第79話 あの日の思い出
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わたしは彼に触れていた手をそっと離した。
「……」
三郎はうつむいたままこっちを見ようとしない。
「も、もうわかったでしょう?」
わたしは悲鳴のように叫んだ。
「わたしは悪霊よ。親に殺されたわたしはマグマのように巨大な呪いを抱えてる。天草四郎はそこに目をつけた。四郎はわたしの呪いをエネルギーとして取り込み、異能に転化して世界を滅ぼそうとしている。だから三郎くんお願い。わたしを祓って!」
「だめよ!」
わたしと三郎のあいだにAが割って入った。
「三郎、今あなたが見たものをわたしも見たわ。ユイに罪はない」
「ぼくも同感だ」
「わたしも」
フランチェスコとカラミルもわたしと三郎のあいだに立った。
「成仏と祓うことはぜんぜんちがうわ」
Aがいった。
「成仏するのはその人が永遠の眠りにつくこと。祓うのはその人を永遠に無明の闇へ突き落とすこと。三郎、ユイを、あんなつらい目にあった子の魂をそんな闇に葬ってはいけない。それこそ罪よ」
わたしはわたしを守ろうとするAとフランチェスコのあいだから三郎を見た。
三郎は今まで見たこともないような青ざめた顔でこっちを見ていた。
強風に舞う砂利で切ったのか、頬から血が流れている。
彼が今感じている痛みと苦しみをわたしも感じてたまらなくなった。
「さ、三郎くん、なにしてるの。はやくわたしを祓って!」
「だめよユイ!」
「すばらしい! 怨霊やロボットとは思えないうるわしい愛情だ」
そんな称賛と裏腹に、天草四郎の顔にうかぶのはまぎれもない嘲笑だった。
「彼女がいった通りだよ。わたしのテレポーテーションはユイがもたらした能力だ。偉大なユイの呪力が消えれば私の能力も消滅する。さあ三郎くん、彼女を祓いたまえ」
「……」
「わかってる。
きみにはできない」
四郎がせせら笑い、うつむいた三郎の頬からポトリと血がしたたり落ちた、そのときだ。
強風のすきまを突くように、カラン、とかわいた軽い音が境内にひびいた。
え? と音のしたほうを見ると、境内に敷かれた砂利の上に、赤いコーラの空き缶が一本ころがっていた。
「カーッ」
(カーキチ)
販売所の屋根に、いつのまにかカーキチが降り立っていた。
どうやら空き缶はカーキチが持ってきたもののようだ。
空き缶は古いものらしく色があせ、あちこちへこんだり傷ついたりしていた。
カラカラと耳ざわりな音を立ててころがる空き缶を、三郎は熱心に目で追った。
「……なるほどね」
三郎は顔をあげた。
その顔をみて「あ」とちいさな声が出た。
精彩を失っていた彼の目に、輝きがもどっている。
わたしの目が節穴でないのを証明するように、三郎は力強い口調できっぱりいった。
「だいたいわかった」
「三郎!」
と日ごろクールなAがうわずった声で叫び、わたしも思わず涙ぐんだ。
だいたいわかった。
なんてことないセリフだけど、それはわたしたちのヒーロー早川三郎の、とっておきの勝利宣言だから。
「なにがわかったんだい?」
四郎の問いかけに三郎は答えた。
「ユイは怨霊なんかじゃないし、サルバドールでもない。天草四郎、
すべておまえがしくんだわなだ。ユイ」
「な、なに? ……」
小柄な三郎がのしのしこっちに近づいてくる。
気おされてAとフランチェスコはさっと道をあけた。
わたしの手をとると三郎はいった。
「熊本地震の前震があった夜、あのとき月見公園で会ったのがきみとぼくのはじめての出会いと思ってた。
でもそうじゃなかった。ぼくときみはもっと前に出会ってた」
「な、なんのこと?」
「大丈夫すぐ思い出す。ぼくの目を見て。ユイ、
今からきみにかけられた呪いを祝福に変える」
三郎は呪文を唱えた。
「この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが
人生だ」
呪文を終えると、わたしの手をにぎる彼のちいさな手に、春の日差しのようにやさしい熱がフッとこもった。
気持ちいい、とうっとりしていたら、わたしの中にあった固いなにかがほどけるように溶けた。
溶けて、ずっと忘れていた、あの日の記憶がよみがえった。
わたしはマクドナルドへ向かう母子を見送り、また一人で歩いた。
すぐ公園にたどり着いた。
公園のとなりにある大きな建物は病院らしい。
泉田病院と看板が出ている。
わたしは全身傷だらけだが、パパとママに病院につれていってもらったことは一度もない。
その公園は高架道路の真下にあった。
わたしと同い年くらいの子どもたちがそこで遊んでいる。
メガネの男の子とミニスカートのかわいい女の子がいて、男の子の足もとに赤い空き缶があった。
男の子はおそるおそる空き缶から離れると、なにかをさがすようにキョロキョロまわりを見わたした。
ふいに青いベンチの下をのぞきこむ。
「三郎くん見っけ」
うれしそうにそういうとメガネの子はもといた場所にもどり、空き缶の頭をそっと踏んだ。
「あー、見つかった」
とぼやきながらベンチの下からはい出てきたのは小柄でやせた男の子だ。
「三郎くんホリョ。ランちゃんのとなりに立って」
二人がならぶとメガネの子はまたおそるおそる空き缶から離れた。
そのときになってようやくわたしは子どもたちがなにか決められたルールにのっとった遊びをやっているのに気づいた。
よくわからないけどあの空き缶が大切みたい……と思っていたら頭上の道路をささえるクリーム色の壁のかげから、だれか飛び出した。
「あ、太一くん見っけ……」
メガネの子はあわててもとの場所にもどろうとしたが、別の壁からまただれかあらわれた。
「もーらい!」
最後に姿を見せた肥った男の子が空き缶を蹴飛ばすと、ホリョだった男の子と女の子が歓声あげて逃げ出した。
蹴飛ばされ宙を舞った空き缶は地面に落ちると公園のすみにいたわたしのほうにコロコロところがった。
「あ、バカさわんな!」
肥った男の子に怒鳴られ、わたしはあわててひろった空き缶をその場に捨てた。
「あーあ、関係ないやつがさわっちゃった。ノーカンノーカン」
肥った子が大声で宣言すると、かくれていたほかの子たちが壁やすべり台のかげからあらわれ、公園の真ん中に集まった。
「え?」
いつのまにか目の前に小柄な男の子が立っていた。
(たしか三郎って名前の子)
三郎は無言で右手をさし出した。
その手にひろった空き缶をわたすと三郎はすぐに背を向け、さっさと歩き出した。
(いわなきゃ)
いいたいことを今いわなきゃあの子が行っちゃう!
