第73話 祭りのあと
気がついたら河原に立っていた。
朝日を浴びた白川の水面が鏡のように輝いている。
いつのまにか夜が明けた。
河原にあった赤いテント小屋はあとかたもなく消えた。
一晩中サーカスを楽しんだ二千人の観客がまぶしげに目を細め、きょろきょろまわりを見わたしている。
「あれ?」
「わたしたち」
「なんでここに?」
彼らの会話から察するに、どうやら観客はみんな昨夜の記憶を喪失したようだ。
つまりサーカスのことをまったく覚えていない。
「ぼくたちこんなところで」
「なにしてんだ?」
太一とオサムが互いにきょとんとした顔を見合わせた。
ぼくのクラスメートも昨夜の記憶を失ったらしい。
(よかった。そのほうがいい。黄泉の国で体験したことなんて覚えていたら精神が病む)
「さあみなさん朝です。おうちに帰りましょう」
「あ」
「榊家のお嬢さん」
地元の有名人である嘉子にうながされ、二千人の観客は寝不足の重い足をひきずり、土手の歩道にいたるなだらかな坂を登った。
「この子たちはわたしがタクシーで家まで送るわ」
さゆり先生がぼくにいった。
「みんな行きましょう」
「じゃあなちびG」
眠そうにオサムが手を振る。
「またね」「バイバイ」
太一とランも陽気に手を振り、そのあとに猫背のタケシが無言で続く。
「じゃあね」
ぼくは坂を登るクラスメートに手を振った。
オサムの冗談にさゆり先生が笑ってる。
(先生も黄泉の国のことを覚えてないな)
「早川三郎くん、おみごとでした」
青いドレスを朝日に輝かせて嘉子は笑った。
「あなたの活躍が世界を救いました。あなたはほんもののヒーローです」
「あ、どうも」
あんまり人にほめられことがないから、こういうときどんな顔をしたらいいのかわからない。
「なにかほしいものはありますか?」
「えと……では柱サーカスの団員たちの住むところをお願いします」
「まかせて。みなさん榊家の寮でお世話します」
であなた個人のごほうびは? と嘉子が前のめりになったとき、美津子さんが話に割って入った。
「三郎くん、あいつを」
美津子さんが指さす先に黒鳥がいた。
(淡島)
黒い燕尾服を着た淡島は河原にうずくまり、素手で固い地面を掘っていた。
「連れてって、連れてって……」
「あの男がサルバドールなのね。ソルダードと名づけた信者を使って熊本の人間を百人殺し、その死体を隠滅した稀代の犯罪者。でも証拠がない。だから警察も手を出せないけど……どうする?」
「淡島の能力を確認してみよう。カーキチ」
「カーッ」
一声鳴くとカーキチはぼくの足もとから飛び立った。
うずくまった淡島の頭上をゆっくり旋回し、それからカーキチは糞を垂れた。
糞は燕尾服の肩に当たって白い爆弾のように破裂した。
しかし淡島は土を掘る手を止めない。
「連れてって、連れてってくだせ」
「カー」
つまらなそうに鳴くとカーキチはそのまま川の向こうに飛んで行った。
「神通力が完全に消えてる。もう危険性はない。淡島の裁きはみんなにまかせるよ」
ぼくは柱サーカスの団員たちを見た。
「……」
才蔵も佐助も無言で目を光らせた。
彼らは天草島原の乱に続いて、またしても淡島にだまされた。
今回はなんとか切り抜けたが、前回の乱では淡島の奸計にはまり、みんなイケニエとして幕府軍に殺された。
彼らが今も師と慕う天草四郎はあのとき死んだ。
「万歳」
才蔵は寡婦となった女芸人を近くに呼んだ。
「二笑の仇だ。好きにしな」
「……」
「母上、連れてって、連れてってくだせ……」
ぶつぶつ独り言をいいながら淡島は地面を掘り続ける。
万歳はぼくに尋ねた。
