第68話 大将 早川三郎
「三郎くん」
試合場に向かおうとすると江藤カオルが声をかけてきた。
「これが終わったらわたしにギター教えてくれる?」
興奮と疲労で充血したぼくの目に、彼女が着ているセーラー服の白さがやけに染みた。
「いいよ、どの曲を教えようか?」
「あなたが河原で弾いてたビートルズの曲をお願い」
「ああ、アイル・ビー・バックだね」
アイル・ビー・バックはジョン・レノンが作曲した曲だ。
幼いころ自分を捨てた父親と再会した直後に作った曲で、とくにイントロでジョージ・ハリスンが奏でるガットギターの音がふるえるほど美しい。
メロディは不安定で明るくなったり暗くなったりを波のようにくりかえす。
この不安定さはポールの曲にはないジョンの特徴だ。
ビートルズはすばらしい曲が星の数ほどあるが、ぼくがとりわけこの曲にひかれるのは、ジョンのようにぼくも父親に愛されなかった子どもだからだと思う。
不安定なメロディが、父親に愛されなかった子どもの不安定な感情そのものでたまらないんだ。
いつだったか、夕刻の河原でこの曲をポロポロ爪弾いていたらそばにカオルがやってきた。
「バッハより美しい旋律がこの世にあったのね」
カオルは静かにつぶやいた。
夕日が宿ったカオルの目から、そのとき日差しで溶けた蝋のように涙がしたたり落ちた……
「わかった。かならず教えるよ」
ぼくがうなずくとカオルは笑顔になって「行ってらっしゃい」と手を振った。
ぼくも手を振り、しばらく歩いてなにげなく振り返ると、カオルが顔を覆って泣いていた。
弟の康成が肩を抱いてなぐさめている。
「……」
ぼくはカオルから目をそらし、かなたにそびえる石柱を見あげた。
多くの黄泉醜女が柱をかこみ、はいつくばって拝んでいる。
風にあおられているのか、石柱はときおり「おー……」と獣の咆哮みたいにぶきみな音を立てた。
(ぼくは勝つ。勝ってかならずあの子にギターを教える)
遠くの石柱を見あげ、ぼくはこころにそうちかった。
「早川組大将、早川三郎」
「はい」
美津子さんに名前を呼ばれ、すでに鞘を払った短刀不知火丸を手に試合場に立った。
不知火丸はカラミルが身につけた香水夜間飛行の香りがうつって、かすかに甘い匂いがした。
「淡島組大将、北野晴明」
「おお」
出てきた対戦相手の顔を見あげたら、首が痛くなった。
向かい合ったのは白い着物に青い袴の大柄な若者だ。
帝国呪術班の水島功児より大きいと見あげていると
「晴明は孔雀学園のおれより一つ上の先輩だ」
と当の水島が晴明のうしろからいった。
「わが孔雀学園のナンバーツー。伝統と格式を誇る名門北野家の跡を継ぐ陰陽師だ。強敵だぞ、早川三郎」
「おれの術はこれだ」
晴明がそういったつぎの瞬間、不穏な地響きがとどろいた。
巨大な黄泉醜女がぼくの目の前に立っていた。
身長が三メートルありそうだからヒグマより大きい。
あらわれた黄泉醜女はおそろしい悪臭と殺気を放ちながら、血走った目でぼくをにらみつけた。
その醜女の頬に、細長い三日月状の傷があった。
(これ刃物に切られた傷だ)
見覚えがある。
記憶を呼びさまそうと傷を見つめていたら、震災の記憶がよみがえった。
(……こいつ土井飛雄馬だ)
熊本地震の前震があったあの夜、月見公園でユイをおそった大男。
そいつが今おそるべき怪物となってぼくの目の前に立っていた。
「式神を使うのが陰陽師のならわしだ」
晴明は得意げに、自分の前に立つ黄泉醜女を顎でさした。
「おれの式神はこいつだ」
(土井のやつ、最近見ないと思ったら死んでいたのか。死因は病気か事故……いやちがう)
多大な恨みや憎しみをかかえた人間が地獄で黄泉醜女に転生する。
