第100話 世界を掘る
作戦会議は夜半まで続いた。
エルティの住居に八人が集まり、つむぎが端末を広げ、エルティが境界核の位置を示し、セリアが地形を補足した。
境界核は集落の北、森を抜けた先の地下。守護獣の巣の直下にある。
三つの力を同時にぶつけて共鳴を断ち切るのに必要な打撃回数は十二。一撃ごとに守護獣の反応が強くなる。十二打を打ち切る前に守護獣が完全覚醒すれば、全てが無に帰る。
「守護獣が完全に目覚める前に、十二打を完遂する。時間との勝負」
凛が隊列を決めた。守護獣の正面は凛とセリアで持つ。刃は斬撃を打った合間に前線に入る。つむぎは後方でデータ監視。エルティは中央後方から血の力で覚醒抑制。イエヤスとユアは境界核の前に立つ。
「合図は、全て私が出す。守護獣の動き、エルティさんの防壁の状態、つむぎのデータ——全部見て、打つタイミングを決める。通信機越しに私の声が聞こえたら打って。聞こえなかったら打つな」
イエヤスが眉を寄せた。
「聞こえなかったら?」
「待て。私が必ず声を出す」
全員が頷いた。
◇◇◇
翌朝、夜明け前。八人は森を北へ進んでいた。
セリアが先頭で道を読む。刃が二番目。イエヤスが中央で、黒ツルハシが肩の上で微かに震え続けている。境界核に近づくほど振動が強くなる。
二時間。森が変わった。木が減り、岩が増え、足の裏から低く重い振動が伝わってきた。境界核の脈動だ。
岩場を抜けた先に、巨大な洞窟の口が開いていた。高さ十メートル。幅はその倍。何かが通るために拡げられた穴。
地面が揺れた。
洞窟の奥から、金色の光が見えた。巨大な虹彩。
守護獣が、こちらを見ていた。
「全員、配置につけ!」
◇◇◇
守護獣が洞窟から這い出してきた。体長数十メートル。翼を畳んだ四足の姿。金色の虹彩が八人を捉えている。
だが動きが遅い。
エルティが両手を前に出していた。紫の光が薄い膜になって守護獣と八人の間に広がる。血の防壁。覚醒を遅延させる力。
「今のうちに! 境界核まで走って!」
イエヤス、刃、ユアの三人が走った。守護獣の横を抜け、洞窟の奥へ。守護獣の首が三人を追おうとした瞬間、セリアの矢が顔の横を掠め、注意を逸らした。
三人が洞窟に消えた。
◇◇◇
洞窟の奥。通路が広がった先に、それはあった。
赤黒い巨大な結晶体。高さ二メートル。内部で光が脈動している。守護獣と完全に同期した拍動。
黒ツルハシが激しく振動していた。
イエヤスが境界核の前に立った。ユアが左に。刃が右に。
凛の声が通信機から入った。ノイズ混じり。
「聞こえる?」
「聞こえる」
「エルティさんの防壁が持って——あと二、三分。私の合図だけを聞いて。他は全部忘れていい」
「了解」
「ユア」
「聞こえてるよ」
「刃」
「ああ」
凛の呼吸が、通信機越しに一つ聞こえた。
「——始める。第一小節、三打。行くよ」
◇◇◇
外。
凛は洞窟の入口の横に立っていた。右手に通信機。左手に剣。守護獣の全体が見える位置。エルティの防壁の状態が見える位置。セリアに指示が出せる位置。そして——守護獣が洞窟に向かったとき、正面に立てる位置。
全部が見えて、全部に声が届く場所。
凛が選んだのは、そういう場所だった。
エルティの防壁が安定している。守護獣の動きが鈍い。今だ。
「——一打目! タンッ!」
洞窟の奥から、打撃の振動が地面を通じて伝わってきた。境界核の脈動が一拍乱れた。
守護獣が首を持ち上げた。反応している。だがエルティの防壁が抑え込んでいる。
凛はつむぎに目をやった。つむぎが端末を見て頷いた。成功。一本目の経路が切れた。
「——二打目! タンッ!」
振動。守護獣がまた首を振った。今度は動きが大きい。前足が一歩出た。エルティの防壁に亀裂が走った。
凛はその亀裂を見た。まだ保つ。
「——三打目! タンッ!」
三打。第一小節終了。
