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少年呪術師  作者: 森新児
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第63話 マルチリ

 野球のバットを二本フルスイングでぶつけあったような音がとどろいた。

 とどろいたのは二人の力士の頭と頭がぶつかる音だ。

 関はすさまじい勢いでぶちかました。

 氏長も同時に立った、ように見えたが背後に気をとられコンマ数秒立つのが遅れた。

 関はその遅れをついた。

 頭で当たってすぐ左の下手をとり、右の下手もとってもろざしになる。


「いかん」


 と才蔵がうめいた。

 氏長の胸に頭をつけ、関は一気に前に出た。

 氏長はたちまち西の土俵際に追いつめられた。

 徳俵にかかった右足のかかとがぶるぶるふるえる。


「氏長さん!」


 体調が治った小君が必死に恋人へ声援を送る。

 氏長は反り身になって耐えた。


「自分よりでかい相手にふところに入られた。これじゃ力の出しようがねえ」


 とケンイチがうめいたとき関がしかけた。

 深く腰を落とし関ははげしく腰を揺すった。

 がぶり寄りだ。


「うわあ!」


「だめだ!」


 団員たちが悲鳴をあげ、女たちは顔をおおった。

 土俵を見あげる女性は小君ただ一人。

 自分と惚れあった男の最期を見届けようと、けなげに見ひらいた彼女の目に、敗北を予感した涙の膜が張っている。しかし、


「関」


 東の土俵下から水島がはじめて声をあげた。


「なにを遊んでる?」


(え?)


 遊んでるってどういうこと? といぶかしんだとき気がついた。

 さっきまでふるえていた氏長の右足のかかとが、今はぴたりと止まってる。

 関のがぶり寄りもふいに止まった。


「お?」


 ケンイチがけげんそうな声をあげたとき、氏長がはじめてジリッと一歩前に出た。


「おお!」


 ケンイチが歓声をあげる。


「関どの!」


 東の土俵下で淡島が悲鳴をあげた。

 氏長はさらに一歩前に出た。


「まわしがとれてないのになんで出れる?」


(かんぬき)さ」


 ケンイチの疑問に答えたのは佐助だ。


「もろざしになった相手の両腕を外からかかえこみ肘のところで締めあげる。相手が立ったまま無理に耐えようとすると肘が折れる。だから相手は力を逃がすためうしろにさがるしかない」


「なーるほど」


 佐助の説明にケンイチは感心してうなずいた。


「これは氏長の怪力がなせる技だ。なんせ米俵を六俵(三六〇キロ)軽々かつぐ男だからな」


 佐助はなんだか得意げだ。

 親友の腕っぷしが彼には自慢なのだ。

 氏長と関はいつのまにか中央の仕切り線にもどり、そこで動かなくなった。

 向こうを向いた氏長の表情はわからないが、頭をさげた関の乱れた呼吸音はよく聞こえる。


「姿勢が低いほうがスタミナをロスするから……あ」


 ケンイチが急にうろたえた。


「血だ」


「血?」


 見ると土俵に血が落ちている。

 状況を確認しようと土俵を半周して愕然となった。


(氏長の顔が血まみれだ!)


 ぼくは自分の鼻をさして仲間に知らせた。


「鼻か」


 ケンイチは腕組みした。


「たぶん鼻の骨折られたな。でもいつやられた?」


「立ち合い」


 と相棒のコウヘイが答える。


「関が頭より先に肘をぶつけた」


「肘か! メキシコのボクサーみたいにえげつねえな……」


「ぬおお!」


 裂帛の気合いとともに関が猛然と寄った。

 氏長はびくともしない。

 しかしまわしに手がとどかない氏長も攻め手がない。

 両者は土俵中央で膠着した。

 静かだ。

 黄泉醜女はみんな固唾を飲んで勝負のゆくえを見守っている。

 聞こえるのは関の乱れた呼吸と、汗まみれの関の背中にぽとぽとしたたる氏長の鼻血の音だけ。


「関ぜったい頭をあげるな」


 と水島が声をかける。


「関どの!」


 と淡島が泣きそうな声で叫ぶ。


「消耗戦だ。先に音をあげたほうが負ける……」


 と、コウヘイがつぶやいたときだ。


「ハ ヨイサヨイサ ハ ヨイサヨイサ」


 急に小君が歌い始めた。

 その歌を聴いてぼくは昨夜の楽しかった宴を思い出した。


(牛深ハイヤ節)


