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少年呪術師  作者: 森新児
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第65話 中堅 高森健一

 善鬼の生首と胴体は折れた清麿とともに地底に沈んだ。

 勝負がつくと試合場の地面は底なし沼のようになって敗者を飲み込む。

 相棒の死を悲しむ海人彦を、軍服姿の江藤康成と学生服姿の田代金之助がなぐさめている。


「淡島組の二勝である」


 行司の嘉子が淡々と告げた。


「早川組はあと一つ負けたら敗北となる。さようこころえよ」


 嘉子の冷酷なお告げを聞いて、団員たちの顔から血の気が引き、その引いた血を吸ったかのように空の赤さがぶきみに増した。

 中堅をつとめるケンイチはすでに着替えていた。

 身につけたグローブ、トランクス、ボクサーシューズ、すべて赤い。

 ぼくの視線に気づくとケンイチは照れ臭そうに笑った。


「赤はチャンピオンカラーだから」


「ケンイチさん、ケンイチさんが負けたらぼくらは終わりだ。イケニエとしてみんな殺され、よみがえったイザナミによって地上の人類も滅ぼされる」


 そういってAを見た。

 クラスメートのオサムやランだけでなくさゆり先生もAにしがみついてふるえている。


「死にたくない、わたしまだ死にたくない」


 さゆり先生は泣きながら叫んだ。


「ねえ美津子なんとかならないの!」


 しかし神事の歯車と化した美津子さんは、旧友の必死の訴えにも能面のような無表情を崩さない。

 するとAが先生にいった。


「大丈夫よ先生、三郎たちにぜんぶまかせて」


「ほんとに大丈夫?」


 子どものようにべそをかく先生の頭をAはやさしく撫でた。


「あの子がわたしの信頼を裏切ったことは一度もないわ。だから大丈夫よ」


「……プレッシャーかけて悪いけどケンイチさん、この勝負なにがなんでも勝ってよ」


 ぼくはケンイチの目をしっかり見つめて「きれいな勝ちかたでなくていいから」と念を押した。


「まかしとけ、といいたいが相手も強えな」


 空手着姿の有明一機が向こうで柔軟体操していた。

 足が一八〇度一直線にひらいて前傾したお腹が余裕で地面にくっついている。


「空手家って体やわらかいんだなあ、おれあんな芸当できねえよ」


「ケンイチさん」


「わりいわりいまじめにやるって。Aさん、試合がはじまったらタイムキーパーやってよ。一分ごとに時間を知らせて」


「まかせて」


「ケン、ガードはいつもより高くあげろ」


 左目に眼帯はめたトレーナーの千葉公平がボクサーに指示を出した。


「敵のまわし蹴りがくる」


「OK、作戦は?」


「足を使って距離をとれ。空手よりボクシングのほうが距離が長い。ボクサーの距離になれてない相手をいらつかせろ。おれが合図するまで攻撃はジャブだけだ。打ったらすぐガードにもどれ! 相手がジャブになれてきたら右を使え」


 そこでコウヘイは急に声をひそめた。


「一発目の右はわざと空振りしろ。二発目でしとめるんだ」


「了解」


「おまえが負けたらみんな死ぬ。あそこにいる子どもたちもだ。確実にしとめろ」


「わかってる」


「ここはリングじゃない。足もとは裸の地面だ。ひざを痛めやすいから気をつけろよ」


「わかってるって……」


「ケンイチ、おまえやっぱり緊張してるな」


「なんでだよ?」


「マウスピース忘れてるぞ」


 コウヘイが白いマウスピースを口にねじこむと、ケンイチはふたたび照れ笑いした。


「やべえ、これなしじゃ口ん中血だらけんなって飯食えねえ……」


「あんた」


 と、そこで天草傀儡衆の日百が声をかけてきた。


「小君が死んじゃった。あんたがいなくなったらあたしほんとに一人ぼっちになるよ。そんなのいやだよ、帰ってきてね」


「わかった」


 ケンイチは手を伸ばし、日百の頬を伝う涙をグローブでぬぐった。


「帰ってきたらいっしょにかき氷食おう。口ん中切れててもあれなら食えるんだ」


「あい」


「約束したぜ。じゃあみんな行ってくる」

 

 ケンイチは陽気に手を振り試合場に向かった。

 颯爽としたボクサーの背中を見送り、才蔵は首を振った。


「いい男だ。日百が惚れるのも無理はねえ」


「ケンイチさんがんばって!」


 がんばれという言葉がきらいなのにぼくは思わずそう叫んだ。

 叫ばずにいられなかった。

 彼のこぶしに、人類の運命がかかっている。





「はじめよ」


 嘉子がそういうとケンイチはすばやく接近した。

 小石がざらつく地面を歩いているのにネコのように足音がしない。


「お」


 佐助が短い歓声をあげた。

 有明の金髪から霧のように汗が散る。

 ジャブがヒットした。


「チッ」


 有明は舌打ちすると怒りの形相で右のまわし蹴りを放った。

 ケンイチが頭をさげてかわす。

 するとすぐケンイチの斜め上から二撃目が降ってきた。


(うしろまわし蹴り)


