第62話 先鋒 薩摩の氏長
生前と同じように黒いスーツを着て赤いネクタイをしめたフランチェスコが、すぐ目の前に立っていた。
金色の髪も、青い目も、端正な顔立ちも以前と変わらない。
ちがいは口もとにちらりとのぞく、オオカミのようにするどい牙だけだ。
「フランチェスコ!」
走りだそうとするぼくを、才蔵があわててうしろから抱き止めた。
「およしなせえ三郎さん!」
「フランチェスコなぜだ! なぜきみが黄泉醜女になんか……」
ぼくの声はそこで途切れた。
フランチェスコが笑ってる。
その笑顔を見て、身もこころも寒々と凍った。
ぼくはこの表情をよく知っている。
Xに憑依され巨大化したサンジが、これとそっくりな笑みを浮かべていた。
貪婪な食欲と殺意をこぼれんばかりにたたえた、凶悪な笑顔を。
「三郎さん、あっしは元抜け忍です」
かすれた声で才蔵がささやいた。
「抜け忍の命綱はなんだと思いやす? それは相手の強さを見抜く目です。相手を見た瞬間逃げるか戦うか、見極める目がなにがなんでも必要です。目利きが狂ったことは一度もねえ。そうでなきゃあっしはとっくに死んでる。あっしは原城で宮本武蔵を見たことがあります。老いたりとはいえ遠目に見てもその剣気はすさまじかった。でもねえ三郎さん、
黒い服着たあの異人の坊やは、あのときの武蔵より強いですぜ」
ウソをつかずホラも吹かない才蔵の批評に戦慄を覚えていると、甘い香水の匂いが鼻をうった。
「大丈夫よダーリン」
カラミルはぼくの頬をそっと撫でた。
「わたしは吸血鬼カーミラ。霧のロンドンで切り裂きジャックを八つ裂きにして永遠の闇に葬った女よ。わたしにまかせて」
カラミルはぼくにウィンクするとすずしげな青い目でひたっとフランチェスコを見つめた。
カラミルが見つめると、フランチェスコの顔から笑みが消えた。
二人は無言で見つめあった。
彼らがそのときなにを思ったのか、ぼくにはまったくわからない。
「大将、北野晴明」
美津子さんが最後の五人目の名を告げると、白い着物に青い袴の若者が「おう」と応じた。
(あれがぼくの相手)
名前から察するにどうやら相手は陰陽師らしい。
(呪術師対陰陽師か。望むところだ!)
「取り組みは決まった」
最後に立会人をつとめる嘉子が太い声で告げた。
「そうほうの力士はしたくせよ。これより相撲勝負をはじめる!」
最初の勝負をはじめる前に嘉子がいった。
「先刻『これより行う相撲勝負は伝統相撲とはちがう』と申したものの、先鋒はともに伝統相撲の力士である。先鋒の取り組みだけ伝統相撲のルールにのっとってやってみてはどうであろう?」
嘉子の申し出に、氏長も関も即座に「承知」と応じた。
「では土俵よ出でよ!」
ふたたび嘉子の勾玉が輝くと、ぼくらと淡島のあいだの地面が四角にズズズッと盛りあがった。
まわりに土をこぼしながら盛りあがった地面には、黄金の俵が円型にうたれていた。
「佐助、土俵を清めてくれ」
「うむ、と、箒がない」
「それは?」
才蔵は佐助の手もとを指さした。
さっきまでなかった箒がそこにある。
「ふむ、ここでは勝負に必要なものは念じると出てくるようだな。塩だ」
佐助がそういうと彼の空いた左手に、真っ白な塩が山と盛られた枡があらわれた。
「清めてくる」
「みごとな土俵だ」
塩をまき、箒でていねいに土俵を掃く佐助を見ながら氏長は浴衣を脱いだ。
氏長はすでに真っ赤なまわしを身につけていた。
「佐助のいう通りじゃ。わしまわしなんてつけとらんかったのに、念じたらあらわれおった」
氏長がてのひらでまわしを軽くたたくと、ズドンと大砲のような音がとどろいた。
「まわしの具合はどうだ?」
「よかよ才蔵どん、こんなら外れん」
土俵の向こうで関が袴を脱ぐと、その下から黒いまわしがあらわれた。
「フフ、あちらさんも用意しとらす。万歳」
氏長は小君にささえられようやく立っている万歳に声をかけた。
