第12話 「借りは返す」
それは、いつもの採掘作業中に起きた。
浅層と中層の境界付近。イエヤスが壁を掘り、少し離れた場所でつむぎが計測機器のデータを記録している。彩は他のチームとの打ち合わせで席を外していた。
通路の奥の空気が、急変した。
温度が下がる。獣の匂いが混じる。
前回とは比べ物にならない、重く、濃い気配。
イエヤスのツルハシを握る手に力が入った。重心が落ちる。
計測機器から顔を上げた十四歳の研究員に向かって、イエヤスは短く告げた。
「つむぎ、下がれ」
「えっ——」
通路の暗がりから、それは姿を現した。
体長二メートルを超える四足歩行の獣。灰褐色の分厚い鱗、口から突き出した二本の牙。
中型モンスター。中層の奥深くに棲息する個体であり、浅層の安全エリアにいていい存在ではない。
近くの採掘者たちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
モンスターは低い唸り声を上げ、逃げ遅れた人間——つむぎの方へ赤い目を向けた。
イエヤスは、すでに走り出していた。
考えるより先だ。規則なんて知ったことか。逃げる人間がいて、追う化け物がいる。なら、間に立つだけだ。
モンスターが突進してくる。
イエヤスは横に跳び、すかさずツルハシを振り下ろすが——ガキィッ、と硬い音が響いた。
「……硬いな」
刃先が分厚い鱗に弾かれた。
もっと強く叩くか——とイエヤスが体勢を立て直したその時、通路の反対側から速く軽い足音が駆け込んできた。
「——中型!? 浅層に!?」
黒髪のポニーテール。軽量の防護スーツ。腰の細身の剣。
先ほどの三級探索者、早瀬凛だった。
凛は状況を一瞬で把握し、走りながら剣を抜く。
「あんた、下がりなさい! ここは私が——」
「おう、こないだの探索者のねえちゃん!」
「ねえちゃんなんて気安く呼ぶな!」
会話している余裕はなかった。モンスターが凛に標的を変え、咆哮と共に前足を振り下ろす。
凛は低い姿勢で潜り込み、脇腹の鱗の隙間を狙って剣を一閃した。鋭く、正確な一撃。
——しかし、浅い。
硬すぎる。中層でも上位の個体だ。三級の斬撃では致命傷に至らない。
モンスターが怒り狂い、狭い通路で巨体を暴れさせる。
凛は壁際に追い詰められた。剣で牙を受け止めるが、体重差がありすぎる。腕が軋み、足が滑った。
「くっ——」
体勢が崩れる。凶悪な爪が、凛の頭上へ振り下ろされる。
避けられない。そう覚悟した瞬間。
——轟音。
凛の目の前を、ツルハシの刃が暴風のように横切った。
イエヤスだった。
横からモンスターの頭部に、渾身の一撃を叩き込んでいた。鱗の隙間など狙っていない。鱗ごと、その下の分厚い頭蓋骨ごと、ただの圧倒的な『暴力』で粉砕したのだ。
巨体がよろめく。
イエヤスは間髪入れずツルハシを返し、今度は無防備になった首元へ深々と刃を突き立てた。
ドスッ、という鈍い音と共に、中型モンスターは痙攣し——完全に沈黙した。
静寂が下りた。
イエヤスはツルハシを引き抜き、軽く息を吐いてから、壁際でへたり込んでいる凛を見下ろした。
「大丈夫だったか? 怪我してないか?」
純粋な声だった。
恩を着せる気も、ドヤ顔をする気もない。ただ「無事でよかった」というだけの目。
凛は呆然とイエヤスを見上げていた。
自分が手も足も出なかった中型モンスターを、四級採掘者の少年がツルハシ二振りで肉塊に変えた。
あり得ない。プライドが粉々に砕ける音がした。
「イエヤスくーーーん!!!」
そこへ、通路の奥から悲鳴のような声が響いた。
血相を変えた彩が猛ダッシュで駆けつけてくる。動かなくなった中型モンスターと、ツルハシを持ったイエヤスを見て、彩の顔からスッと血の気が引いた。
「……また? またあんたがやったの!? この前『次はない』って始末書書かされたばっかりなのに、中型なんて倒したら今度こそ採掘者クビ——」
「違います」
凛が立ち上がり、彩の言葉を鋭く遮った。
「え?」
「私が倒しました。この採掘者は、私のサポートに回ってくれただけです」
凛はまっすぐ彩の目を見て言い切った。
助けられた恩だ。せめてこの少年が規則違反で処分されないよう、自分が手柄を被る。それが三級探索者である彼女なりの、ギリギリの矜持だった。
だが。
「え? 何言ってんだお前」
空気を全く読まないバカが、横から口を挟んだ。
「俺が頭カチ割ったじゃん。なんでそんな嘘つくの? あーあれか。モテたいのか。“女は嘘をつくほどキレイになる”って親父言ってたもんなぁ」
「——っ!」
凛が盛大に顔を引きつらせた。
(こ、こいつバカなの!? 庇ってやってるのに!)
