第70話 早川三郎対水島功児
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試合場に立ったぼくは、数メートルの距離を置いて水島功児と向き合った。
ぼくも水島も手ぶらだ。なにも持ってない。
この一戦で、ぼくらの運命が決まる。
「花子、準備は?」
小声でそっと呼びかけると、頭の中で女の子の声がした。
「いつでもどうぞ」
左目の義眼に宿った、純粋精神体の耳なれた声を聞いたら気持ちがすっと落ち着いた。
そのとき風が吹いて赤くなったぼくの髪と、水島のリーゼントの前髪を撫でた。
風に海の匂いがまじってる。
それは天草傀儡衆の衣服、いや体に染み込んだ匂いだ。
潮の香りをかいだせいだろう、さっき孫君が歌ってくれた牛深ハイヤ節のメロディが、音の陽炎となって短く脳内に流れた。ハイヤエー……
「これが最後の勝負である」
「おお」
行司嘉子の一言に、まわりをかこんだ黄泉醜女が興奮気味にどよめいた。
「今までの五戦、いずれも名勝負であった。
優勝決定戦も野見宿禰と当麻蹴速の一戦におとらぬ名勝負を期待する。
はじめ」
そのとき試合のはじまりを祝うように、かなたの石柱が青白い光をぴかりと放った。
「もうすぐあの光が熱線になる。あらゆる物質を焼き尽くす熱線だ」
遠くをのぞんで水島がいった。
「熱線が日本列島をおおうのに一分かからない。三日で世界は滅びる。新世界の誕生だ」
「あなたはなにがしたいの?」
思わず自分の口から疑問がもれた。
「帝国呪術班って国を守る組織でしょ?」
「班長は世をあざむく仮の姿。今のおれが本当の自分だ」
「なにもかも死に絶えた世界に生きても楽しくないよ」
「母上がいる」
水島はぼくを見た。
母上、という言葉を口にするのがうれしいのか笑ってる。
どうやら母上とはイザナミをさすらしい。
国生みの女神が自分の母親ってどういうこと? と思ったがそれには触れず彼に尋ねた。
「すべてが滅んだ世界でお母さんとなにをするの?」
「母上と二人で新しい家族を作る」
「お母さんと?」
「そう。おれが新世界のイザナギになる」
「え? 母親を妻にして自分は新世界の帝王になるの?」
ローマ皇帝ネロみたいな妄想だと思っていると
「おまえはなんのために戦うんだ?」
と水島が尋ねた。
「戦うことが好きなんだ」
そうこたえながら、目のはじっこでちらっとクラスメートを見た。
彼らを守るために戦う。
それがぼくの本音だ。
でもそれはいいたくなかった。
戦うことって狂気だから「守る」とか理性的な言葉を使うと、自分が弱くなる気がするから。
「戦うことが好き、か。狂ってる」
リーゼントの前髪を小刻みにふるわせ、水島は今自分がいった言葉と裏腹に満足げにうなずいた。
「気に入った。ではおまえの好きことをやろう」
そのとき水島の垂れていた右手がスッとあがった。
ぼくを指さすつもりだ。
(今だ!)
ぼくはジーンズの腰ポケットに手をつっこみ、そこにあった折り畳みナイフ肥後守を引き抜いた。
「う」
うめき声をあげ、水島の右手がぴたりと止まった。
赤い地面に投げた肥後守が水島の右手の影を刺しつらぬいた。
影封じだ。
「よし」
ぼくにナイフ投げのコツをコーチしてくれた康成がちいさい歓声をあげた。
(右手で獲物を指ささないと水島の能力は発動しない)
ぼくは水島と善鬼の激闘を回想した。
(もう水島の右手は動かない。これでやつの術を封じたぞ)
ぼくは歓喜を覚えながら呪文を唱えた。
「この盃を受けて……」
「おれは淡島の実の兄だ」
「え?」
思わず呪文が止まった。
水島が急にへんなことをいい出した。
「淡島の兄ってことは……あなたがあの有名なヒルコ?」
そんなバカなと思う。
だって不死者淡島の年齢はおよそ二万歳、対する水島の年齢は十七歳。
兄どころか二人を兄弟あつかいするのさえバカげている。
しかし水島はまじめな顔でうなずいた。
「いかにもおれがヒルコだ。母上はそれぞれ体に障害があるおれたち兄弟をあわれみ、超能力をさずけてくださった。白子の弟には自己治癒能力を、おれにはサイコキネシスともう一つ別の能力を」
「別の能力?」
「早川三郎、おれがなぜ水蛭子と呼ばれたか、わかるか?」
「蛭のように骨のない子どもだったからでしょ?」
「それは俗説だ。おれを見ろ。ちゃんと骨があるだろう」
たしかにそうだ。
「じゃあなぜヒルコと呼ばれたの?」
「本当の理由はこれだ」
といった瞬間水島の姿が消えた。
(おい!)
あわてて周囲を見わたすと、地面に杖のようなものが四本落ちていた。
(義肢?)
