第71話 汝の望むものは
砂嵐がやんだ。
嵐がやんだ黄泉の国は鼓膜が痛くなるほど静かだった。
風に洗われた清澄な空気に、鼻をつく鉄っぽい匂いがまじってる。
それは倒れた石柱に押しつぶされた黄泉醜女の死体群が放つ血の匂いだ。
ヒルコも倒れていた。
自分の義肢の上にうつ伏せになっている。
「班長はん!」
「兄上!」
「さわるな」
駆け寄ろうとする卑弥呼と淡島を嘉子は厳しい口調で制した。
「水島の頭が宙に浮いている。地面についてない。まだ勝負はついておらぬぞ」
ヒルコは目をあけたまま動かない。
ぼくのジェットで精神の源である不滅のティグレを破壊されたのだ。
しかし肉体に傷はない。
「三郎」
声をかけられたので振り向くと、真っ赤だったAのボディが黒くなっていた。
Aは自分の頭を指さし「白くなってるわよ」といった。
え? と自分の髪の毛を一本ひきぬくと、はたして白い。
(白髪頭にもどった)
「赤ちゃん」
とそのとき卑弥呼がさびしげにささやく声が聞こえた。
卑弥呼は自分のお腹を撫でていた。
さっきまでふくらんでいた彼女のお腹がぺちゃんこだ。
クラスメートの声も聞こえる。
「服の色がもとにもどった!」
黄泉の国にきてはじめて太一の歓声を聞いた。
「おれのジーンズも青くなったぞ!」
砂だらけのオサムがいつもの調子ではしゃいでる。
団員たちを見るとクラスメートと同じように、彼らの服からも赤い色が消えている。
赤はイケニエのあかしの色だが、それがみんなの衣服から消えた。
(やったぞ! ブリガドーンの祭儀が失敗に終わった。これでぼくらは解放され、世界も今までどおり……)
「まだだ!」
ぼくらの歓喜を打ち消すように淡島が叫んだ。
「まだブリガドーンは生きている!」
「わたしはもういやですよ」
卑弥呼は涙をぬぐうと顔をしかめた。
「お母さんをよみがえらせるためって班長はんに頼まれたから団長はんとも寝ましたけど、もう堪忍しておくれやす。団長はん床がしつこいよって」
「インチキ京都弁を使う年増女は用ずみだ」
「そうどすか。年増で失礼いたしました。死ねどす」
「カオル」
燕尾服姿の淡島はセーラー服の少女に声をかけた。
「こんどはロリコンどすか? いやらし」
「おまえはおまえの火陰にわたしと兄上の精をすでに受けている」
(え?)
ついさっきまで幽霊だったカオルとヒルコ兄弟が寝た? とぼくはその状況が呑み込めずうろたえたが、淡島はかまわずしゃべり続けた。
「国母の血を引くわれらの精を受けた女人は新しい国母となる資格がある」
カオルの横に康成がいた。
不安げな弟の表情にまったく気づかず、姉は淡島をまっすぐ見つめた。
「カオル、おまえは新しい国母となる資格をすでに持っている。母性は男のもの。女はそんなもの持っておらん。また持つ必要もない。女の本質にあるのはたった一つの欲望で、それは二万年たっても変わらない。それさえあれば、新しい世界の女王としておまえは破壊も淫行も望むがままである。これから一回きりの質問をする。こころして答えよ」
そのとき風が吹いてカオルの胸もとのスカーフがふわりと揺れた。
魚影のようにひらめくスカーフの色は、おお、赤だ!