 ボクシングではぜったいありえない角度の攻撃だ。


「さがるな前に出ろ!」


 コウヘイが叫ぶより速くケンイチは前方にダッキングした。

 その頭上すれすれをするどい鎌のように蹴りがなぎ払う。

 ボクサーのくせでうしろにスエーしたらこの蹴りはかわせなかった……と思っていたらケンイチの顔に垂直に影が落ちた。


「なんだ?」


 とセコンドのコウヘイが一瞬とまどう。


「かかと落としだ!」


 とぼくは叫んだ。

 これはテコンドーの技でムエタイにはないからコウヘイが知らないのも無理はない。

 ザン! とにぶい音がした。

 有明のかかとが地面をえぐる音だ。

 と、有明のアゴがかくんとあがった。

 ステップバックして蹴りをかわしたケンイチがまたジャブを入れた。

 有明はこんどは舌打ちしなかった。


「効いた」


 コウヘイはヒュッ! とするどく指笛を鳴らした。

 それに応じてケンイチは大胆に踏み込むと右ストレートを放った。

 渾身の一撃が有明のアゴをかすめる。

 コウヘイの指示通り、ケンイチは一発目の右をわざと空振りした。

 その空砲で、有明の顔色が一瞬青ざめた。


「今ので有明の距離感が狂った」

 

 コウヘイは満足そうにうなずいた。


「そろそろとどめ……お?」


 ふだんクールなコウヘイがそんなへんな声をあげたのは有明の構えのせいだ。

 大きく足をひらくと有明は右手の人さし指と中指をぴんと伸ばし、頭上にまっすぐかざした。

 その手を左脇の下へななめに振りおろし、すぐ右肩の上にななめに振りあげる。

 手を水平に走らせ、こんどは左肩から右脇の下へななめに振りおろし、最後に手をまたまっすぐ頭上にかざした。


(五芒星の印)


 有明は今空中にそれを書いた。


「あいつはなにをやってるんだ?」


 と混乱するコウヘイの髪がそよそよなびいてる。

 風というよりなにかに吸い込まれるような揺れかただ。

 見るとクラスメートの髪もそよそよ揺れている。

 ぼくの赤い髪も。


(これは)


「ケンイチさん正面にいちゃだめだ!」


 とぼくが絶叫したとき有明が虚空の五芒星のまん中に正拳突きを入れた。

 ズドン! と大砲を放ったような音がしてケンイチが両手をガード状にあげたままうしろへふっ飛んだ。

 ケンイチはあお向けにひっくり返った。


「ケン!」


「頭はついてねえ」


 ケンイチが懸命に叫ぶと行司の嘉子は無言でうなずいた。


「へ、まだまだ」


 強がるケンイチだが立ちあがった姿はひどかった。

 鼻血がしたたり、ひじから手首にかけてヤスリをかけたかのように肌が裂け血が流れている。

 ダメージは明らかだ。


「三郎今なにがあったんだ!」


 コウヘイの問いかけにぼくは首を振った。


「わからない……あ」


 有明がまた五芒星を描いた。


「またくる!」


「ジグザグステップだ!」


 コウヘイが叫ぶとケンイチは前進しながらジグザグにステップした。

 これは本来逃げる相手をつかまえる足の動きだが今逃げているのはケンイチのほうだ。

 有明は五芒星に突きを入れた。

 ケンイチがすばやく右に体をかたむけるとうしろで絶叫と水がこぼれるような音がした。


「ぐええ……」


 一人の黄泉醜女がうずくまっていた。

 ケンイチがかわした有明の術を不運にも食らったようだ。

 腹が破裂し、ひざのまわりではらわたがとぐろを巻いている。

 まわりにいた黄泉醜女は傷ついた仲間にむらがると、まだ生きている彼のはらわたを引きちぎりむしゃむしゃ食べた。


「……空気弾だ」


 吐き気をこらえ、ぼくにコウヘイにいった。


「有明が空中に五芒星を描くとその空間の空気が一気に圧縮される。そこへ正拳突きを放つとそれが引き金になって空気弾が発射されるんだ」


「なるほど空気銃と同じりくつだな、ケンさっきのは空気弾だ!」


「OKわかった」


 試合場でケンイチがうなずくと、対戦相手がせせら笑った。


「わかったところでなんになる」


 有明はまた五芒星を描いた。

 ケンイチがあわててガードをあげると有明はこんどは五芒星に突きではなく掌底を入れた。

 するとシャッとカーテンをひらくようなすずしげな音がして、日百が「デウスさま!」と悲鳴をあげた。

 すでに傷ついているケンイチの両手に、こんどは蜂の巣状に無数の穴があいた。


「空気の散弾銃だ」


 と有明が笑う。


「足はまだ動くぜ」


 腕から幾筋も血を流し、それでもケンイチは強がった。


「では足を殺そう」


 有明はまた五芒星を描くと右手の手刀でそれをななめに切った。

 するとケンイチの左足のふとももがななめに切り裂けた。


「こっちも」


 左手の手刀でななめに五芒星を切る。

 こんどはケンイチの右足のふとももがななめに裂けた。


「フィニッシュ」


 有明は氷上のスケーターのように一回転すると五芒星に裏拳をたたきこんだ。


「うおっ!」


 大きく蛇行して飛んできた空気弾に頬をたたかれ、ケンイチはその場にひざまずいた。


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