「これがおれの本当の姿」
そういって水島いやヒルコは手足がない胴体だけの体をうねうねとねじり、地面を這った。
「手足がない姿が蛭のようだったからおれはヒルコと呼ばれた。母上はおれに手がなくともものを動かせるサイコキネシスの能力と、精神転移の能力をさずけた。精神転移とは自分と同じ手足のない人間の肉体にわが魂が転移する能力。この能力でおれは弟と同じノスフェラトゥ(不死者)になった。水島功児はちょうど三〇〇人目の宿主である」
すべてを語るとヒルコはすー……と上体を起こした。
ゾッとするほど目が真っ赤だ。
ヘビににらまれたカエルのように、その目をそらせない。
見ているうちにハッときづいた。
(体が動かない)
金縛りの術! と察した瞬間ヒルコがいった。
「父と母は手足のないおれを葦船に乗せ海へ流した。おれにとって海は地獄。
おまえも地獄を味わえ」
ヒルコはぺちゃぺちゃ早口で呪文を唱えた。
「我が汝夫の命、かく為ば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」
次の瞬間ぼくは後方へふっ飛んだ。
サイコキネシスの波動をまともに浴びた。
うしろにいた黄泉醜女にぶつかった。
ブナのようにぶあつい黄泉醜女の体にはりつけになり、真っ赤な髪が炎のように逆立つ。
「ぎゃ」
悲鳴とともに黄泉醜女の頭が破裂した。
醜女の砕けた脳漿が赤い髪にしたたる。
(ぼくの頭もすぐ砕ける)
頭が砕けるまであと三秒。
「エマホー」
呪文を唱え、体感する時間の最小単位を秒から砂に変えた。
一秒が六十砂。
頭を失った黄泉醜女の体にはりつけになったまま超高速思考した。
(こころに傷を負った者はかならずその傷を事前に告白する)
山田高文は自分の異常な性癖の源になった父の死を初対面のぼくに告げ、宮下神父はふだんから三択問題にこだわることで信仰を捨てるきっかけになったレイプ事件を暗に告白した。
ヒルコも二人とおなじようにぼくに「なにか」いったはずだ。
その傷は人にいわずにいられないほど痛いものだし、その傷をつつけば痛みで術は解除される。
(でもヒルコの傷ってなに?)
そう考えていたらたちまち六十砂すなわち一秒すぎた。残り二秒。
(落ちつけ、ヒルコがいったことを思い出せ)
と自分を叱咤したが「落ちつけ」といわれてすぐ落ちつく人間なんてイエスやブッダやムハンマドくらいしかいないよ……とくだらないこと考えていたらまた六十砂すぎた。残り一秒。
(もうだめだ)
そのとき鼻血が流れ血が口に入った。
(しょっぱい)
そう思った瞬間頭の中に歌が流れた。
「ハイヤエー……」
(牛深ハイヤ?)
血のしょっぱさが海の水を連想させ、その連想がヒルコの言葉を思い出させた。
「海は地獄」
とヒルコはいった。
「おまえも地獄を味わえ」
ともいった。
(これだ)
これがヒルコの傷だ!
と気づいたとき残り時間はあと十砂しかなかった。
九砂 海だ
八砂 山彦の術で海の匂いをコピーしてヒルコにぶつけるんだ そうすれば
七砂 でも「海の匂い」なんてどこにある?
六砂 空白
五砂 空白
四砂 やばい
三砂 どうしよう(頭蓋骨がメキメキきしんだ)
二砂 (そのとき南風が吹いて潮が香った。天草傀儡衆がまとった海の匂いだ)
一砂 「エマホー」
「うっ」
うめき声とともにぼくはその場にひざまずいた。
体をしばっていた透明な鉄鎖がとつぜんほどけ、背後に立っていた黄泉醜女があお向けにズシンと倒れた。
「兄上なにをしているのです!」
淡島の悲鳴が聞こえる。
したたる鼻血をぬぐって顔をあげると、ヒルコが赤い土をペロペロ舐めていた。
「兄上!」
(今ヒルコになにをいってもむだだ)
いきなり顔面に海の匂いをぶつけられたショックでヒルコは両親に捨てられ、葦船で海に流された赤ん坊のころの自分にもどっている。
退行現象というやつだ。
赤ん坊のヒルコはサイコキネシスでイルカやクジラを殺し、その血を水代わりにすすって生き延びた。
今ヒルコは土を舐めながら、そのときの苦しい記憶を追体験しているのだ。
「兄上!」「班長はん!」
ヒルコは一心不乱に土を舐めている。
淡島や卑弥呼の声は聞こえない。
ぼくは胸に手を当て呪文を唱えた。
「この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ」
「班長はん!」
「兄上目をさまして! 小僧の術がくる光がくる!」
「花に嵐のたとえもあるぞ」
「やめて!」
「兄上!」
「ヒルコ」
そのとき女性の声が聞こえた。
「立ちなさい」
ぼくはとっさに声の主を見た。
(カオル?)
なぜ彼女が? とうろたえていたら足のないヒルコが胴体だけでヌーッと立ちあがった。
赤い目がちかちか点滅する。
(やべえ)
あわてて最後の呪文を唱えた。
「さよならだけが
人生だ」
ヒルコの全身からサイコキネシスの波動が、ぼくの左目の義眼から銀色の光が放たれた。
波動と光が空中で激突した。
衝撃波が起きた。
黄泉醜女の大群がボーリングのピンのようにいっせいになぎ倒された。
続いて砂嵐が起きた。
「みんな伏せろ!」
うしろで才蔵が叫んだ。
ぼくは立ったまま両手で顔をガードした。
むき出しの腕の肌に固い砂粒がいくつも突き刺さる。
(頭が地面についたら負けだ)
だからぜったい倒れるな! と自分にいい聞かせその場に立ち続けた。
突風にあおられ顔をそむけると、砂嵐からかばおうとAがユイとタケシにおおいかぶさるのが見えた。
太一はランにおおいかぶさり、さらに意外なことに美津子さんがさゆり先生におおいかぶさっていた。
こんなときなのにランもさゆり先生もちょっとうれしそうだ。
その横をオサムが砂漠のタングルウィード(回転草)のようにころころ転がっている。
すると黄泉醜女が巣を突つかれたハチのようにキーキー甲高い声でさわぎだした。
(なんだ?)
「倒れるぞ!」
ケンイチが叫んだとき巨獣の咆哮が嵐の中にとどろいた。
それはかなたの石柱が轟音あげて根もとから倒れる音だった。




