第16話 「借りを返しに来た」
翌朝。東京ダンジョン、浅層の採掘エリア。
イエヤスがいつも通り壁を掘っていると、背後の通路から聞き覚えのある足音が近づいてきた。
軽くて速い足音。地面を蹴るリズムが正確で、無駄がない。
振り返る。
黒髪のポニーテール。防護スーツ。腰の細身の剣。三級探索者の資格章。
「お、この前の」
「早瀬凛よ。名前くらい覚えなさい」
凛はまっすぐイエヤスの前に立った。腕を組む。胸を張る。わずかに顎を上げる。
完璧な「強い女」の佇まい——を、意識して作っていた。昨夜、鏡の前で三回練習した姿勢だ。
「今日から、あんたの護衛につく」
「護衛?」
「ダンジョン庁の通達を見たわ。あんたの専属護衛を募集してるって。だから、私が立候補してあげたの」
「へー。わざわざ? 別にいらないけど」
凛の眉がぴくりと動いた。
「いらないって何よ。あんた四級採掘者でしょ。中型モンスターが出たらどうするの」
「倒す」
「だから倒すんじゃないの! 採掘者は戦闘禁止!」
「あー、藤村さんにもよく言われるな。じゃあ、凛が代わりに倒してくれんの?」
「当たり前でしょ。それが護衛の仕事なんだから。あんたは私の後ろで、大人しく掘ってなさい」
イエヤスは数秒考えた。
「……なるほど。女に守ってもらうってことか」
「そうよ! 少しはありがたみを——」
「親父が言ってた。『女に貢がれるようになったらヒモの才能がある。モテてる証拠だ』って」
「飛躍しすぎでしょ!! 誰が貢ぐか!!」
凛は自分のツンが見事に明後日の方向へ弾き返されたことを悟った。
かっこよく宣言したのに、相手は「俺、ついにモテ期か?」みたいなアホ面をしている。
「……あんたね、もうちょっとこう、恐縮するとかないの? 三級探索者が四級採掘者の護衛するって、普通あり得ないくらいすごいことなのよ?」
「そうなのか。すげーな」
「棒読み!」
「いや、すげーと思ってるって。凛強いし」
「…………」
凛は唇を引き結んだ。「凛強いし」。さらっと言う。名前を呼ぶ。何の含みもない声で。
もう少し踏ん張るつもりだったプライドが、妙な角度から崩されていく。
「……とにかく、今日から私がここにいるから。あんたは手を出さないで」
「おう。よろしくな。——あ、朝飯食った? 鮭おにぎりあるけど」
「……食べたわよ! いらない!」
凛は踵を返して、通路の壁に背を預けた。護衛の定位置。
イエヤスはすでに壁に向き直って、カンッ、カンッと小気味いい音を響かせている。
凛は腕を組んで、その背中を見ていた。
見ていないふりをしていたが、見ていた。
◇◇◇
「——えっ、ちょっと待って」
少し離れた区画から戻ってきた彩が、採掘エリアの光景を見て足を止めた。
通路の壁際に立つ少女。黒髪のポニーテール。
先日、イエヤスが中型モンスターをワンパンした時に居合わせた探索者だ。「私が倒したことにする」と庇ってくれた、あの時の。
そして別れ際、彼女は確かに『早瀬凛』と名乗っていた。
あの時はイエヤスの失言を物理で塞ぐのに必死でスルーしてしまったが、落ち着いて思い返してみれば、探索者業界に疎い彩でも知っている名前だった。
ダンジョン系メディアで何度も取り上げられている若手のホープ。SNSフォロワー数万人。第一世代の伝説的探索者、早瀬家の娘。
(なんであんな超絶エリートが、うちのバカの護衛に……!?)
彩は小走りでイエヤスに近づいた。
「イエヤスくん! あの子、いつからいるの!」
「さっき来た。護衛だって。借りを返すとか言ってたけど」
「借りって……」
彩はイエヤスと凛を交互に見た。凛はこちらに気づいて、軽く会釈した。
「藤村彩さんですね。三級探索者の早瀬凛です。本日よりイエヤスの専属護衛任務に就きます」
丁寧だった。礼儀正しかった。しかし、彩は見逃さなかった。
「イエヤス」と呼ぶ時だけ、ほんの一瞬、凛の耳が赤くなったことを。
「……こちらこそ、よろしく。助かるわ。——ねえ、早瀬さん」
「はい」
「うちのバカのこと、よろしくね」
凛の頬がわずかに染まった。
「べ、別に藤村さんのお願いで引き受けたわけじゃないですから。私は借りを残さない主義なだけで」
「はいはい」
彩はにやりと笑った。
二十二年生きてきた女の直感が、あの分かりやすいツンデレの正体をとっくに見抜いていた。
◇◇◇
午後。あかりが配信機材を持って合流した。
今日の配信は、通常の採掘風景。昨日の会議で「戦闘は映さない」と決めたばかりだ。平和な採掘配信。それが予定だった。
「皆さんこんにちは! あかりチャンネルです。今日もイエヤスくんの採掘に密着していきますよ——」
カメラがイエヤスを映す。壁に向かってツルハシを振る姿。いつも通り。
しかし、今日は「いつも通り」ではない要素が一つあった。
画面の端に、ちらりとポニーテールの少女が映り込んだのだ。
通路の壁に背を預けて腕を組み、鋭い目で周囲を警戒している凛。採掘エリアの構造上、カメラの画角から完全に外れることは難しかった。
──────【LIVE】同接:28,416──────
: 今日もイエヤスくんキター
: 採掘の音聞くと落ち着くようになってきた
: ん? 画面の端にいる人誰?