「ばっ……! ち、違うでしょ! 私の剣で致命傷を与えた後、あなたが偶然トドメを刺しただけで——」
「いや、お前の剣全然効いてなかったろ。俺が二発で——」
「そーそーそーそー!!!」
彩が大声で喚きながら、イエヤスの背後に回り込み、その口を両手で物理的に全力で塞いだ。
「んー! んぐー!」
「そうですよねー! 三級探索者さんが倒してくださったんですよねー! いやー助かりましたー! ね!? そうですよね!?」
彩は必死だった。イエヤスがこれ以上余計なことを言わないよう、羽交い締めにして口を塞ぎ続けている。
凛は痛いところを突かれて顔を真っ赤にしながらも、コホンと咳払いをした。
「……そういうことです。報告は私からダンジョン庁に上げておきます」
「ありがとうございますー! 本当に助かりましたー!」
彩がペコペコと頭を下げる。
凛は剣を鞘に収め、暴れるイエヤスを睨みつけた。
「名前」
「んぐ?」
「あんたの名前。さっき聞きそびれた」
彩が少しだけ口を塞ぐ手を緩める。
「ぷはっ。イエヤスっす。苗字はない。その方がモテるからな」
「……変なやつ。私は早瀬凛」
凛は踵を返し、通路を歩き出そうとして——一度だけ振り返った。
「借りは返す」
「借り? 別にいいのに。お前が無事なら——」
「返すって言ったら返すの! 私は借りを残さない主義だから!」
怒鳴るように言って、今度こそ足早に去っていった。
その後ろ姿の耳が、真っ赤に染まっているのをイエヤスは不思議そうに見送った。
「……なんで怒ってんだ、あいつ。嘘つかれたの俺なのに」
「あんたは本当に一生黙ってなさい!!」
彩の雷が落ちた。
◇◇◇
その日の帰り道。
凛は電車に揺られながら、自分の顔がまだ熱いことを自覚していた。
借りを返す。自分に言い聞かせる。
それだけの話だ。四級採掘者に助けられたなんて、早瀬家の名折れ。恩を返して、さっさと対等な立場に戻る。それ以外の感情はない。
——あるはずがないのに、あの泥まみれの屈託のない笑顔が、頭から離れなかった。
◇◇◇
一方その頃。
浅層の採掘エリアでは、一人残ったつむぎが、動かなくなった中型モンスターの死骸と、壁の奥へと続く中層への道を、交互に見つめていた。
「中型モンスターが、浅層まで追いやられてきた……?」
つむぎの丸眼鏡の奥で、研究者としての冷徹な思考が回る。
イエヤスの異常な魔鉱石。深い場所から聞こえるという謎の『音』。そして、本来あり得ない中型モンスターの浅層出現。
これらは全て、繋がっているのではないか?
「……もっと奥で、何かが起きている」
浅層と中層の境界線。
イエヤスが掘り進めたその先には、まだ誰も知らない『ダンジョンの深淵』が口を開けて待っていた。
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