養管理は基本中の基本よ」

「すげーな。俺は料理できない」


 凛はふっと口角を上げ、少しだけもったいぶって言った。


「……まあ、作りすぎちゃったから? 一口くらいなら、あんたに分けてあげても——」

「大丈夫。親父が『鮭おにぎりは完全メシだ!!』って言ってたから、俺はこれ一個で完璧」

「……お父さんの教育どうなってるのよ」



 見事にフラグをへし折られ、凛は箸で卵焼きを八つ裂きにした。

 だが、すぐに表情を真剣なものに切り替える。


「ねえ、イエヤス。あんた、中層に行きたがってるって藤村さんから聞いたわよ」

「うん。なんか音が呼んでる気がして」

「……一つ、教えておく」


 凛は声を潜めた。


「最近、中層でもモンスターの異常出現(いじょうしゅつげん)が増えてるの。駆逐済みのエリアに、想定外の強さの個体が湧く現象。ここ数ヶ月で頻度が跳ね上がってて、探索者の巡回だけじゃ追いつかなくなってる」

「へー」

「中層の採掘者(レイバー)たちも、安全が確保できないから撤退を余儀なくされるケースが増えてる。三級以上のベテランでも、落ち着いて掘れないって声が上がってるみたい」


 イエヤスの咀嚼が、ピタリと止まった。


「中層の採掘者が、モンスターのせいで仕事できなくなってんのか」

「そうよ」

「じゃあ、俺が行って倒せばいい」


 即答だった。


「——は?」

「中層のモンスターが邪魔で掘れないんだろ? なら俺が行って片付ければ、また皆掘れるようになる。しかも困ってる奴を助けたら、絶対モテる」

「動機が不純なのに、なんで結論が正義の味方みたいになってるのよ……!」


 凛は呆れつつも、その迷いのない真っ直ぐな目に言葉を失った。

 普通なら「怖いもの知らずのバカ」で終わる。だが、この少年なら本当にやってのけそうな説得力があった。


 しかし。


「だーかーら! 行かせないって言ってるでしょ!!」


 少し離れた場所から、地獄耳の師匠が飛んできた。


「藤村さん、でも困ってる採掘者(レイバー)がいるなら——」

「あんたは四級! 中層に行けるのは三級から! 今は大人しくここで掘る!」

「……うす」


 イエヤスは渋々立ち上がり、ツルハシを拾い上げた。

 師匠が「ダメ」と言うなら、今は従う。


 だが、納得はしていなかった。

 中層で人が困っていて、自分には倒す力がある。なのに「等級」が足りないから行けない。


 壁を掘りながら、イエヤスは誰にも聞こえない声で呟いた。


「……じゃあ、どうやったらその『等級』ってやつ、上がるんだ?」


 ツルハシの音が、浅層に響き渡る。



          ◇◇◇



 その頃。

 ダンジョン庁管轄・鉱物研究所。


「……出た。出ちゃいました……!」


 目の下に酷い隈を作った十四歳の研究員、雪平つむぎが、プリントアウトされた分厚いデータ束を握りしめて震えていた。


 イエヤスが掘り出した鉱石の、詳細な分析結果。

 そこに記されていた数値は、ダンジョン鉱物学の常識を覆す異常なものだった。


「浅層産でありながら、中層深部レベルの魔力伝導率……。これを可能にしているのは、あの人の『結晶を一切傷つけない採掘技術』……」


 つむぎは丸眼鏡を押し上げ、血走った目で立ち上がった。


「こんな規格外の才能を、四級のまま浅層に縛り付けておくなんて、国の損失です!」


 つむぎはデータ束を抱き抱え、研究室を飛び出した。

 向かう先は、ダンジョン庁の審査部門。


 バカが「等級が足りない」と悩んでいたその裏で——天才が、特例の扉を力技でこじ開けようとしていた。

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