第58話 サーカスの夜
熱狂が巻き起こす風圧で、一瞬テントが風船のようにふくらんだ。
七月十七日の夜、時間は九時すぎ。
その夜ひらかれた柱サーカスの公演に、ぼくの予想をはるかに上まわる二千人の観客が押し寄せた。
淡島団長は二千枚ぴったりしかチラシを作らなかったから、街頭でチラシを受け取った人が一人のこらず白川の河原へきたことになる。
集まった観客はみんな大なり小なり霊感があって幽霊団員の姿が見えた。
天草傀儡衆がチンドン屋に扮して披露した人形劇は、宣伝と同時に観客の霊感をためすテストでもあったのだ。
観客は団員が幽霊なのを承知でサーカスを楽しんでいる。
ぼくは自分の席から満員の観客席を見わたした。
北席最前列のVIP席に青いドレスを着た榊嘉子さんと、黒いスーツを着た半藤美津子さんの姉妹がいる。
嘉子さんの胸で光る、すこし曲がった白い石は古代のアクセサリー勾玉だ。
そのうしろに帝国呪術班の面々、水島功児と関樽吉、それに青い着物の若者と白い着物の巫女が控える。
その対面の南席に五年A組のクラスメート、太一、オサム、ラン、さゆり先生、ぼく、ユイ、A、それから珍しいことに引きこもりの小島健の姿もあった。
サーカスのチラシを見せたら興味を示したのだ。
タケシが自分の部屋を出るのは実に四年ぶりだ。
はじめは落ちつかないようすできょろきょろまわりを見たり、クラスメートの顔を盗み見たりしていたが、今は頬をバラ色に染めてサーカスに見いってる。
カラミルはぼくらからすこし離れた席に座った。
サンジも誘ったが体調が悪いと断られたのは残念だ。
団員たちはそれぞれ自分の特技を披露した。
「芸ってのは石ころと同じでただそれだけじゃおもしろくもなんともありません。だからあっしがせっせと磨いて宝石にするんでさ」
現場監督才蔵の言葉だ。
才蔵がいったのは才能あふれる素人に、演出と演技をつけていっぱしの芸人にしたてるということだと思う。たぶん。
団員たちは監督の期待にこたえて熱演した。
田代金之助は乗ったまま自転車を分解し一輪車にする曲芸をやった。
不破善鬼と大江海人彦は真剣を使った剣舞を披露した。
矢野健一と千葉公平はフロイド・メイウェザーばりにスピィーディーかつ変幻自在なミット打ちを。
二笑と万歳の夫婦は床介市松の百姓コンビをくわえた爆笑コント。
江藤康成は姉カオルを大きな円型ルーレットにしばりつけてのナイフ投げ。
犬猿の仲である孫君と小三は日ごろの確執を忘れてコンビを組み、大胆なストリップを演じた。
全裸にこそならなかったが観客は熱狂し、中でもお父さんたちは目を血走らせて興奮した。
才蔵と佐助の抜け忍コンビは小君と日百、さらに巨漢薩摩の氏長もまじえた空中ブランコを披露した。
そのほかの団員も口から巨大な牛を出しもう一度その牛を飲み込む、また真剣で遊女のお腹を斬ってはらわたを引きずり出し、そのはらわたを遊女自ら笑顔でお腹にもどす、というまったく種のわからない手妻(手品)をやって観客を興奮のるつぼにたたき込んだ。
江藤カオルはバイオリンでバッハのシャコンヌを演奏した。
才蔵はカオルにだけは演技も演出もつけなかった。
演奏がはじまると、それまでざわついていた客席は水を打ったように静まり返った。
バッハは最初の妻マリアを失った悲しみをこの曲にしたという。
カオルの弓からほとばしる悲しみが、とつぜんあらわれた氷山のように人々を圧倒した。
演奏が終って数秒たってからはげしい夕立ちのような拍手が起きた。
ぼくも熱烈に手をたたいた。
となりでタケシがさゆり先生から借りたハンカチで目もとをぬぐってる。
カオルが笑顔で頭をさげていると、丸盆に淡島団長が姿を見せた。
腕時計を見るとまもなく終幕予定の午前0時。
柱サーカスの全団員も団長のうしろに姿を見せた。
(よかった。心配していた帝国呪術班の介入もなかった)
これで大団円、とホッとしたときだった。
「祭りに必要なものが三つあります」
両手をひらひらさせて観客を静めると、淡島団長は悠々と語った。
「一つは司祭、祭りを司るもの。それはわたしです。
二つ目は勢子、狩猟で獲物を望みの方向へ追いつめる役目をになうもの。それは観客であるあなたがたです」
「ぼくたちがセコ?」
とタケシが首をかしげる。
「みなさん立派に勢子をつとめてくださった。
そして三つ目は生け贄、自分の命を天にささげて祝祭を完成させるもの。いわばイケニエは祝祭のメインディッシュですが、それが彼らです」
淡島団長は自分のうしろに控える団員たちを指さした。
「イケニエ?」
「おれたちが?」
こんどは団員たちが不安そうに顔を見合わせた。
そのとき気づいた。
北側VIP席にすわる帝国呪術班の水島功児が、にやにや笑っている。
「かつて」
団員たちの不穏なひそひそ声を無視して淡島は話を続けた。
「古代日本の祭りでは狂人や乞食が一日神さまとして崇められました。
人々は彼に赤い着物を着せ、日があるうちはお酒やごちそうでもてなしました」
(赤い着物?)
