第10話 「鑑定」
ダンジョン庁東京管理局には、採掘された鉱石の鑑定を行う部署がある。
正式名称は「ダンジョン庁管轄鉱物研究所東京分室」。長い。イエヤスには覚えられない。彩は「鑑定所」と呼んでいた。採掘者が掘り出した魔鉱石や魔石を持ち込むと、品質・等級・市場価値を鑑定してくれる。鑑定結果に応じて採掘者への報酬が決まるので、採掘者にとっては給料に直結する重要な場所だ。
「イエヤスくん。今日は鑑定所に行ってきて。先週分の鉱石、まとめて鑑定出して」
「うす」
「窓口で鑑定依頼書を書いて提出するだけだから。——書けるよね?」
「…………」
「イエヤスくん?」
「……頑張ります」
彩の目が遠くなった。
◇◇◇
鑑定所。管理局の三階。
窓口には『鑑定受付』と書かれたプレートがあり、カウンターの向こうに事務員が座っている。壁には手順を説明するポスターが貼ってあった。イエヤスはポスターを三秒見て諦めた。漢字が多い。
カウンターで鑑定依頼書をもらう。
A4用紙。記入欄。採掘者名。登録番号。採掘日。採掘エリア。鉱石の種類。推定重量。
「……」
ボールペンを握る。
十分経った。
採掘者名の欄に「イエヤス」とだけ書いてあった。
登録番号は——覚えていなかった。登録証を取り出す。番号を見る。七桁の数字。写す。一桁間違える。消す。消しゴムがない。ボールペンだった。ぐちゃぐちゃに塗りつぶす。
イエヤスは用紙を裏返して、もう一度書き始めた。
さらに十分経った。
用紙の裏にも表にも修正の跡がついて、もはやただの黒い模様になっていた。事務員がちらちらとこちらを警戒して見ている。気まずい。
イエヤスは用紙を持ったまま、窓口からすっと離れた。
どうしよう。とりあえず歩こう。歩いていれば何か思いつくかもしれない。親父が言っていた。「わからないことは考えるな、動け」。正しい。たぶん正しくない場面もあるが、今のイエヤスにはこれしかない。
廊下を歩く。鑑定所のフロアは思ったより広かった。窓口の奥にいくつもの部屋が並んでいる。どの扉にもプレートがついているが、読めない漢字が多い。
一つの扉が開いていた。
中を覗く。
白い部屋だった。壁際に機材が並んでいる。顕微鏡、分析装置、モニター。作業台の上には小さなケースに入った鉱石のサンプルが整然と並べられている。
その部屋の中央に、一人の少女がいた。
小柄だった。白衣を着ているが、袖が余っている。裾も長い。子供が大人の服を借りてきたみたいだった。明るい栗色の髪をショートボブにまとめ、大きな丸眼鏡の奥で真剣な目をしている。顕微鏡を覗き込み、右手でノートに何かを書き込んでいる。書いている文字は——イエヤスには読めないが、たぶんすごく難しいやつだ。
「あ、ここ鑑定してくれるとこ?」
少女が顔を上げた。
丸眼鏡の奥の目が、イエヤスを捉える。
「……ここは研究室です。鑑定の受付は窓口で——」
言いかけて、少女の視線がイエヤスの手元に移った。
イエヤスは鉱石を持っていた。鑑定に出すために彩から預かった先週分の採掘物。布袋に入っているが、口が緩んでいて、中身が少し見えている。
少女の目が、変わった。
「——待ってください」
椅子から立ち上がった。白衣の裾を踏みそうになりながら、イエヤスの方に小走りで来る。
「それ、見せてもらえますか」
「え? 鉱石っすけど」
「わかってます。見せてください」
イエヤスは布袋を差し出した。少女が中から鉱石を一つ取り出す。イエヤスが昨日掘り出した、淡い青色を帯びた一番大きな魔鉱石。
少女の呼吸が、ぴたりと止まった。
鉱石を光に透かす。角度を変える。指先で表面をなぞる。眼鏡を押し上げて、裸眼で覗き込む。
「——結晶構造が、壊れていない」
「え?」
「見てください、この劈開面。採掘時の衝撃痕がほとんどない。ここ、ここです。通常の採掘では必ず微細なクラックが入るんですが、この鉱石にはそれがない。まるで地層から自然に滑り出たような——」
「あー、掘ったら出てきたやつっす」
「それはわかります! 聞いているのは採掘手法です。どういう角度で、どの程度の打撃力で、結晶軸に対してどの方向からアプローチしたんですか!」
「キラキラしてたから掘った」
少女が止まった。
口が半開きになっていた。丸眼鏡がずり落ちかけている。
「……キラキラ、してたから」
「うす。壁の奥でキラキラしてる感じがしたんで、なんかいい感じの角度で掘ったら出てきました」
「いい感じの角度」
「うす」
「…………」
少女は鉱石を持ったまま、数秒間フリーズした。それからひったくるようにして作業台に戻り、鉱石を顕微鏡の下にセットした。
覗き込む。
息を呑む音が聞こえた。
「これ——浅層産ですよね」
「たぶん。浅層の境界寄りっす」
「浅層でこの結晶密度はありえない。いえ、ありえないことはないんですが、通常の採掘で取り出せる品質ではありません。結晶格子の配列が均一で、不純物の混入がほぼゼロ——これ、中層の中級鉱石に匹敵する純度です」
「へー」
「へー、じゃないです!」
少女が振り返った。目が輝いていた。文字通り輝いていた。鉱石を見る時と同じ——いや、それ以上の光が、丸眼鏡の奥で燃えていた。