「坊や、あいつは死なないんだね?」
「死なないよ」
「じゃあもう一度あいつが生きたまま黄泉の国へ行くことはできる?」
「それはむり。生きた人間が黄泉へ行くにはブリガドーンのような超儀式をひらかなければならない。でも今の淡島にそんな神通力は残ってないよ。淡島に残された能力は永遠に生きることだけさ」
「てことは」
鬼火に照らされたかのように、万歳の目が青く光った。
「あいつは二度と愛しい母親に会えないまま、この世を生き続けるんだねえ……」
「連れてって、連れてってくだせ」
淡島の白い手は泥にまみれ、割れた爪から黒い地面に赤い血がしたたり落ちた。
「連れてって」
「才蔵の旦那、あいつはこのまま放っておいて」
そういうと万歳は淡島にくるりと背を向けた。
「いいのか? 死なない野郎を永遠に痛ぶって恨みを晴らす手もあるぜ」
「……旦那もうちの人が死ぬとこ見ただろう?」
万歳はこちらに背を向けたままいった。
「あたしゃ自分の亭主が死ぬところを二回も見たよ。原城では幕府のサムライたちに囲まれ槍で四方八方から串刺しにされ、今度は地獄で化けものどもに八つ裂きにされた。かわいそうに。あんな暴力を見るのは二度とごめんだよ。たとえ相手が淡島のどん亀野郎でもね。あたしゃこれからあの人の菩提を弔って生きるよ。いつも死者とともにあれってジェロニモさまもおっしゃってたからねえ」
万歳は顔の前で十字を切った。
やがて土手に榊家のバスがきた。
サーカス団員たちはあれに乗って榊家の寮へ行き、そこで新生活をすごすのだ。
「世話になったな三郎」
ケンイチはぼくの白髪頭を荒っぽくごしごし撫でた。
「三郎、おまえは本当にすげえやつだ。地獄で無数の鬼にかこまれたあのとき、みんなこわくてふるえてた。いちばんふるえてたのはおれだよ。情けねえけどあのとき縮んだ金玉が、今になってもまだ元にもどってねえ。でも三郎、おまえ一人だけはぜんぜん顔色が変わってなかった。
絶望してなかった。
おまえのジェイク・ラモッタなみの闘志とど根性に感動したよ。おれは早川三郎を尊敬する。ありがとな」
「鈍感なだけだよ。ケンイチさん知ってる? 二〇二〇年に東京でまたオリンピックをやるんだ」
「そうなのか?」
ケンイチの目がキラキラ輝いた。
「よっしこんどこそオリンピックに出てやるよ!」
「ぜったい金メダルとってね」
「まかせとけ! じゃあな三郎。また会おう」
ケンイチはさっそうと手を振り、相棒のコウヘイと恋人の日百とともに坂を登った。
「康成さん」
ぼくは軍服姿の若者に声をかけた。
「お姉さんを救えずごめんなさい」
「いいんだ」
康成はさびしそうに笑った。
「あのはげしさがぼくの姉なんだ」
「康成さんはこれからなにを?」
「今日本には自衛隊という軍隊があるそうだね。そこに入隊しようと思う」
「それ、グッドアイディアです」
「ありがとう。ではこれで失礼する。世界を救った英雄早川三郎くんの健勝を祈る!」
康成はさっと敬礼して坂をあがった。
帝国陸軍の軍人らしい、ひじの張ったかっこいい敬礼だった。
「三郎さん、これを」
才蔵はぼくに風車型の手裏剣をくれた。
投げると鈴の音が鳴る手裏剣、才蔵の幼なじみすずの骨をまぜて鍛えた得物だ。
「こんな大切なものもらえないよ」
「どうかもらってやっておくんなせえ。あっしが三郎さんにあげられるものといやあこれぐらいしかないんで」
「でも……」
「さ、おさめてくだせえ。この手裏剣が出す鈴の音を、天草四郎さまがお気に入りでしてねえ。あっしがこいつを投げるたんび、四郎さまは子どものように手をたたいて喜んでいました。