生きているときの土井は恨みつらみで全身がぱんぱんにふくらんだような人間だった。
そこを見抜かれ、黄泉の国で式神として使役するため土井は呪術班に殺されたのだ。
あの夜ぼくは「自分を止められない!」と嘆く土井があわれで、あえて見逃した。
そのひとときの感傷が土井を死に追いやり、本物の怪物に変えてしまった。
ぼくをにらみつける土井の血走った目に憎悪が燃えている……いや、憎悪ではない。
(悲しみが燃えているんだ)
「行司、おれが式神を使うのは反則か?」
「いいやかまわん。早川三郎、北野が式神を使うのに異論はあるか?」
「ありません」
「よろしい、でははじ……」
め、と行司がいうよりはやく土井飛雄馬が突進してきた。
ぼくはあわてなかった。
まっ赤なかつらで変装するなど土井の奇策好きは承知している。
目の前の地面に、聖水の水たまりがまだのこっていた。
(感傷のツケを今払う)
ぼくはジーンズの腰のポケットから畳んだハンカチを引き抜き、水たまりに向かって投げた。
すると轟音とともに青い炎があがった。
「ぐわ!」
悲鳴をあげ土井の足が止まった。
ハンカチにくるんだのはギリシャ火薬だ。
意識を失ったフランチェスコのかくしポケットに、もう一つ黒い玉があったから中身を拝借した。
「反則だ!」
土井のうしろで晴明が叫んだ。
「反則じゃない。裏技だよ」
と嘉子の口まねをして呪文を唱えた。
「この盃を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ……」
最後の呪文は土井の目を見ながら唱えた。
「さよならだけが
人生だ」
呪文を終えると醜女の手足がズルッ! とはずれ、土井は赤い地面に倒れた。
「なんだ!」
「ブラック・ダリア」
術の名前を晴明に告げたとき、彼の式神の頭は地面についていた。
「勝負あった」
早川三郎の勝ち、と嘉子が淡々と告げる。
「え?」
「式神の頭が地面についた。式神と陰陽師は一心同体、すなわち北野晴明の負けである」
「ま、待って」
救いを求めるように晴明はうしろにいる水島を見た。
しかし水島は冷淡に首を振った。
「式神を使役する者は天に使役される。今までのおまえの勝利はおまえのものではなく天がもたらしたもの。今日の敗北もそうだ。天はおまえに『もはやこれまで』といったんだ。いさぎよく天命を受け入れろ、晴明」
ぼくは地面に横たわった土井を見た。
こちらを見あげて土井はニヤリと笑った。
血走っていた土井の目が、いつのまにかきれいに澄んでいる。
「そんな、おれはまだ、あの子とやることがたくさん……ギャッ!」
地面に横になった土井飛雄馬の胴体がたてに真っ二つに裂け、それと同時に立っていた晴明の体も二つに裂けた。
赤い大地に花びらのように血が散り、運命をともにした陰陽師と式神の体はそのまま「ぐるん」と裏返った。
「……」
二人の死者のむき出しになった内臓や骨を見て、ぼくを応援していた団員たちは声を失い、淡島たちも青ざめた顔で呆然とその場に立ち尽くした。
黄泉醜女までおびえてる。
二人の死体はゼラチンのようなものにつつまれ、みるみる縮んでゆき、やがて地面に雨水のように吸収された。
静まり返った荒野に、ただ嘉子の声だけが朗々とひびきわたった。
「団体戦は二勝二敗一引き分けとなった。
同点である。決着をつけるため優勝決定戦をおこなう。
淡島組の代表はだれであるか?」
「自分が出ます」
と水島が名乗りをあげた。
「早川組は?」
「早川三郎です」
ぼくの言葉に嘉子はうなずいた。
「よろしい、三十分後に最後の勝負をおこなう。
優勝決定戦である」




