第59話 黄泉の国
ぼくは夜目がきく。
おやじの命令で実家の裏にあった防空壕に長期間こもり暗闇修行した成果だが、今は自分の指さえ見えない。
絹のように肌にまとわりつく特異な闇が、暗黒を見通す目をさえぎっている。
「なんだ?」
「ここどこ?」
「先生」
「こわい!」
クラスメートのふるえる声が聞こえた。
彼らの声は反響せず広がった。
どうやらぼくたちは広い場所にいるようだ。
「こるは……」
「どげんしたこつ?」
「なじむまで目をつむるんじゃねえよ」
才蔵が団員に呼びかける声も聞こえる。
すると濃密な香水の甘い匂いが近づいてきた。
「ダーリン」
(カラミル)
「あなた目は見える?」
「ぜんぜんだめ」
「目をつむって」
いわれて目を閉じると、カラミルが指先でまぶたを撫でた。
カラミルの指はかすかに濡れていた。
「わたしの唾をぬったの。目をあけて」
あけると見えた。
光がない、血を流したように真っ赤な空が。
ぼくたちは荒れ地にいた。
足もとは舗装されていない土の地面で、三百六十度四方に建物はない。
ごつごつした黒い岩影がところどころあるだけだ。
さえぎるものはないのにそよとも風は吹かない。
「ほかの子見てくるわ」
カラミルはぼくのクラスメートのようすを見に行った。
ぼくはサーカス団員に目を向けた。
小君が仲のいい日百と手をとりあいふるえている。
カオルは康成に肩を抱かれ不安そうにまわりを見ていた。
「赤い空と、なにもねえ、だだっ広いだけの不毛な土地か……よお」
才蔵は自分と同じ抜け忍の佐助に声をかけた。
「おめえここがどこだかわかるか?」
「……ここは」
「なんだ?」
「卍谷にいた乞食坊主に聞いたことがある。赤い空に不毛な荒れ地。あの坊主がいっていた土地の特徴とおんなじだ」
佐助の言葉を聞いて才蔵は女房と顔を見合わせた。
「よお佐助、勿体つけるなよ。いったいここはどこなんだ?」
「ここは……おっ」
才蔵、佐助、ぼくの三人は同時に短刀を抜いた。
「なにかいる」
と才蔵。
「おれたちを見てる」
と、これは佐助。
「あの岩」
ぼくは彼方を指さした。
「あれ、岩じゃない」
「そうです、その通り」
ぼくらはいっせいに振り向いた。
「あれは岩ではありません」
帝国呪術班のメンバーを背後にしたがえ、淡島が姿を見せた。
「おまえがサルバドールなのか!」
「ここはどこだ!」
「おれたちをどうする気だ?」
「一つずつ答えましょう」
慇懃無礼な態度を崩さず、淡島はニッコリ笑った。
「三郎くん、そうです。わたしがサルバドールです。きみには何度も煮え湯を飲まされた。警察や自衛隊さえ止められなかったわたしの部下の快進撃を、まさか十歳の少年に止められるとは! きみに敬意を表する。
だから生かしておきたかったが、天は早川三郎の死を望むようだ。残念だ。
それから才蔵さん。ここはどこだとお尋ねですが、本当におわかりになりませんか?」
そのときぼくらを遠巻きに囲んだ黒い岩が、いっせいにドッと笑った。
「な、なんでえ」
伊賀が生んだ最強の抜け忍才蔵の声がふるえている。
ぼくは見た。
ぼくらを囲んだ遠くの岩のようなものには手足があった。
身の丈はどの個体もゆうに三メートルを越えている。
最初ぼくがあれを岩とまちがえたのは、ミケランジェロの彫刻みたいなものすごい筋肉のせいだ。
肌は焼けたはがねのように赤い。
指先にするどい鉤爪があり、口もとにはオオカミのような牙がある。
目はアルコール中毒者のように赤く、その目が殺意と悪意と食欲でらんらんと燃えている。
頭髪はなく代わりにツノが生えている。
ツノの数は個体ごとに一本だったり二本だったりする。
子どものころ昔ばなしの絵本で読んだ鬼そっくりの風貌だ。
ちがいは絵本の鬼のように虎柄の腰巻きを身につけておらず、巨大な陽根や女陰をむき出しにさらしているところくらいだ。
鬼は五~六百体いた。
ぼくらのおよそ十倍の数だ。
(勝てない)
とっさにそう思った。
「あれは黄泉醜女です」
淡島はかなたの黒い岩を白い指でさした。
「恨みや憎しみを腹に呑んだまま死んだ人間が、地獄で狂暴無比な悪鬼と化す。それが黄泉醜女です」
地面がふるえるほどのはげしい哄笑のあいまに、びちゃびちゃと濡れたような音がまじる。
「今のは黄泉醜女の舌鼓の音です。彼らの食糧は罪をおかし、ここへ落ちてきた罪人どもです。彼らは罪人どものしなびた肉に飽き飽きして、いきのいい、生きた人間の新鮮な肉を食らいたがっています。もうおわかりですね?
ここは黄泉の国。
世の中に恨みを持ったまま死んだ人間が落ちる地獄です」
黄泉の国、と淡島が口にしたとき、荒れ地にはじめて風が吹いた。
冷たい陰気な風が。
「それから佐助さん、自分たちがこれからどうなるというお尋ねでしたね?
あなたがたは今から黄泉醜女に食われます」
淡島は厳粛な面もちで告げた。
「あなたがたイケニエがみんな食われたとき、ブリガドーンの祝祭は成就します」
「なぜ……」
おれたちなんだ? とやはりふるえる声で佐助が尋ねた。
「天草島原の乱に参加した者は幕府軍に敗れた無念。
それから海人彦さん、善鬼さん、あなたがた神風連の乱に参加した者は明治政府に敗れた無念。
矢野くん千葉くんは東京オリンピックに参加できなかった無念。
江藤康成くんは戦場で卑劣な敵に不意をつかれて死んだ無念。
カオルくんは音楽家としてのようようたる前途を病にうばわれた無念。
それぞれの無念が宿痾となり、それが呪いに転じてあなたがたをイケニエにしたのです」
「クラスメートは関係ないぞ!」
「たしかに関係ない」
淡島は真っ白な顔をぼくに向けた。
「しかし三郎くん、その子たちにはきみという友人がいる。
その因縁が、彼らをイケニエにした」
「なんだって?」
ぼくはさゆり先生にすがりつくクラスメートに視線を向けた。
向けてふるえた。おお見よ、
オサムのブルージーンズが赤い色になっている!
太一のスニーカーも真っ赤だ。
ランのスカートやさゆり先生のシャツもいつのまにか赤くなった。
ぼくはきつく唇を噛んだ。
(ちくしょう! 衣服の赤い色はイケニエのあかし。ぼくのせいで無関係な先生やクラスメートまでイケニエにカウントされたぞ)
「三郎」
「さ、三郎くん」
「きみたちも!」
そばにきたAとユイを見て愕然となった。
ユイが着ているボーダーTジャツの黒いラインが赤になってる。
それにいつもは真っ黒なAのボディが今は真っ赤だ。
「わたしだけじゃないわ、三郎あなたもよ」
「ぼくも?」
「鏡を見て」
Aにいわれてジーンズのポケットからスマホをとりだし、カメラを反転させて自分を見た。
「これは……」
思わず息を飲んだ。
なんてことだ。
見なれた自分の白髪頭が、トウガラシみたいに真っ赤だ!