三郎さんもたまにこいつを投げて、風を切る鈴の音を聞いてあっしらのことを思い出してやっておくんなせえ」
最後に才蔵が乗り込みバスは去った。
バスの中から手を振る団員たちに手を振り返していたらちょっと涙が出た。
「ダーリン」
呼ばれて振り返って驚いた。
カラミルがフランチェスコと手をつないでいる。
「どういうこと?」
「わたしたち平井家でいっしょに暮らすことにしたの。彼はわたしの弟。養父母にそう紹介するわ」
「弟?」
たしかに二人とも金髪に青い瞳は同じだけれど……
「フランチェスコ、それでいいの?」
「ぼく、吸血鬼になったからね」
元エクソシストはそういって以前と変わらぬ美貌をゆがめた。
「なれるまで先輩から基本を学ぶことにした。マラドーナやプラティニもリフティングからはじめたわけだし」
「あら先輩じゃないわお姉さんよ……ダーリンなにがおかしいの?」
「いや、フランチェスコらしいと思って」
彼の前向きな性格が変わってないのがうれしかった。
「どんな困難な状況でもゴールをねらうのがストライカーの役目さ」
(たとえや格言が好きなところも変わってない)
さすがだねとほめるとフランチェスコは照れた。
「あんまりお口をあけて笑っちゃだめよ。牙が見えるわ」
「みなさんご一緒にいかが?」
「いえ」
嘉子に榊家の黒いリムジンに誘われたが、ぼくは断った。
「これから駅の売店に陣太鼓ソフトを買いに行きます。では」
「三郎くん」
ユイとAのもとへ向かおうとするぼくを嘉子は呼び止めた。
「三郎くん、あなたはどうしてそんなに強いの?」
「ぼく強くないです。死の恐怖を知らないだけです」
といったとき川風が頬を打った。
風の中にバイオリンの音がまじっている。
「わたしにギターを教えて」
あの人はそういった。
その声とバイオリンの音を、夏の風がどこかへ運んでいった。
嘉子たちを乗せた車が去り、ぼくとAとユイ、そしてカラミルとフランチェスコの五人が河原に残った。
いや、もう一人いる。
「連れてって、母上、連れてってくだせ」
「あの人放っておいて大丈夫? 弟子のソルダードと接触しないかしら」
「大丈夫」
心配性のAを安心させるため土手を見るよううながした。
見あげるAの視線の先に、黒いスーツを着てサングラスをかけた三人の屈強な男性がいた。
「榊家の調査員だよ。これから毎日二十四時間淡島を見張るって美津子さんがいってた」
「対岸にもいるわね」
「淡島になにかあったらあの人たちが対処してくれる。それに淡島の神通力が消えた今、彼の弟子であるソルダードの能力も消えたはずだよ。弟子の能力は自発的なものではなく師がさずけたものだから、理論的にかならずそうなる」
「じゃああなたの仕事は、これで終わり?」
「うん。終わりだよ」
「よかった」
Aはいきなりぼくを抱きしめた。
抱きしめられてうれしかったが顔がAの巨乳に埋まって息ができない。
「もがむぐ」
「よくがんばったわね、えらいわ」
「むぐ」
「は、はやくアイス買いに行こう」
「行きましょう。サンジのぶんも買いましょうね」
「うん!」
ユイとAは手をつないで坂をのぼった。
やはり手をつないだカラミルとフランチェスコがあとに続く。
窒息から解放されたぼくはぜーぜー乱れた息を吐きながら四人に続いた。
坂の途中で足を止め河原を見た。
「連れてって、母上、連れてってくだせ」
淡島はまだひざまずいて地面を掘っていた。
黒い燕尾服を着た彼の姿が、空白のページに一点だけうたれた孤独なピリオドに見えた。
(そうだ、今ピリオドはうたれた。すべて終わったんだ)
ぼくはそう思った。
そのときは。