守護獣が咆えた。声ではない。空気そのものが振動した。エルティの防壁がガラスのように砕け散った。
エルティが膝をつく。セリアが駆け寄りかけた。
「セリア、止まって! エルティさん、張り直せる?」
「——なんとかします」
新しい防壁が広がった。さっきより薄い。透けている。
守護獣の金色の瞳が、洞窟の入口を見ていた。奥にいる三人を——境界核を傷つけている三人を、知性で知覚している。
凛は一歩前に出た。守護獣の視界に入った。
「——第二小節。詰めるよ。四打目五打目、続けて! タタンッ!」
打撃の振動が二連で来た。境界核の脈動が大きく乱れた。
守護獣が洞窟に向かって歩き出した。
凛は走った。守護獣の正面に割り込んだ。
守護獣の目が凛に向いた。止まった。金色の瞳が凛を映している。虹彩の奥に困惑がある。こんな小さなものが、なぜ退かないのか。
止まった。その間にエルティが防壁を張り直す。
凛は守護獣の目を見据えたまま、通信機に口を寄せた。
「——六打目! タンッ!」
六打。半分。
◇◇◇
洞窟の奥。
六打目の共鳴が境界核を貫いた。赤黒い結晶体が軋み、内部の光が明滅を繰り返している。
イエヤスの腕が痺れていた。一打ごとに返ってくる反動が増している。黒ツルハシが紫に明滅し、深層鋼の鶴嘴頭が熱を持っていた。
ユアの魔力場が空洞全体を満たしている。額に汗が浮いている。六打分の増幅を維持し続けている負荷が、表情に出始めていた。
刃は動かない。次の合図を待っている。経路が可視化される一瞬だけ太刀を振るい、それ以外は微動だにしない。
通信機から、外の音が聞こえていた。守護獣の咆哮。岩が砕ける音。そして——凛の呼吸。
荒い。さっきよりずっと荒い。
◇◇◇
外。
守護獣が首を振った。全身の鱗が逆立ち、金色の光が膨れ上がる。覚醒が一段階上がった。エルティの抑制を突き破った。
前足が地面を叩いた。衝撃波。凛は右に飛んだ。セリアが左に飛んだ。
凛の着地が乱れた。足首を捻り、膝をついた。立て直す前に、守護獣の尾が横薙ぎに振られた。
剣を盾にして受けるが衝撃を殺しきれない。
吹き飛ばされた。背中から岩壁に叩きつけられた。肺から空気が全部出た。視界が白くなった。
——お父さん。
◇◇◇
それは数日前のことだった。
二級に上がり、チームの指揮を任されるようになった頃。凛は父——早瀬巖の自宅の地下にある板張りの部屋に、夜遅く通っていた。誰にも言っていなかった。
「探索者の仕事は、魔物と戦うことじゃない」
巖は凛に木刀を構えさせた。
「お前の仕事は何だ」
実の娘に問うトーンとは思えないほど冷たい声だった。
「合図を出す。判断する。退く時に退かせる」
「それで足りるか」
凛は答えられなかった。巖の木刀が凛の胴を打った。
「合図を出す人間が真っ先に倒れたら、チームは崩壊する。お前が立っていなければ、誰も帰れない」
「分かってる」
「分かっていない。分かっていたらもっと体を作っている」
巖は木刀を下ろした。
「お前に戦闘力は求めない。だが——立っていろ。何が来ても倒れるな。倒れても立て。合図を出す声が止まったら、その瞬間にチームは死ぬ」
それから毎週二回通った。巖の打ち込みを受ける。避ける。受けられなくても立ち上がる。声を出す。一級探索者「鉄壁」の打ち込みは加減なしだった。
「なぜ訓練の事を誰にも言わない」
ある夜、巖が聞いた。
「悔しい———から」
巖は口の端を少しだけ上げた。
「お前も一人前になったな」
◇◇◇
——立て。
凛は目を開けた。
背中が痛い。肋骨が軋んでいる。通信機は——右手に握ったままだった。
守護獣が洞窟に向かっている。セリアが矢を射ち、エルティが残りの力で防壁を張っている。だが守護獣は止まらない。
つむぎが叫んだ。
「——凛さん! 第七打がまだです!」
待っている。洞窟の奥で、三人が凛の声を待っている。