そこでハッとした。
団員たちの衣服にも、かならずどこかに赤い色が混じってる。
「日が沈むと人々は一日神さまを木に縛りつけ、火をつけて焼き殺しました。
一日神さまが着た着物の赤は、炎の色であり血の色でもある。
つまり赤はそれを着るものがイケニエであるあかしなのです」
(才蔵の髪をむすぶリボン。
孫君の着物。
江藤康成の軍帽のバッジ。
矢野健一のジャージパンツ。
江藤香のスカーフ。
ぜんぶ赤だ
ではまさか彼らがいけに……)
「わたしはかつて祝祭をこころみました。
わたしが天草島原の乱をおこした理由はそれです」
「団長さん」
と、そこで才蔵が声をかけた。
「あのとき原城にこもるように提案したのはあんただ。おれと佐助は籠城戦の悲惨さをよく知ってるから反対した。でも『籠城が長引けばポルトガル軍が救援にくる』ってあんたが声高に主張して、それで全軍の城ごもりが決まった。でもそんな助けはこなかった。淡島さん、あんたおれたちをだましたのか?」
「いかにも」
淡島は平然とうなずいた。
「なぜ?」
「今いったでしょ? あなたたちをイケニエとして天にささげ祝祭を成就させたかったからです。しかしそうはならなかった」
淡島は真っ白な顔を苦しげにゆがめた。
「あなたたち反乱軍が全滅しても、ブリガドーンは発動しなかった」
(ブリガドーン?)
「ぶり……なんですそれ?」
「ただ一人城から逃げることができたわたしはそれから二百年以上ものあいだ諸国をさまよい、失敗の原因をさぐった。
なぜブリガドーンは起きなかった?
なぜ天はわたしに味方しなかった?
こたえは見つからず、いつしか時代は明治の世となった。ふたたび熊本に流れついたわたしは五高に英語教師として赴任した小泉八雲ことラフカディオ・ハーンと友人になった。
ある夜安政町の屋敷で酒を酌み交わしていたら、わたしの口から話の前後と無関係にポロッとブリガドーンの一言がもれた。博識なハーン先生はブリガドーンのことをよく知っていた。
わたしが天草島原の乱の犠牲者三万七千人を念頭に、たとえ三万余の人柱をささげても、天はわが願いをかなえてくれないだろう、すなわち百年に一度の奇現象ブリガドーンは決して起きないだろうと嘆くとハーンは笑った。
『それはそうですよ。ふつうに生きてる人間を三万どころか百万人柱にささげても天は動きません。
よみがえった死者。
人柱にささげるのはそれです』
そうハーンが語るのを聞いたときのめまいがするほどの衝撃を、わたしは今も忘れません。
二百年間の飢えをいやすため、わたしはハーンに質問を浴びせた。
よみがえった死者とは幽霊のことか?
そうともいえるがそうともいえない。いずれにせよあの世から生者として生き返ったものどものことである。
どうすればそのものどもに会えるのか?
条件がある。戦争、もしくは殺人のような凶悪犯罪が続いてその土地の空気が不穏な緊張感に満ちていること。
そしてその土地で津波や地震のような大きな天災が起きること。
この二つの条件が合わさることにより、よみがえった死者にふさわしい器が出現する。スコットランドでは百年に一度出現する幻の村をブリガドーンと呼んでいる。
その村がブリガドーンの祝祭にふさわしい器で、その村の村人こそ人柱にもっともふさわしい人たちなのだが、ヨーロッパの人間はその真実に気づかなかった。愚かである。
ではブリガドーンの出現は偶然に頼るしかないのか?
できることはある。科学が進めば地震や津波の予知は可能であろう。また大きな天災がくるとわかればそれに備えて、戦争なり犯罪なりをしかけてあらかじめ人心を荒廃させておく手もある。
そのような手配をすませた上で天災が起これば、かならずブリガドーンにふさわしい器が出現する。
そこによみがえった死者もいると?
然り。彼らははじめ霊的存在すなわち幽霊としてあらわれる。宴をひらくとよい。宴の歓喜が、彼らの血肉を沸騰させる。でもそれだけでは足りない。
なにが足りない?
悲しみが足りない。最後にそれを加えれば、幽霊は血の通った人間としてよみがえる。
あとはよみがえった死者をイケニエとして天にささげれば、ブリガドーンの祝祭は成就する。
ブリガドーンが成就すれば、天はその褒美として祝祭を主宰した者が望むものをすべて与えるだろう。
ハーン先生はわたしにそういったのです」
「団長はん、さっきからなにいってんです……」
「あんた」
と、そこで孫君が夫に声をかけた。
「へんよ」
「なにが?」
「わからない。でもなにかちがうわ」
孫君は自分のむっちり張った胸や肩を不安そうに撫でまわした。
「なにわけわかんねえことを……」
「みんな」
と声をかけたのはカオルだ。
「見て」
カオルは自分の足もとを見つめていた。
釣られて足もとを見て、たちまち才蔵の顔色が変わった。
「なんだこれは?」
「……影だ」
地面に落ちた自分の影をつま先でなで、佐助がいった。
「足もとに影がある。才蔵、どうやらおれたちみんな、この世によみがえったようだぜ」
「いかにも」
淡島はヒトデのようにざらついた舌で自分の唇をべろりと舐めた。
「わたしがサルバドールと名乗り、信者が予知した地震に先だって数々の猟奇犯罪を起こし、熊本の人心を不安におとしいれた数年間のこころみが実った。いや数年ではない。わが二百年の執念がついに実った」
(なんだと?)
淡島がサルバドールだと! とカッと目を見ひらいたとき、淡島が羽ばたく怪鳥のようにサッと両手をひろげた。
「司祭はここに宣言する。
ブリガドーンの開幕である!」
その宣言とともにテントは真っ暗になり、なにも見えなくなった。