「ハイヤエーハイヤ 来た(北)かと 思えばまだ南風(はえ)の風 ヨー 風さえ恋路の サーマ 邪魔をする エー」


「はあ、はあ」


 小君の歌に合わせて孫君たちが手拍子した。

 乱れた関の呼吸がまるで歌の合いの手だ。


「ハイヤエー 忘れていたのに また顔見せてヨー

 思い出させて サーマ 泣かす気かー」


「はあ、はあ」


「ハイヤエー 船は出ていく帆かけて走るエー

 茶屋の娘が サーマ 出て招く エー」


「はあ、はあ」


「ハイヤエー ハイヤ いやそれ 枕はいらぬ エー 互いちがいの サーマ お手枕 エー」


「はあ……」


「今だ」

 

 と才蔵がするどくつぶやく。


「折れ」


 と佐助。


「うむ」


 氏長が短く気合いを発するとメキメキ、とぶきみな音が聞こえた。

 それは氏長の閂が関の肘を締めあげる音だ。

 関が息を吸って手から力が抜けた瞬間をねらったのだ。


「ぐええ」


 無敵のアマ横綱がぶざまな悲鳴をあげた。


「いいぞそのまま折れ!」


 軍服姿の康成が頬を紅潮させて叫んだ。


「関!」


 水島の声から余裕が消えたそのとき


「おお!」


 黄泉醜女がどよめいた。

 ズボッとにぶい音立てて、ついに氏長のふところから関が頭をあげた。


「待っとったばいこんときを!」


 血まみれの顔に会心の笑みを浮かべ、氏長は関の顔面を両手でばちん! とはさんだ。


「氏長さん!」


徳利(とっくり)投げだ!」


 小君と才蔵が同時に叫ぶ。

 氏長が顔をはさんで合掌した手をひねると、関の巨体が大きくかたむいた。

 ついに左のまわしをつかみ、氏長は一気に西の土俵に寄った。


「きええ!」


 反り身になりながら関が死に物狂いの右下手投げを打つ。


「おう」


 氏長が左の上手投げを打ち返す。

 勢いにまさる氏長の投げで関の右足がはねあがった。

 氏長の両足は磐石に地についたままだ。


(勝った)


 と確信した瞬間だった。

 氏長がとつぜんまわしから左手をはなし、土俵際でくるりと半回転した!


「氏長さん!」


「うおお!」


 土俵に足をおろした関は渾身の投げを打った。

 相手にほとんど背を向けていた氏長はなすすべなく、西の土俵下に転落した。


「これは……」


 自分の左手を見て氏長は絶句した。

 氏長のてのひらは血に染まっていた。


(自分の鼻血で手がすべったんだ)


「氏長さん」


 小君は右手を伸ばした。


「小君どん」


 氏長が左手を伸ばす。

 二人の指先が触れる直前


「勝負は決した」


 行司の嘉子が乾いた声で宣言した。


「右の下手投げで関の勝ち」


「待って……」


「けく」


 小君の懇願もむなしく、氏長は絞め殺されるニワトリのような声をあげた。

 恋人の目と鼻の先で、氏長の巨体は頭のてっぺんから股のつけねまでたてに真っ二つに裂けた。

 裂けた氏長の体はその場でぐるんと裏返った。

 肌の下にあった骨や内臓があらわになる。

 あらわになった骨や内臓はすぐゼラチンのようなものにつつまれた。

 薩摩の氏長は赤い肉塊と化した。


「相撲に敗れた者はこのようになる」


 嘉子の口調は淡々としている。


「みなさん」


 氏長の返り血が点々と散った顔にすばらしい笑みを浮かべ、小君はいった。


「みなさん、ジェロニモさま。もうしわけありません。ヤコブ大西とヴェロニカ小君はここに殉教(マルチリ)を遂げまする」


 小君の手にはいつのまにか短刀がにぎられていた。


「小君やめろ……」


「先に行っといでヴェロニカ」


 夫を制し、孫君はやさしい声でいった。


「あたしたちもすぐ行くよ」


「あい、姉さん」


 笑みを浮かべたまま小君は短刀で自分ののどを突いた。

 噴水のようにのどから血を吹き出し、小君はかつて氏長だった赤い肉塊の上にうつ伏せに倒れた。


「ハレルヤ」


 小君と仲のよかった日百は聖言を唱え、十字を切った。

 日百の目尻から一筋涙がこぼれた。

 最初の勝負はこうして終わった。


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