凛は立ち上がった。全部無視して走った。洞窟の入口の前に立った。守護獣の進路を塞ぐ位置に。
守護獣の金色の瞳が、また凛を見た。
通信機を口に当てた。
「——第三小節! 七打目! タンッ!」
声は震えていない。体は震えている。
洞窟の奥から打撃の振動が足の裏を通じて伝わった。
「セリア、左翼!」
矢が飛んだ。守護獣の首が振れた。
——その一瞬で守護獣は学んだ。
陽動を読まれた。前足が凛に向かって叩きつけられた。半歩ずれた。足りなかった。前足の爪が凛の左肩を掠め、血が飛んだ。
「凛さん!」
セリアが叫んだ。
凛は倒れなかった。膝が折れかけて、踏ん張った。左腕の感覚が薄い。だが通信機を持つ右手は動く。
「——八打目! タタンッ——九打目も続けて!」
振動が二連で来た。第三小節終了。
つむぎの声。
「九打終了! 残り三打! 覚醒率八十二パーセント——完全覚醒まで推定五十秒!」
◇◇◇
洞窟の奥。
九打目を叩き込んだ直後、イエヤスの手が止まった。
通信機から聞こえた凛の声——八打目と九打目の合図。その声に混じっていた音を、イエヤスは聞き逃さなかった。
肉が裂ける音。凛の呼吸が一瞬途切れた音。
「——凛が」
イエヤスが振り返った。洞窟の入口の方向。走り出そうとした。
刃の手が、イエヤスの肩を掴んだ。
「離せ! 凛が——」
「打て」
刃の声は低かった。
「でも——」
「あいつが合図を出した。まだ声が出ている。なら——打て」
イエヤスの歯が鳴った。黒ツルハシを握る手が震えていた。怒りではない。恐怖でもない。ここに立っていることの、耐えがたさ。
ユアが横から言った。
「アタシの場が切れたら全部終わりだよ。——早く」
ユアの額から汗が顎に伝い、落ちた。魔力場の維持が限界に近い。声は平静だったが、指先が白くなるほど握り込まれていた。
通信機が沈黙している。次の合図を待っている。
三人が立ち尽くした数秒間——洞窟の奥に、外の音だけが響いていた。守護獣の咆哮。岩が崩れる音。
そして。
凛の声が、来た。
◇◇◇
五十秒。三打。
守護獣の目の全体が発光していた。鱗の一枚一枚が浮き上がり、体表から金色の蒸気が立ち昇る。
エルティの防壁が粉々に砕けた。今度はもう張り直せない。エルティが崩れるように倒れ、セリアが姉を抱き起こしながら弓を構え直した。
守護獣が一歩踏み出した。その振動で凛の膝が折れた。足首が限界だった。地面に手をついた。
——立て。
——倒れても立て。合図を出す声が止まったら、その瞬間にチームは死ぬ。
凛は立ち上がった。左腕は使えない。剣は折れて武器にならない。足首は腫れ上がっている。
通信機を口に当てた。
「——最終小節。十打目! タンッ!」
振動。十打目。
守護獣が吠えた。音圧が体を叩いた。耳が一瞬聞こえなくなった。
「——十一打目! タンッ!」
通信機に叫んだ。自分の声が聞こえない。だが叫んだ。
足の裏で振動を感じた。十一回目。打った。聞こえていた。
残り一打。
守護獣が翼を広げた。全身が金色に透けている。知性のある目が凛を見下ろしていた。排除する、という明確な意志。
「つむぎ!」
「——覚醒率九十三——あと十五秒で——」
守護獣の前足が持ち上がった。陽動も矢ももう通じない。完全に凛を見ている。
凛は逃げなかった。逃げたら洞窟の入口が空く。最後の一打が打てない。
前足が降ってくる。影が凛の全身を覆った。
逃げる時間はない。避ける余地もない。
分かっていた。この位置に立つと決めた時から。
——お父さん。立ってるよ。最後まで。
凛は通信機を口に当てた。息を吸った。肋骨が軋んだ。左肩から血が伝っている。足首はもう感覚がない。
それでも、声は出た。
「——最後! タァンッ!!」
叫んで、目を瞑った。
折れた剣の柄を握りしめた。歪んだ金属の感触だけが、最後に手のひらに残った。