「あ……」
乾いたのどからかすれ声が出た。
でもそれ以上言葉が出てこない。
ろくに人としゃべったことがないからのどの筋肉が発達していないんだ、とあせっていたら三郎がピタッと足を止め振り返った。
「きみも遊ぶ?」
わたしは声の代わりにいきおいよくうなずいた。
それからわたしもまじってみんなといっしょに缶蹴りをやった。
五人の子の中でオサムくんがいちばん体が大きく力も強かった。
いちばん足が速いのが太一くんでいちばん元気なのがランちゃんだ。
いちばんやさしくていちばん気がちいさいのがタケシくん。
そして五人の中でいちばんトロいのが三郎くんだ。
だってわたしより足がおそいんだもんありえない。
三郎が鬼のときは楽しかった。
見つかりやすいようにわざとすきまの多いジャングルジムのかげにかくれた。
「ユイちゃん見っけ」
三郎がわたしを見つけ、空き缶目指して走り出す。
でもあわてなくても大丈夫。
おくれて走り出したわたしはあっというまに三郎に追いつき追いこす。
「も、もーらい!」
空き缶を蹴るとホリョのランちゃんが歓声をあげた。
「ユイちゃんいっしょに逃げよう!」
わたしはうなずき、甘い匂いがするかわいい女の子と手をつないで走った。
走りながら笑うと日差しが口に入って、お腹が内側からポカポカあたたかくなった……
さんざん遊んでベンチで一休みした。
「ジュース買ってくるからみんなお金出せよ」
オサムはなんだか得意げだ。
体が大きな彼でなければ、自動販売機のボタンに手が届かない。
だからジュースを買うのはオサムの役目で、それが彼は誇らしいのだ。
オサムはタケシをひきつれ意気揚々と公園の外にジュースを買いに行った。
みんながおサイフを出しているあいだ、気づかれないようそっとベンチを離れた。
お金なんか一円も持ってない。
水飲み場の生ぬるい水を飲んでベンチにもどると、わたしがいたところに赤い缶コーラが置かれていた。
「おごるよ」
缶コーラのとなりに座った三郎がブスッとした顔でつぶやく。
「この前ここでギター弾いてたら知らないおじいさんに『上を向いて歩こう』を弾いてくれってリクエストされた。知ってる曲だったから弾いてあげたらおじいさん大喜びで千円くれたよ。だからぼく今超お金持ちなんだ」
わたしはお礼もいわずに缶コーラをとりあげるといきおいよく振った。
パパが缶コーヒーを飲むときいつもそうしているからまねしたのだ。
さあ飲むぞ! と缶の口に指をかけたらコーラを横どりされた。
三郎くんがわたしからとりあげた缶の口をプシッと音立ててひらくと、茶色い液体が噴き出した。
彼の顔はたちまちびしょびしょになり、それを見たオサムたちは手をたたいて笑った。
「三郎まぬけすぎ!」
「これ、振るとこうなる。気をつけて」
自分のぶんの缶コーラをわたしに手わたし、三郎は顔を洗いに行った。
「ご、ごめんなさい……」
「飲みなよ。ぬるくなる」
ベンチにもどった三郎はケロッとした口調でそういうと、中身が半分になったコーラをすすった。
わたしはこんどは缶を振らず、慎重にふたをあけると一口飲んだ。
はじめに痛みがあった。
パパやママに殴られてできた口の中の傷に、ぷちぷち花火のように爆ぜる液体が染みる。
痛みはすぐに消え、次にきたのは甘さだった。
口だけでなく全身に甘さが染みる。
わたしはニコニコ笑ってコーラを飲んだ。
笑いながら飲み物を飲むなんて生まれてはじめてだった。