(彼女だけまだブリガドーンの祭儀が生きてる)
「江藤香」
厳粛な面持ちで淡島は尋ねた。
「おまえの望みはなんだ?」
「答えるな!」
ぼくはとっさにカオルに向かって叫んだ。
しかし
「支配」
「よきかな」
カオルの返事を聞いた淡島が莞爾と笑った瞬間、足もとがはげしく揺れた。
立っていられず、ぼくはその場にはいつくばった。
「なんでこんな地震ばっかあんだよ!」
やはり地面にはいつくばったオサムが悲鳴をあげる。
「救世主が復活するんだ!」
ずり落ちそうなメガネをおさえタケシが叫んだ。
大地とともに揺れながらぼくは思った。
(十字架にはりつけにされて三日後イエスは復活する。イエスが復活する直前大きな地震が起きる。今タケシはそのことをいったんだ。
地震が告げるのは救世主の甦り、いや黄泉がえりだ。
よみがえるのが本当に救世主なら問題ないけど)
と考えてるうちに、揺れがおさまった。
黄泉の国はすっかり暗くなった。
さっきまで赤い空に照らされ、マジックアワーのようにぼんやり明るかったのに。
「オゥ」
カラミルは顔をしかめて口もとをおおった。
ひどい悪臭が濃密な霧のようにあたりにたちこめている。
天草傀儡衆も口々にぼやいた。
「ひでえ匂いだ」
「浜にうちあげられたクジラの死体みてえだ」
「なんの匂いだいったい?」
「……あれだ」
佐助が呆然とした顔で頭上を指さし、みんなその指をたどって見た。
「姉さん」
頭上をふりあおぎ、康成はすぐ軍帽をぬいだ。
そこに彼の姉がいた。
カオルはさっき倒れた石柱と同じくらい大きくなっていた。
身長およそ百メートル。
人々は一糸まとわぬ裸の彼女を呆然と見あげた。
ほぼ真下から見あげているから、直角に倒した首がたちまち痛くなった。
あたりが急に暗くなったのは彼女の巨大な体が日差しをさえぎるからだ。
裸のカオルは美しかった。
正確にいうと右半身は美しい。
肌がみずみずしいから黄泉の国の弱い日差しでも、乳房やお尻に艶やかな光沢が浮かんでいる。
しかし左半身はひどい。
腐ってる。
髪や腐肉にぼくの顔より大きいウジがたかり、さらに頭、乳房、お腹、陰部、左手、右手、左足、右足の八ヶ所に巨大なヘビがまとわりついていた。
ヘビどもはときおりチロチロ舌をのぞかせ、カオルの腐った肉を舐めた。
さっきのいやな匂いはカオルの腐った肉が放つ腐臭だ。
「古事記の記述と同じだな」
と感心したように田代金之助がうなずく。
死んだ妻に会いたいと黄泉の国を訪れたイザナギが見たイザナミと、今のカオルはまったく同じ姿をしていた。
「あのヘビはなんですか?」
太一は教室でさゆり先生に質問するときと同じ律儀な口調で、金之助に質問した。
「あれは穢れから生まれたヘビの形をした八雷神だよ」
「神さまですか?」
「そう、おそろしい神だよ。あのヘビのうろこがなにもかも焼きつくす雷を放つ……」
「目をつむれ!」
とつぜん才蔵が叫び、ぼくらは間一髪のタイミングで目を閉じた。
八体のヘビがいっせいに放射状に光を放ち、目を閉じ損ねた黄泉醜女がまたおおぜい悲鳴をあげて失明した。
「ギャッ!」
「神話のとおりだ!」
部下である黄泉醜女の混乱に目もくれず、淡島はゾウのように大きなお尻を振って狂喜のダンスを踊った。
「これでよし! もうすぐカオルの体の左半分もきれいになる。新しいイザナミの誕生だ! そのとき八雷神が放つ光は物体を焼きつくす熱線となる。穢れから生まれた神が、世界の穢れを祓うのだ!」
「三郎、もう一度光を放つのよ」
Aのクールな声がぼくの耳をくすぐる。
「イザナミが完全に覚醒する前に、女神の心臓に宿る不滅のティグレをあなたのジェットで破壊するのよ」
「やめてくれ!」
康成は泣いて抗議した。
「あれはイザナミじゃない。ぼくの姉だ! ああ、よかった」
泣いていた康成は急に笑った。
「治っていくね、姉さん」
康成の視線をたどって見あげると、カオルの左半分の腐肉が頭からおへそのあたりまで一気にきれいになるところだった。
「姉さん!」
「母上もう少しです!」
康成と淡島は完成体に近づくカオルの姿に歓声をあげ、Aは珍しくあわてた。
「はやくジェットを撃って!」
「三郎」
そのとき耳もとで聞こえた。
妙に大人びた少女の声が。
「ユイ?」