: 探索者っぽくない? 防護スーツ着てる
: 護衛かな
: 護衛にしてはめちゃくちゃ美少女なんだが
──────────────────────
あかりはコメントの流れを見て、内心で舌を巻いた。視聴者の目は鋭い。
凛がイエヤスに近づいた。水筒を差し出している。
「水分補給しなさい。倒れられたら困るから」
「おう。ありがとな」
イエヤスが受け取る。
その何気ないやりとりが、カメラにばっちり映っていた。
──────【LIVE】同接:31,752──────
: 水筒渡してる!!!
: 待って待って待って
: あの美少女探索者、早瀬凛じゃない?
: え!? 早瀬凛!?
: マジだ ポニーテールに資格章 間違いない
: 若手ホープのあの早瀬凛がなんで採掘者の護衛を!?
: 護衛にしてはめちゃくちゃ距離近くない?
: まさかこの二人……
: いやいやいやいや
: でも水筒渡す時ちょっと顔赤くなかった?
: 赤くなかった(見間違い)
: 赤かった(確信)
──────────────────────
あかりのカメラに、はっきりと凛の顔が映し出されている。
自分が配信に映っていることに気づいた凛は、一瞬で顔色を変えてカメラの画角の外に移動した。しかし遅かった。コメント欄はすでに沸騰している。
──────【LIVE】同接:35,108──────
: 逃げたwww
: 早瀬凛確定じゃん
: 天才探索者が採掘者の護衛ってニュースだろこれ
: イエヤスくんの横にいる時だけ表情柔らかいのバレてますよ
: イエヤスくんはどう思ってるの?
: どうも思ってないと思う(確信)
──────────────────────
イエヤスは壁を掘り続けていた。コメント欄の嵐など知る由もない。
「凛、水ありがとな。——これから毎日くるのか?」
「……巡回任務がない日は、あんたの護衛に入る。通達にもそう書いた」
「マジか。毎日かー。」
「そんな暇じゃないわよ! 任務がない日だけって言ってるでしょ!——何よ、その顔」
「いや、嬉しいなと思って」
「——っ」
「一人で掘ってると話し相手いなくてさ。藤村さんは忙しいし、つむぎは毎日は来れないし。凛がいると賑やかでいいな」
純粋。混じりけなしの純粋。
話し相手がいて嬉しい。それだけ。それ以上の意味は何もない。
凛はわかっていた。わかっていて、それでも心臓が跳ねた。
「……べ、別にあんたの話し相手になりに来てるわけじゃないから」
「おう。でもありがとな」
「っ——もういい。掘ってなさい!」
凛が早足で定位置に戻っていく。耳が赤い。背中が硬い。
──────【LIVE】同接:37,294──────
: 赤面ダッシュいただきました
: ツンデレの教科書
: イエヤスくん天然すぎてツンデレが機能してないw
: リアル鈍感系主人公
: これは勝てない ツンデレ側が絶対勝てない
: この配信が今日本で一番面白いコンテンツ
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あかりはカメラを向けながら、小さく笑った。
コンテンツとしての完成度が、日に日に上がっている。採掘の技術。規格外の戦闘力。そして今日から加わった新要素——美少女ツンデレ探索者との関係性。
視聴者が求めているものを、イエヤスは無自覚に全て提供している。
これは——もっと大きくなる。
あかりの配信者としての直感が、そう告げていた。
◇◇◇
配信終了後。
凛がイエヤスの前に立った。
「一つ言っておく」
「おう」
「私があんたの護衛をするのは、借りを返すため。それ以外の理由はない」
「うん。知ってる」
「知ってるならいいの。……変な勘違い、しないでよね」
「勘違い? 何の?」
「…………何でもない」
凛は振り返って歩き出した。ポニーテールが左右に揺れている。
イエヤスはその背中を見送って、ツルハシを担ぎ直した。
「明日も来る?」
凛の足が一瞬止まった。
「……任務がなければ」
「おう。じゃあまた明日」
凛は振り返らなかった。
手を小さく振っただけで——早足で去っていった。
イエヤスは首を傾げた。
「変なやつ。——そんなことより、いつモテるのかな、俺。……まぁいいや。明日も頑張ろ」
盛大にフラグをへし折りながら、バカは今日も通常運転だった。
気を取り直して壁に向かい、再びツルハシを振り上げようとした——その時。
ドクン。
「……ん?」
イエヤスの手がピタリと止まった。
足元から這い上がってくるような、低い振動。
以前にも感じたことがある。だが、今回は気のせいでは済まされないほど、はっきりと『それ』は響いていた。
音の出所は、採掘エリアのさらに奥——未踏の「中層」から。
「……なんか、呼ばれてる気がするな」
イエヤスはツルハシを下ろし、薄暗い通路の先をじっと見つめた。
彼の中に眠る本能が、壁の向こう側で「何かが起きている」と告げていた。




