第11話 「天才と馬鹿」
雪平つむぎは、三日間眠れなかった。
正確には、寝ることを忘れていた。コーヒーを六杯飲み、同僚の「寝なさい」という言葉をガン無視して、イエヤスから預かった鉱石の分析に没頭していた。
そして出た結果を前に、彼女は唇を噛んでいた。
「……ありえない」
魔鉱石の品質を決める要素——結晶密度、不純物含有率、魔力伝導率。
イエヤスの鉱石は、その全てが異常だった。浅層産の平均値をぶっちぎりで超え、中層の上質鉱石にすら匹敵する。
だが、一番ヤバいのはそこではない。
「この結晶パターン……」
モニターで回転する三次元モデルを睨む。
通常の魔鉱石は、採掘時の衝撃で必ず結晶格子の一部が乱れる。それが品質を下げる最大の要因だ。
しかし、イエヤスの鉱石には『打撃の痕跡』がほぼゼロだった。まるで地層の中からそっと抜き取ったかのように、結晶構造が完全に保存されている。
おまけに、データベースに存在しない未知の配列パターンまで混じっていた。
「……ありえない。絶対に」
つむぎの頭の中で、仮説が組み上がっていく。
地層が特殊? いや。個体が特殊? それもない。
残る可能性は一つ。
あの少年の『我流の採掘』が、既存のどの技術も到達できなかった「結晶を一切傷つけない掘り方」を体現しているとしたら?
「確かめないと」
つむぎは椅子から立ち上がり、白衣の裾を踏んで盛大に転びかけた。
データだけでは仮説のままだ。あの少年が壁を掘る瞬間を、この目で観察しなければ。
◇◇◇
翌日。ダンジョン庁東京管理局のロビー。
つむぎは白衣の上にジャケットを羽織り、自分の背丈ほどあるリュックを背負ってイエヤスたちを待っていた。後ろから見ると、巨大なリュックから足が生えているように見える。
「おう、つむぎ。おはよう」
「……おはようございます」
「それ、でかい荷物だな。持ってやろうか」
「結構です。精密機器が入っているので」
「ふーん。大変だな、子供なのに」
つむぎの眉がぴくりと動いた。
「子供じゃないです」
「いや十四歳——」
「子供じゃないです」
二度言った。イエヤスは「そっか」と頷いたが、絶対に納得していない顔だった。
後ろから合流した彩が「ごめんね……」という顔で目配せしてくる。つむぎは小さく首を振った。怒ってはいないが、納得もしていない。
◇◇◇
浅層の採掘エリア。
つむぎは壁際に分析機器を並べ、カメラを回した。
「じゃ、いつも通り掘っていい?」
「お願いします。普段通りに。私のことは石だと思ってください」
「つむぎ、石だったんか!?」
「ものの例えです……さすがに冗談ですよね?」
「なにが?」
「……早く掘ってください」
イエヤスがツルハシを構え、壁に向き合う。
一呼吸。
——カンッ。
一撃目。つむぎは瞬きを忘れた。
教科書通りの角度ではない。刃先を滑らせ、壁面を「削る」のではなく「剥がす」動作。
二撃目は岩盤の奥へ突き刺すような一打。三撃目は横へえぐるように。
一定のパターンがない。めちゃくちゃだ。
だが、つむぎの手元の振動計測器は、全く別の真実を示していた。
「……嘘でしょ」
イエヤスの打撃による振動は、すべて岩盤の『表層』だけで吸収されていた。
深部——結晶が眠っている層にまで、衝撃が一切届いていないのだ。
結晶には触れず、周囲の岩盤だけを効率的に剥がしていく。
一打ごとに岩盤の硬さを感じ取り、結晶を壊さない角度と力加減を無意識に選んでいる。
天才、という言葉では足りない。
これは——ただの『本能』だ。
「…………すごい」
感嘆の声が漏れた。
イエヤスが振り返る。
「ん? なんか言った?」
「い、いえ。続けてください」
つむぎは震える手でノートにペンを走らせた。
数式とメモと感嘆符が入り混じった天才研究員のノートは、この日から急速にページを消費していくことになる。
◇◇◇
一時間の観察を終え、休憩。
「あの掘り方、誰かに教わったんですか?」
「いや、我流っすね。藤村さんには全然ダメって言われるけど」
「……でしょうね。どの教本にも載っていません。要するに、あなたの掘り方は鉱石を壊さないんです。だから品質が異常に高い」
「おー。じゃあ、いい感じってこと?」
「いい感じとかそういう次元じゃなくて——」
つむぎは言葉を切った。
この少年に専門用語は通じない。しかし、その手が生み出す結果は、彼女の三年間の研究を根底から揺さぶっている。
天才と馬鹿。
最悪の組み合わせで、最高の結果が出ている。
「次に採掘する時も、同行させてもらえませんか。データが足りないんです」
「え、ダンジョンに? 子供は危ないだろ」
つむぎの眉が再び跳ね上がった。
「子供じゃないです。正式な研究員ですし、浅層なら単独行動の許可も——」
「すごいな、こんな子供なのに。偉い偉い」
イエヤスの手が、つむぎの頭に載った。
ぽんぽん、と二回。
大きくて、硬くて、少し泥の匂いがする手。
「っ……!」
つむぎの顔にカッと血が上った。耳まで赤い。
「話を聞いてください! 子供じゃないって言ってるのに!」
「いや聞いてるって。すげーなって思ったから褒めてんだよ」
「褒め方が完全に子供に対するそれなんですが!?」
「そうか? 嫌だった?」
イエヤスがまっすぐ聞いた。
つむぎの口が、止まる。
嫌だったか。
嫌だった——と言い返すのは簡単だ。十四歳にして飛び級で大学を出た研究員が、泥だらけの少年に頭を撫でられて喜ぶなんてあり得ない。
「……嫌じゃ、ないですけど」
消え入りそうな声になった。
周囲の大人は「先生」と呼んで距離を置く。だがこの人は、ただの「小さい子」として心配してくれている。
それが不本意なのに——嫌じゃなかった。
「嫌じゃないなら良かった。じゃ、ダンジョン来る時は俺の近くにいろよ。何かあったら守ってやるから」
「私が、守ってもらう側だと……?」
「だって小さいし」
「小さ——っ、勝手にしてください!」
つむぎは赤くなった顔を隠すようにノートへ視線を落とした。
文字がぼやけて見えるのは、三日寝ていないからだ。絶対にそれ以外の理由はない。
隣でイエヤスが鼻歌を歌いながらツルハシを磨いている。音程は相変わらず壊滅的だった。
——天才と馬鹿の、奇妙な共同作業が始まった。
だが、その穏やかな時間は、唐突に破られた。
ピタリ、と。
イエヤスの壊滅的な鼻歌が止まったのだ。
「……イエヤスさん?」
イエヤスはツルハシの柄を握り直し、通路の奥——中層へと続く暗がりをじっと見据えていた。
普段ののんきな顔から、一切の感情が消え失せている。
「つむぎ。お前のその機械、音とかも分かるのか?」
「ええ、まあ。微細な振動なら拾えますが」
「じゃあ、あれも分かる?」
つむぎが手元のモニターに視線を落とす。
直後、振動計測器が『けたたましい警告音』を鳴らし始めた。
レッドゾーン。
浅層では絶対にあり得ない質量の何かが、猛スピードでこちらに向かってきている。