「亭主のあとを追おうなんて考えんでくれよ。ジェロニモさまも自殺はでけん(だめだ)ていうとらすし」
ジェロニモ、と天草四郎の洗礼名を聞くと、それまでぼんやりしていた万歳の顔に血の気がさした。
「二笑のかたきはおるがとるけん」
「……約束だよ」
「うむ、約束じゃ」
「ヤコブ大西、いいえ大西孫太郎さん」
万歳のとなりにいた小君が氏長に声をかけた。
ヤコブは氏長の洗礼名、大西孫太郎は彼の本名だ。
目を潤ませて小君はいった。
「お帰りをお待ちしております」
「ほい、ありがとう。かならず帰りますよ」
氏長はにっこり笑った。
そのあまりにもやさしい笑顔を見て鈍感なぼくは、あれ? ひょっとして氏長さんと小君はつき合ってるの? とようやく気がついた。
「では行ってきます」
氏長は軽く手を振り、土俵にあがった。
さっき陰風が吹いてきたのが北だとすると氏長が西方、関が東方になる。
佐助が清めた土俵を足でならし、二人は向き合うと膝を折って蹲踞した。
「氏長が一九〇センチ一二〇キロ、関が二メートル一七〇キロ、てとこだな」
関でけえ……とケンイチはため息ついた。
「まるでクマだ」
「負けたら死ぬ勝負だぞ。わかってるのか?」
四股を踏みながら関が問いかけた。
足がまっすぐ高くあがった見事な四股だ。
「むろん」
氏長もゆったり四股を踏んだ。
こちらは膝から先が曲がって足もあんまり高くあがらない。
「今までに命を賭けた勝負をしたことはあるか?」
「どがんしこも……いくたびも」
「ほお、しかし最期が原城で討ち死にではいくらデスマッチに勝っても無意味だな」
「無意味とは?」
「どんなつまらんやつにも生涯を決する大一番がかならず一度おとずれる。おまえにとってそれが天草島原の乱だった。あわれなるかな薩摩の氏長は大一番に敗れた。おまえがそれまでに重ねたデスマッチの勝利も、おまえの生涯そのものも、だから無意味だ。おれは人生の大一番に敗れた者の価値など認めん」
「なるほど。ジェロニモさまがおれにいわしたことがある」
「天草四郎がなんと?」
「生まれは呪いである。生まれた場所も家も変えることはできん。土地のなまりや家柄は影のように生涯自分につきまとう。そるが呪いだと。しかし呪いを祝福に変えることはできる。
それは大一番に勝つことだとジェロニモさまはおっしゃった」
「しかし敗れた」
「と、おるも思とった。ばってん原城の戦はジェロニモさまの大一番でおる(おれ)のじゃなかった」
「ではおまえの大一番とはいつだ?」
「今」
そのときはじめて南のほうから風が吹いた。
「おお」
氏長は気持ちよさそうに笑った。
「地獄で南風の風ば浴びるとは思わなんだ。牛深ハイヤんごた。これは幸先んよかばい」
「土俵の空気が変わりやした」
これはいけるかも……と才蔵がささやいたとき、行司役の嘉子が声をあげた。
「時間である。両者見合って」
二人は蹲踞から立ちあがると前屈みになった。
関も氏長も土俵に左手をつく。
(あと右手をつけば、勝負がはじまる)
と、そのとき
「う」
とつぜんうしろで女性のうめき声が聞こえた。
振り向くと小君が苦しそうに胸をおさえている。
「ヴェロニカ?」
今まで自分をささえていた小君を、こんどは万歳が介抱した。
「どうしたんだい?」
とっさに土俵の向こうを見た。
腕組みした水島がじっとこっちを見つめている。
(あいつなにか術を使ったな!)
土俵を見あげた。
張りつめていた氏長の背中の筋肉に、さざ波のようなものが走った。
(小君の身を案じて氏長の気息が乱れた。これが水島の狙いだ)
氏長さん待ったしろ! と叫ぼうとしたとき、関がトンと右手をついた。
氏長も釣られてトン、と右手をついた。
「八卦よい!」
嘉子がするどく叫ぶ。
天、沢、火、雷、風、水、山、地すべてよしと行司が宣言した。
こうなったらもうだれにも止められない。
こうして氏長と関の人生を賭けた大一番がはじまった。