「あなた、これをどうやって見つけたんですか。鉱脈の発見方法は? 使用した探査機器は? 鉱脈探知機のデータはありますか? あと採掘時のツルハシの打撃角度と打撃間隔のデータ、それから——」
「えーと」
「鉱石の採掘深度と周辺地層のサンプルも欲しいです。地層の組成分析をすれば、なぜ浅層でこの純度が出るのか——」
「あの」
「何ですか」
「全部何言ってるかわからないっす」
少女が二度目のフリーズに入った。
眼鏡を押し上げる。深呼吸する。もう一度イエヤスを見る。
泥まみれの作業着。ヘルメットを脇に抱え、ツルハシを背負った少年。申し訳なさそうな、でも一片の嘘もない顔。
「……あなた、採掘者ですよね」
「うす。四級っす」
「四級」
「四級っす」
「四級でこの鉱石を……」
少女の肩からがっくりと力が抜けた。白衣がずるっと片方の肩からずり落ちそうになった。
「……あの。お名前を聞いてもいいですか」
「イエヤスっす」
「私は雪平つむぎです。ダンジョン庁管轄鉱物研究所の研究員をしています」
「研究員? ……えっと、いくつ?」
「十四歳です」
「十四!? 俺より年下じゃん!」
イエヤスが素直に驚いた。十四歳で研究員。それがどういう意味かはよくわからないが、すごいことだというのは何となくわかった。
「すげーな、お前」
「——お前」
「あ、ごめん。すげーっすね、雪平さん」
「つむぎ、でいいです。——すごくなんかないです。鉱物の分析が得意なだけで」
「細かいことはよくわからんけど、すげーよ。俺なんて年上なのに何もわかんねーし」
つむぎの指が、白衣の裾をぎゅっと握りしめた。
褒められ慣れていないわけではない。周囲の大人たちは常につむぎを褒める。「天才だ」「末恐ろしい」「将来が楽しみだ」。丁重に、敬意を込めて。
でもそれは——子供として褒められているのとは違う。
研究者として。専門家として。「十四歳にしては」という枕詞がつく、条件付きの評価。同僚の大人たちは敬語を使ってくる。年上の研究者が十四歳の少女に「先生」と呼びかける。居場所は与えられているが、それは「天才の居場所」であって、「十四歳の子供の居場所」ではない。
目の前の少年は、違った。
「すげーよ」の一言に、条件がない。枕詞がない。他の者が向ける嫉妬や嫌味をまったく感じない。
そして——
イエヤスの手が、つむぎの頭に置かれた。
ぽん、と軽く。
「こんな難しいことして、頑張ってんだな」
「——っ」
つむぎの体が固まった。
頭に、手が載っている。大きくて、硬くて、泥の匂いがする手。雑で、乱暴で、でも——あったかい。
誰もしなかった。
周囲の大人は誰一人として、つむぎの頭を撫でなかった。子供扱いは失礼だと思っているのか。天才に対してそんなことはしないと考えているのか。理由はわからない。ただ、誰も——頭に手を置いてくれる人は、いなかった。
目の奥が熱くなった。
なぜかはわからない。わからないから、反射的に別の言葉が出た。
「こ、子供扱いしないでください!」
「え? 子供だろ?」
「子供じゃないです! これでも正式な研究員で、飛び級で大学課程を——」
「いや十四歳は子供だろ。俺だってまだ子供だし」
「あなたは——あなたはそうかもしれないですけど!」
つむぎが半歩後ずさった。頭の上から手が離れる。
名残が、あった。手のひらの温度が、髪に残っていた。
「とにかく! この鉱石は正式に分析させてください。研究所として詳細な鑑定報告を出します。——あなたの採掘現場も見せてもらいたい」
「現場? 別にいいけど。藤村さんに聞かないと」
「藤村——一級採掘者の藤村彩さんですか?」
「知ってんの?」
「業界では有名な方です。あなたの師匠なんですね」
「うす。あ、それと——」
イエヤスが足元のくしゃくしゃの紙を拾い上げた。
「これ、鑑定依頼書なんすけど。書き方わかんなくて」
つむぎはイエヤスの差し出した紙を見た。
表にも裏にもぐちゃぐちゃの文字と修正の跡。読める文字は「イエヤス」だけ。
「…………」
「書いてくれたりしない?」
「私は研究員であって事務員ではないんですが」
「頼む。マジで書けないんだ」
まっすぐな目だった。変な見栄がない。書けないことを恥ずかしがりもしない。ただ困っているから助けを求めている。
つむぎはため息をついた。十四歳の精一杯の呆れ顔で。
「……貸してください」
「助かる!」
「あとこの鉱石は預かります。私に鑑定させてください」
「おう。よろしく、つむぎ」
呼び捨て。敬称なし。年下相手だから当然、という顔。
つむぎは「やっぱり雪平さんでお願いします」と訂正しようとして——やめた。
理由はよくわからなかった。
ただ、「つむぎ」と呼ばれた時に、胸の奥で何かが小さく揺れた。
何だろう、これ。
白衣の袖で頬に触れた。少し、熱かった。
◇◇◇
イエヤスが嵐のように去っていった後。
つむぎは熱を帯びた頬を両手で挟み、深呼吸をしてから——再び顕微鏡を覗き込んだ。
「……えっ?」
レンズの向こう側。
さらに倍率を上げて視た魔鉱石の深部に、彼女は『あり得ないもの』を見てしまった。
既存の鉱物学の常識を根底から覆す、未知の結晶パターン。
「……うそ、でしょ」
十四歳の天才研究員の、文字通り三日三晩にわたる不眠不休の狂乱が、この瞬間から幕を開けることとなる。




