第十六話「莉愛」
「ふふ、何か変なことでも?嫁いだ妹を心配して姉が会いに来る…。自然なことじゃないの」
それにしても。くすりと形の良い唇が弧を描く。
「相変わらず見窄らしい格好ね。下女みたいでよく似合っているわよ」
少し遅れて服装を馬鹿にされたのだと気がつき、カッと頰が熱くなった。反射的に睨むと、姉さんが目を細める。
「第四家に嫁いだのよ?自覚を持ちなさい」
第四家…?
おそらく東雲家のことを指しているのだろうが、聞き覚えのない単語だった。後ろで和也様が静かに怒っている気配がする。
「知らないの?この国を治めているのが国王様、そのもとで政治を行うのが御三家。その下が準御三家。それは覚えているわよね」
昔渡された本の中に、そのような記述があった。姉さんが何を言いたいのか図りかねながらも、僕は小さく頷いた。
「第四家はそれとは別に、財力面でこの国を支えている四つの家のことよ。主に衣食住を担っている三つの家と、科学的なことに関わる東雲家。それが第四家と呼ばれるわ。ちなみに他の家は小鳥遊家、神楽家、久遠家。覚えておきなさい」
…知らなかった。
東雲様って、そんなすごい方だったのか。
「あなたはその方の妻なのよ。どう見られるか、考えた上で行動なさい。東雲様があなたのことを虐げていると思われたらどうするの」
「…っ、それは…」
思い至らなかった未熟さが恥ずかしい。俯くと、僕を庇うように和也様が間に割って入った。
「…東雲和也だ。政治関係の知識は存分にあると見た。それなのに金田家はなぜ、性別を偽造するような真似をしたんだ?」
「あら、お声が大きいですわ。あまり誰かに聞かれたい事情ではありませんのよ。…はる?どういうことかしら」
事情が気付かれたこと、僕が遥歩さんと和也様に全て話したことは姉さんに言っていない。手紙を書こうと思ったものの、時間がなかったのだ。
「…和也様と、遥歩さんはご存知、で。東雲様にはまだ、言ってない…」
そう言うと、その場にしばし沈黙が降りた。悩むように姉さんが首を振る。
「…大体は理解しました。それで?あなたはどうしたいの?」
「…え」
怒られる覚悟はあったけれど、自分がどうしたいか訊かれるのは想定外だった。あなたはその秘密に耐え切れるのかと、姉さんの目が問うている。
その目の中で、何かが光った。笑うような、愛しむような。僕のことを見てくれていた、姉さんの、色が。
「…っ、無理、だよ…。みんな、優しい、から。これ以上騙したくないっ、もう、終わりにしたい…!」
抑えていた本音は、一度口に出すと呆気なく崩壊した。嫌だ。もう無理だ。こんな優しくされる資格は僕にない。こんな偽りで固めた自分をもう、見てほしくない。
意外にも姉さんは激昂しないで、黙って僕を見ていた。きっと、こういう状況になる想定はしていたのだろう。
「…いつまで泣いているつもり?あなたの気持ちはわかったけれど、だからどうしろと言うの?行動するのはあなたよ。どうするのかは自分でお決めなさい」
そう言って、姉さんは身を翻した。ふわりと風を纏ったドレスが少し遅れて動きについていく。
どうすることもできず、ただ黙って姉さんを見送る僕たちの前で、馬車のドアが閉まった。
「それと、一つだけ言っておくけれど」
ドアの小さな窓が開く。カーテンで表情は見えない。ただ、口が動くのを眺めていた。
「薬箱は、三段よ。…じゃあね」
それを最後に、馬車が動き出して目の前から姉さんが消えた。
あまりに唐突で、長いようでも短いようでもあった時間。夢だったのではないかと疑う気持ちがふつりと芽生える。
でも。
「…はる?」
「はい」
和也様が、僕を見上げた。手に触れたあたたかさが、現実だ。夢じゃない。
「薬箱は、三段…」
どういう意味だろうか。皆目見当がつかない。
けれど姉さんのことだ。何か強い意図があるのだろう。
…ここで立ってる場合じゃない。
僕は和也様と小さく頷き合い、踵を返した。
◇◇◇
部屋に入り、薬箱を手に取る。たぶん、比喩的なものじゃなくて、本当にこれを指しているのだろう。一段目を外し、二段目の底を調べてみる。
けれどたぶん、底がある…というわけではないみたいだ。横から見た時の底までの距離と板の厚さを考えても、空洞があるとは思えない。
となると、一段目に何か仕掛けがあるのだろうか。とりあえず薬を全部床に出して、一段目の底も見てみた。でも綺麗な一枚板で、何か取っ掛かりなどもない。
…思い違いなのかな。
諦め切れないけれど、薬をそのまま床に置いておくのも気が引けて、ざらざらと戻した。
「…!?」
何か、音が違う?
またひっくり返してコンコンと底を叩く。こぉん…、と、反響する音が返ってきた。振ると、中でガサガサ音がする。
…どうして、底があるとしたら一番下だけだと思っていたのだろう。一段目の下…。ここに、何かある。
どうやって開けるのか探ろうとくるくる回すと、裏に爪が引っかかりそうな隙間を見つけた。
指を差し込んで、下に引く。
「…わ」
正解らしい。
とさ、と、白い封筒が二つ、床に落ちた。
『東雲和真様』
『はる』
整った、読みやすい黒い字。あの頃よりさらに上手な、姉さんの字。
こくりと喉が鳴った。緊張で微かに震える手で、僕の名前が書かれた封筒を取る。
裏はシールで封をされていて、それを破らないように慎重に剥がした。目を瞑って大きく息を吐く。吐ききったら吸って、目を開いた。心臓が少し、静かになる。
どこか甘い香りのする上質な封筒を、ゆっくり、僕は逆さにした。




